幸せな瞬間をもっと世界に!

幸せな瞬間をもっと世界に!

たった一つの出会い、
たった一つの言葉。

人生がガラリと動き始めたのは、いつもたった一つの事でした。

そんな一つのバトンを繋げていきます^ ^

シクシク、泣いてるの?

悲しいね、辛いね..


誰かに責められて泣いてるの?

誰かに疑われて泣いてるの?

それとも、あなたが自分を責めて

泣いてるの..?


泣いていい、泣いていいんだ。

あなたは悲しかったんだから..


ただ、もしあなたが自分を

責めて疑っているのなら、

それが一番悲しいよ..


あなただけは、あなたを認めてあげて。

あなただけは、あなたを愛してあげて。


あなたは素晴らしい。



グッスングッスン、泣いてるの?

しんどいね、疲れたね..


誰かに酷い扱いをされたの?

誰かとの関係に疲れたの?

それとも、あなたが自分を大事に

扱えていないの..?


疲れていい、疲れてしまってもいいんだ。

あなたは自分より他を優先してしまったんだから..


ただ、もしあなたが自分を

最大限想うのなら、

あなたを一番優先して欲しい..


他の誰かに、構わないで。

他の誰かに、惑わされないで。


あなたはいつだって一人じゃないよ。



ヒックヒック、泣いてるの?

心底苦しいね、立ち上がれないね..


全てに裏切られたの?

何もかもが嫌になったの?

それとも、あなたが死にたい程、あなたを嫌になったの..?


...


真っ暗だ、

あなたは真っ暗な闇の中で泣いている。

..それでもいい。それでも、いいんだよ、


涙は、あなたを潤す。

涙は、あなたを癒す。

涙は、あなたの愛のしずくなんだ。


その涙があなたの暗闇を照らす兆しなんだ。

その兆しに従い、ただ猛烈に泣けばいい。

ただ、泣けばいい..!



ただ、もしあなたがこの世から

消え去りたい程辛いなら、

どうか少しでも聞いて欲しい。


あなたを心から想っていることを。

あなたがその兆しに導かれることを

心から祈っていることを..。


死にたい程嫌になる時がある。

消え去りたい程辛い時がある。


何度も何度も打ちのめされ、

涙し倒れる。そして、

そんな自分が嫌になる..と。


でもね、一つだけ間違えちゃいけない。

絶対に間違えちゃいけないことがある。


何回だって打ちのめされても、

涙して倒れたっていい。


ただ、絶対に

あなたがあなたを

諦めることだけはしちゃいけないんだ..!


あなたが自分を拒絶することだけは

しちゃいけないんだ..!



だからどうか抱きしめて欲しい、

あなたを。


「よくここまでがんばったね」

「沢山みんなの事を想い耐えてきたんだね」

「人の為に自分を犠牲にしてしまったんだね」


「ありがとう、生きていてくれて。」

「ありがとう、今日まで。」

「ありがとう、私。ありがとう..」


社会に、負けないで。

暗闇に、負けないで。

自分に、負けないで。


あなたは素晴らしい。

あなたは一人じゃない。

あなたは愛で溢れてる。



心から送ります、あなたへ愛を。

どうか涙という光の兆しを信じて..✴︎




​気づきとは


こんにちは☺︎

今日はこのテーマで書かせていただきます♪


〜✴︎〜


「気づき」とは..


精神や自己啓発などの世界では、よく聞く言葉じゃないでしょうか。


いずれにせよ"自己"を高めるためには必要不可欠な「気づき」が大事、と個人的に思っています。


感覚的には、「気づき」というのは

自己の世界へ繋がる為の扉の鍵


という感覚です。

文字通り、大事なキー(鍵)ですね。


ここで言う自己とは、本来の自分の事です。

顕在意識でなく潜在意識の自分。


ま、顕在も自分なんですが、ほんの一部です。

例えるなら、我々の肉体や脳を動かす為に必要なコンピューターの役割。


ただそれだけな気がします。

地球は三次元の惑星で、肉体という物体に入ることで色々な体験ができます。


その肉体を動かしたり、指令を送ったりする為に必要だから作られたごくわずかな意識。


それが顕在意識1〜3%。

と個人的に思っています。


そして、対する潜在意識は97%〜99%。

比率が圧倒的におかしすぎる。笑


この比率から、これがすべてを物語ってるのではないか?と最近とてもとても腑に落ちてならないのです。


顕在意識は、

肉体や脳だけを動かすコンピューター的意識。


その対極にあるのが潜在意識。


肉体動かしてくれてありがとう、顕在。

それができて心・魂=自分らしさを表現できるよ..

