SMの本を買おうとしたら、芋づる式に、アナルセックスの指南書や、男性用風俗の案内本が出てきたので、適当に見繕って買いました。

 

とりあえず風俗の本にざっと目を通しましたが、面白いことが書いてありますね。性的サービスを受けるだけでいいのかと思ったら、会話が大事ということが書いてあった。

 

会話で失敗すると、嫌われてしまって、指名拒否になることもあるとかw 僕も失敗しそうな気がしてくるw

 

現時点での自分の実力が査定されて、失格の烙印を何回も押されるとしても、それで学んで成長できたら自分にとってはプラスですね。ただ心の傷は残ると思いますがw

 

モテたいという思いは、成長過程のある時期に自然に湧いてくるものなのかもしれませんが、その思いに忠実に、結果を出すため、さまざまに研究と実践を積み重ねてきた人がいて、そういう人はかなり先を行ってしまっているということなのかな。

 

僕の場合は、モテたいと思うような時期より前に、いろいろ問題を発症していたので、別のことが課題になっていて、モテたいという問題には、あまり関係してなかったと思います。

 

自己意識が強すぎるとか、自律神経失調症とか、承認欲求の強さが病的とか、気が弱すぎるとか、他のことで手一杯だった感じ。

 

そして当時は、テクニックで相手の歓心を買うとか、相手の気持ちを思うがままに操れるように人間関係の法則を発見するとか、自己利益の誘導めいた行為には、多分、反感を持っていたんじゃないかと思います。

 

動機は、自己利益の誘導であっても、やることは相手を理解し、相手の喜ぶことをしてあげるということでしょうから、結局のところ、思いやりのある人間になれるのかもしれませんけれども。

 

ただやっぱり、利己主義から出発したことは、理想を掲げて勝ち取られたものに比べると、どこか本質を外しているような感じはします。

 

僕は、自分が不器用なうえに、経験不足で何をやらせてもうまくできないという人間でありながら、理想を見出し、理想を実現したいと考えて、最初から高望みするので、混乱してしまって、失敗しやすくなっているかもしれません。

 

初心者の間は、目の前の状況が何を指し示してるのかも理解できないし、自分にできることが何かあるのか、そして能力を増強するにはどうしたらいいのか、についても、頭が真っ白でアイデアが出ない状況になっていた気がします。

 

それでも、自己利益の誘導に走らずに、ここにおいて理想的な状況とは何か、それを実現するにはどうしたらいいかと考えて、ただでさえ失敗しやすいのに、さらに失敗を運命づけるようなことをしてたかもしれません。

 

結局、自己利益を愚直に追求し、日々の勉強に労力を惜しまなかった人が、自己利益も得て、相手からも感謝されるという、理想的な状況に到達し、理想を掲げていたはずの僕の方は、思い込みでこうすればみんな幸せになるだろうという想定で動いて、そんなことを誰も望んでなかった、考えがまだ未熟すぎた、というような結果に終わっていたような気がします。

 

人間にとって大事なのは、自分の実際の状況であって、他の人が乏しい理解で思い描いたビジョンではありません。実力が上がってくれば、第三者として思い描いたその人のビジョンが、実際の状況と似てくるかもしれませんが、未熟なうちは両者は食い違っています。

 

話を盛り上げるためには、服装やアクセサリや化粧などの話ができた方がいい、ということが書いてありましたが、そういうのは僕は興味がないので、難関となっています。多分、自分が顔もスタイルも不格好で、着飾っても効果が感じれないせいで、興味が持てないんじゃないのかな。着飾ると、かっこよくなったり、かわいくなったりしないと、やる気が起きないですよね。もちろん、ずぼらということもあるんですが。

 

どんどん仲良くなることを考えたら、記念日にプレゼントを贈るなんてこともやった方がいいのかもしれないですね。そういうのも、自分には似合わない気がするし、センスがないから喜ばれる贈り物をする能力がないかもしれない。

 

モテる目的を離れて、人生全体を考えると、自分の今の限界を突破して、新しい段階に進むことが、本質的に重要なことではないかと思います。

 

自分では気が付かずに、思い込みができてしまっていて、自分自身を真実から遠ざけている場合、その思い込みに気がついて、それは現実じゃない、現実はどうなっているだろうかと、よりよい世界観、人間観が持てるように、自分を変えることができるかどうか。

 

自分の限界を突破するために、まずは現時点での自分の限界に直面することが良いと考えて、苦手なことに挑戦するのは良いことかもしれません。

 

よくあるのが競争で、自分が一番うまく人を手懐けられると自信を持った人が、ライバルや格下に対して、俺はお前らとは違う、レベルが違う人間なんだと自慢を始めることがありえます。言うだけあって、実際にすごい技術を持っているということもありえますね。

 

でも競争して、実力の足りない人を蹴落としていくということに、何の意味があるのか。社会的に考えたら、たくさんの人に社会参画を促すのではなくて、能力の低い人から順番に社会の外に放り出すみたいなことをしてて、結局、社会を貧しくするだけじゃないかと思うのですが。

 

最近の競争主義者に比べると、伝統文化の中に含まれる知恵の方が高級で、そこにはできるだけ多くの人を社会参画させて、社会全体を豊かにする発想が含まれているんじゃないかと思います。

 

そこまで社会性がない人は、社会が理想的になったかそうでないかはあまり関心がなくて、自分自身が何を感じたかが重要になるので、印象の良いことをしてくれた人には好意を持ち、興冷めすることや怖く感じることをした人とは、自分を守るために、距離をとって付き合いたいと考えるだけかもしれません。