脳転移メラノーマが確認されてから、5日後には手術だった。
脳手術までの間、脳転移メラノーマについて、死ぬ程調べた。
空いた時間はずっと検索魔。
姉と妹、3人のLINEグループにはそれぞれ調べた内容を随時アップしていった。
治療法はもちろんの事、セカンドオピニオンの事も。
7年半前に母を元気にしてくれた、主治医の先生の居所を姉が突き止めた。
その先生は、小さな皮膚科外来の病院に転職してあり、電話で話す事ができた。
先生は、
「今は、わたしは小さな病院で、皮膚疾患に携わっているだけなので、
メラノーマのような病気の事は今では知識不足なんです。」
とおっしゃった上で、話を聞くぐらいなら。。と耳を傾けてくれた。
一番聞きたかったのは、もちろん今後の治療法だが。
今は専門ではないとおっしゃるので、一つだけ質問した。
ずっと術後の補助療法として打っていた
注射を止めたのが原因か、先生の見解を聞きたかった。
母が、一番悔やんでいる部分だからだ。
いまは携わっていないから、分からない。と
おっしゃる先生にこの質問をして何になるのか。
たとえ万が一、注射を止めたせいだ。と言われても、
今更どうすることもできないのに。
注射を止めさせた病院を責める気持ちがあって、
それはひどいね。と言ってもらいたかっただけかもしれない。
でも結局、メラノーマの治療は今は過渡期にあるので、
今までの治療を止める。という動きがあっても仕方ない。
という先生の遠慮がちな答えだった。
先生は、7年半前と変わらない誠実な態度で答えてくれた。
今は患者でもないのに、きっと戸惑われただろう。
「7年半前は、母の命を救って頂き、有難うございました。
○○先生の事を母はとても信頼していたので、先生の意見を
聞いてみたく、突然お電話して失礼しました。」
泣きそうになり、震える声でそう伝えて、電話を終えた。
医療は日進月歩。
そこに文句をつけても仕方ない。ということだろう。
でも、大切なたった一人の母が、その日進月歩の渦に巻き込まれてしまったのが、
大変残念で悲しい。
オプジーボを3クール目まで終えた次の週。
ずっと元気だった母に異変が起きた。
台所の電気のスイッチがどこにあるか、一瞬分からなくなったらしい。
40年以上使っている台所。
明らかにおかしいと、母本人も気づき、すぐに病院へ。
夜間の病院で精密検査をしたところ、メラノーマの脳転移だった。
次の日、付き添った姉から電話があり、姉が泣きながら切り出したのは
医師からの余命宣告だった。
「今までの経験や、病状のデータからいうと、4か月です。」
淡々と告げられたそうだ。
私は出かけた先の道端でこれを聞いたので、人通りも多く、
泣くわけにも行かず、とても冷静に受け止めた。
落ち込む姉を、まず元気づけなければ。というのがあった。
脳転移のメラノーマは大きくなる前に、手術で切除します。
と医師から説明があったようで、
これを聞いた時、
“手術ができるなら、まだ望みはある。
絶対に助けてみせる”
そう心に誓った。
姉は、4か月という期限に絶望を感じていたようだが、
それが絶対的にみんなに当てはまるとは言えないし、
そこから何年も生きている人もいる。
母は、ラッキーな人だから、奇跡を起こしてくれるかもしれない。
できる事は何でもしよう。
治療法は、医師だけに頼らず、自分でも探す。
とにかく母の免疫が落ちないように、母の気持ちには寄り添う。
近くにいる姉が参ってしまわないよう、連絡は蜜にする。
落ち込むよりも決意に燃えた、2019年4月の満月の夜だった。

※この症状が、全てのメラノーマ(悪性黒色腫)の方に当てはまるわけでは
ありません。
『オプジーボ。』
ご存じだろうか。
がん治療を劇的な進歩へと導いている、新薬。
数年前にこの研究開発がノーベル賞を取り、
がん治療のひとつとして、確立されている。
これがまず最初に適用されたのが、他でもないメラノーマ。
抗がん剤とは違い、自分自身の免疫を働かせてがん細胞を
やっつける薬。
この薬の話を医師から聞いたとき、母は大丈夫だと思った。
また長生きしてくれると希望がわいた。
なぜなら、最初に発症した7年半前には無かった薬。
メラノーマは進行すると、予後が非常に厳しく、その当時
治療法も少ないと聞いて、絶望的な気持ちになったものだが、
あれから、こんなに素晴らしい薬が開発されていたのだ。