の、自分の宝の山の意識。


そう、です。

自分の大事な大事な価値観、ワクワク、トキメキ、幸せ、喜びがたくさん詰まっている意識。


ここに、アクセスしたいのです。

ここに、アクセスできたら本当の本当の本当に、


幸せ!

楽しい!

嬉しい!


が、ものすんごい。笑

今も幸せや喜びを感じる瞬間はあると思います。


ですが、表面的幸せか本質的幸せか。

という自分の「幸せ」の中にもこの深浅さがあります。


もちろん、深い深い幸せを心から感じたい..と思いますよね。


だから潜在さんにアクセスする事が重要。

そして、その潜在さんにアクセスする為に


超超超蝶ーーーーーーーーー

重要なのが気づきです。



前置き長くなりましたが、

そーゆー事なんです、ハイ。


〜✴︎〜


「気づき」

その名の通り、


あっ!

と、気づいたこと。


これが説明?笑

掘り下げますよ、更に!笑


ex)〇〇ちゃんってすっごく気がきくんだね〜。え、そうなんだ!私ってそんなに気がきくタイプなんだ!


ex)あなたって〇〇する癖があるね〜。え、そうなの!?知らなかった、無意識だ。


ex)見た目で判断してたけど、〇〇さんは実はとても良い人だった。これからは中身を見ていこう!


ex)美術館に行ったらトイレにサインをしただけのモノがアート作品と評価されていた。目から鱗。あ、そうか!だったら私も形式に囚われずに何かやってみよう


ex)雨の日が大好き。だって雨って癒されるじゃない♪大抵の人は晴れの日が好きと言うけど、こういう人もいるんだ。雨の捉え方が変わったな〜


✴︎


さあ、めちゃくちゃ簡単な例を

思いつくまま出してみました。


これを読んでみてどうですか?

何か思う所はありますか?


気づく所はありますか?


これ、全部気づきです。


知らない自分を知った瞬間。

「え、そうなの?」

「あ、そうだったんだ!」


この感覚こそ、

知らなかった自己への扉を

開ける鍵(=気づき)なのです。


日常生活に落とし込んで

今は例えをわかりやすく解説してるつもりですが、


これをダイレクトに促す気づきは、

私はタロットやオラクルから得ました。


普段の生活や一人で何か気づこうとしても

やはり限界があるのです。


それは私は自分がやってみたので

よくわかります。


ダイレクトに潜在意識に気づきを促すツールは、

実はカードたちでした。


ま、それは余談としまして、

とにかく、


この気づきのキー(鍵)をコツコツコツコツ、

たくさん集めて開けていくだけなのです。


なぜたくさんなのか。

97%〜99%のあなただけの宝がたくさん詰まってるから。


その分の扉を開く鍵がないことには、

どうにもその宝は拝めないのです。


だから、まずは

その宝箱の鍵を探すことが重要。




ということを今回はお伝えしたかったです^ ^


いやあ〜まー

とりあえず、知らん自分知りに行こっ☺︎♪


の、お楽しみ♡好奇心感覚でいっちゃいましょう!笑


読んでくださりありがとうございます^ ^

届け、ハピネス!笑


​♪Higher Love♬☺︎


こんにちは☺︎

今日はふと、ホイットニー・ヒューストンの

「Higher Love」がよぎりました。


私的に、自己愛・ホントの自己との繋がりを

思い出して!と言われているような詞だな〜と感じました。


和訳載せます^ ^

"あなた"のハイヤーへ

ハイヤ!ハイ、ヤアーー!笑←



♪♬♩


考えてみて、

「高次な愛」がどこかにあるはずなの


心の深いところを覗いたり、

星たちを見上げたら隠れてるのかもしれない


それがなくちゃ、

人生はひどいものになってしまう


自分の心の内側をよく見てみて

私も自分の心を見つめてみるから


どこもかしこも悪いことが起きてるみたい

この世界で、一体「公平」って何?


やみくもに前進して、

理解しようとしてるけど


「まあ、そうなるだろうな」

ってところに後戻りしてしまう


深い愛を見せて

包み込んでくれるような愛をどうか

正しい愛を見せて

私が思い描いてる

「高次の愛」はどこにあるの?


世界はひとりでに回って、

私たちはそれにしがみついているだけ


恐れるものと対面して、

一人ぼっちで立ち続けている


この憧れは本物だって思える

どこかに、私を思って

心を動かしてくれる人がいるはずなの


どこで起きてることも、

悪いことのように思える


この広い世界で、

「公正であること」って何?


私たちは正しく振るまって、

理解しようとしてるのに


「まあそうなるか」

ってところまで落ちていってしまうの


深い愛を見せて

包み込んでくれるような愛をどうか

正しい愛を見せて

私がずっと考えてる

「高次の愛」はどこにあるんだろう?


