実は。。。
母のメラノーマ経過の途中だが、
もうすぐ出産しそうなので、
その事を含め先に綴らせて頂こうと思う。
去年、母の看病と同時進行で、
私は不妊治療を行っていた。
私の年齢的なものも大いにあるが、
子どもが大好きな母に、
孫の誕生という、
生きる希望を持って欲しかった。
姉が早くに子どもを産んでくれてるので、
2人の孫を育てる楽しみは
存分に味わっている母だが、
その2人ももう随分お姉さんなので、
きっとまた新たな楽しみになる事だろう。
そう思って励んだ不妊治療は
見事実を結び、去年11月に
妊娠の陽性判定をもらった。
嬉しくて、母に1番に報告した。
母は、
「安定期に入るまでは、まだおめでとうは
早いかな。」
と言いながら、とても喜んでくれてるのが
分かった。
ーーー私たち夫婦は、もう結婚して7年が経とうとしていた。
子どもができなかったというよりは、
色々やりたい事もあったし、
子どもで自由を奪われると思うと、
本気で子作りできないまま、
私の年齢だけどんどん高くなっていった。
夫婦2人でも、今まで十分楽しかったので、
不妊治療始めてからも、できたらラッキー、
できなかったら2人の時間をまた楽しめたらいいね。くらいのリラックスした気持ちだった。
こんな自由人夫婦の私たちを、
母は今まで何も言わず温かく見守ってくれた。
結婚当初、
母は私たちの結婚にあまり賛成していなかった。
私の旦那さんはバツイチ。
私は初婚だったので、母は私に
「自分を安売りしなくても良いのでは?」
としっかり考えるように言った。
それに、旦那さんの表情が鋭くて、
人相があまり良くない。という
第一印象があったようだ。笑
しかし私は、
それまでにもう3年付き合っていたし、
旦那さんの事は既に大切な存在だったので、
母には『大丈夫』と言って結婚した。
それから7年の月日を経て、
母と旦那さんはどんどん仲良くなった。
私から見ると、似ているところがある2人だ。
旦那さんは、やや愛情不足の家庭で育った。
その事を母に話すと、より旦那さんの事を
可愛がってくれた。
温かい家庭というものを
体感させてあげたい。という母の愛情が
伝わってきた。
ゆっくり帰省するのは、盆正月くらいだが、
その度に色んなところに一緒に行った。
盆は、早朝から海に出掛けたり、
かき氷を食べるためだけに車を1時間走らせたり。
夜は姉家族も来て花火をしたり。
正月は、お雑煮を食べたあとは、神社にお参り。
そのまま街へ出て初売りの買い物。
帰っておせち食べてお酒飲んで寝る。
そんな年二回の行事の中で、
確実に、母と旦那さんは仲良くなっていき、
そんな二人を見るのがとても好きだった。
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去年の年末にかけ、母のメラノーマの病状は悪化していったが、
その頃言っていた言葉がある。
「ふと人生を思い返すと、
最初はどうなる事かと思ったけど、
後になってみればホントに良かった。て事があるね。」と。
これは、私たちの結婚の事を言ってくれてるのだと思った。
旦那さんの表情が、今ではとても優しくなったね。と言ってくれた。
「お母さんは、もう身体がこんなだから、出産の手伝いには行けないし、赤ちゃんにも会えないかもしれないけど、
サタデーがしっかりしたお母さんにならんといかんね。
○○くん(旦那さん)がおるけん大丈夫よ。」
と言ってくれた。
いま出産を目前にして、この言葉は私の中で
勇気になっている。
子どもが大好きな母は、どんなに赤ちゃんに
会いたかった事だろう。
私ももちろん会わせたかった。
抱っこして欲しかった。
母が亡くなった年に出産する。
この事に、何か意味を見出せる時が来たらいいな。
と思う。
ただでさえゆっくりな更新が、
しばらく止まると思うが、また産後に再開する予定。
申し訳ありません。