感謝してもしきれない。
やっぱりうちの母は、ラッキーだと思った。
新薬なので、副作用も未知数で細心の注意が必要。
という説明も受けたが、
まだこの時は、母だけにはきっとこの薬が効いてくれ、
肺にある小さなメラノーマなど、すぐに消えて無くなる。
と信じていた。
母は、副作用を怖がっていたが、特に目立った症状が出る事も無く、
がんからの症状も何も無かったので、とても元気に過ごしていた。
オプジーボは点滴で処方するのだが、終わったあと副作用の状態をみるために、
二泊三日入院する。これを二週間に一回。
それ以外は自宅で過ごす日々。
あまりに何も副作用が無かったので、母も拍子抜けと同時に、
とても安堵していた。
2クール目のオプジーボを終えたときには、
桜の花がとても綺麗に咲いていた。
母は、元気だった。
私は、私の住む街に咲く桜を母に見てもらいたくて、
見に来ないか。一緒に見よう。迎えに行くよ。と誘った。
母は、少し迷いながら、
「今治療中だからね。また来年。」と言った。
その来年が来ることなく、母とお別れする事になるとは。
無理やりにでも、一緒に見ておけば良かったかな。
今日は母の日。
私の母は、昨日四十九日を終えた。
こんなに悲しい母の日を、今まで知らなかった。
でも、悲しんでばかりいると母が天国に行きづらいので、
今日はここで、私の母の自慢をして、
どや顔で天国に旅立ってもらいます。
とにかく気遣いの人。
自分の事より、子どもの事が最優先。
ユーモアたっぷり。
聞き上手、共感上手。
弱き者の味方。
手先が器用。裁縫プロ並み。
人の文句を言わない。
その場の空気や、人の気持ちをナノレベルで察知する。
繊細かつ、芯は強い。
情が深い。
ムカデにもひるまず、勇敢に闘う。(山育ち)
etc...
とにかく自慢の愛しい母でした。
私が高校の部活で使う衣装を自分で縫った時の事。
あまりにもボロボロの仕上がりに落ち込みふて寝した後、
母が夜なべしてプロ級の腕前でやり直してくれていた。
朝、それを見た時の感動たるや。
小学生の頃、聞き上手な母に聞いてもらいたくて、
学校でのエピソードをどれだけ面白く伝えるかが
私の毎日の目標であり、楽しみだった。
他の姉妹に負けない面白エピソードを持って帰る為に、
必死でネタ探しをした毎日。
母は、大喜利を仕切る円楽師匠のようだった。
もっともっと話したかったな。
お母さん、本当に今までありがとう。
「メラノーマ」を知らない人もいると思うので、一応説明しておくと
別名悪性黒色腫ともいう。
皮膚がんの一種で、皮膚がんの中では最も悪性度の高いがん。
早期発見では予後も良いが、発見が遅れるにつれ5年生存率が下がっていく。
また早い段階で転移をしやすいのがメラノーマの特徴のようだ。
日本では、まだ10万人に1人の割合と言われ、
欧米では、これより割合は高いらしい。
母のメラノーマの発症は、7年半前の事。
足の裏にいびつな形の大きなほくろがあり、それがメラノーマだった。

※本人の画像ではありません。
母いわく、4年くらい前から徐々に大きくなってきて、
痛みが出だして初めて病院に行ったとの事。
お風呂上りに自分でピンセットでいじったり、軟膏を塗ったりしていたようだ。
この時に気づいてあげれれば。。。
と本当に悔やまれる。
ステージⅢという不安な状況ながら、手術と治療を頑張り、見事病気を克服した。
治ったのではないか。と周りも本人さえも思っていた。
この病気は発症以来、母の身体のどこかで息をひそめていただけで、
ずっとチャンスを狙っていたのだと思う。
再発する半年前まで、ずっと続けていた1ヶ月に1度の足の裏(原発巣)への注射。
7年半前の手術後から、再発予防の為にずっと続けていた注射を、半年前にやめていた。
理由は、この注射が効くのか効かないのか、未だはっきり分かっておらず、
海外ではこの治療を止める傾向にある。との事だった。
悲鳴を上げるぐらい痛い注射。
医師からそう言われて、続ける人はいないだろう。
母は簡単にこの注射をやめてしまった。
しかし、この半年後にメラノーマは再発してしまったのだ。
タイムスリップできるなら、全力で注射を止めるのを反対するだろう。
母は7年半、元気だったのだから。
この注射が効いていなかったとは思えない。
メラノーマ治療中の方、ぜひ参考にされて下さい。