〜♪





​何が一番大事か私の父は知っていた。


こんにちは☺︎

今日はふと舞い込んできた、このテーマで書かせて頂きます♪


✴︎


こないだふと、よぎりました。

ああ〜そーいやお父さんって


自分を大事にして生きる事を

いっちばん、大事にしてるよな〜


って。

うちのお父さん、わがままで子供みたいで

自己中に思っていました。笑


自分の好きな事ばっかりやってさ〜

子供より自分優先でさ〜


と。そう思う事が子供の頃からよくありました。

大人なのに何か遊びの事ばっかり!という印象。


でもめちゃめちゃに、養ってくれている。

めちゃめちゃに良い思い出もたくさん作ってもらってきている。


そして何より、そんな父は

めちゃくちゃに楽しそうで輝いている..✴︎


そんな印象はずっと変わらずにあります。


自己中なのに嫌われない。

自己中だけどなぜか愛される..✴︎


不思議な人。

そんな、そんな人なんです、うちのパピーは。笑


そして、私も色々勉強や気づきを重ねていき、自分を一番大事にして生きることの重大性に気づけるようになりました。


そして、「父の生き方」が実はそうだったのだ、と気づきリンクしました。


それは、


自分第一主義、自分サイコー、

自己中=自分に夢中♪5時に夢中♬自分が世界で誰よりもパーフェクト!です。笑




なんやなん、それ、やばくない?5時に夢中?w

え、嫌われない?ってなるかもですが、

マジです。


とにかく、この言葉通り、


父はマジに自分が世界で誰よりもパーフェクト!と思っているのでどんな事にも惑わされません。


お腹が出ていようと、足が短ろうと、

オナラが臭かろうと、何を言われようとも、

このイズムが父の真髄です。


惑わされません。

このイズムこそが、どんなパワーをも跳ね返しどんな逆境にも負けない、ミラクルな『自分』パワーを解き放ち、楽しむ源だと私は感じました。


そして、このどんな事にもって意味付けが

めちゃくちゃ大事です。


単なるでかい障害だけを言っている訳ではありません。


むしろ、もっともっと日常的な所が大事になってきます。


掘り下げると、例えばこんな事。


誰かに「キライ」とはっきり言われても

惑わされない。


いつも遊んでばかりね、パチンコにも行って何やってるの?と言われ続けても全く気にしない。


おならが臭い、サイテー!もう嫌!ホントサイテー!臭い臭い!と、家族からの非難殺到でもへへへと笑っている。


風邪でもない、体の外部的要因や原因はなくとも、『心』が疲れていたら仕事をしっかり休む。


自分の大好きな事にかける時間を惜しまない。どんなに忙しく忙殺されようとも、その時間だけは絶対に譲らない。


...


"どんな事にも"


それは、社会的ルール・常識・親しい人・「嫌い」「ダメ」という概念に惑わされない事。


私たちは一人では生きていけません。

人との関わりがあって初めて自分という存在も知れるからです。


その世界の中で必ずみんな生きる事になります。


たくさんの人やモノ・動物といった、たくさんの関わりがある中でみんな生きていきます。


しかし、そうなると「自分」を知らず知らず見失ってしまうのです。


世界が広く大きすぎる事、多くの価値観がある事、その為に一定のルールや常識がある事..


特にルールや常識は、世界をただスムーズにする為の事にすぎません。


ただ、それだけです。

それだけなのです。


何が言いたいかと言うと、

ルールや常識が一番大事な事でそのレールから絶対外れたらダメと思い込んでる人がほとんどだと思います。


果たして、果たしてそうでしょうか。


自分の人生のレールは、そんなものに後付けで作られた単調なレールなのでしょうか?


どちらが先なのでしょうか。

ルールや常識というループのレールが先にあり、そこを自分が延々走ることになるのか。


もしくは、『自分』という創造的なレールが先にあり、ループレールはその中の一部となるのか。


例えが超絶、、、微妙ですが笑、

本質的なもっともっと奥深い所が大事!という事をただお伝えしたかったです。


決して、ルールや常識を否定している訳でもなく、破り倒せ!刃向かい続けろ!守るな!


と、言っている訳でもありません。笑

そうではなく、


ホントの所、どうなの?

自分。自分の心はどうなの?



そんなシンプルすぎる疑問

非常に大事という事。


そして、その自分にしか感じれない、

わからない心のアンサーに従い行動する勇気が大事という事。


だから、ルールや常識では測れないんです。

わからないんです。当然です。


そこを強く言いたかったです。


自分を大事に

できるのは、

自分しか

いない。


忙殺される波に飲み込まれるのでなく、

いつも舵を取っているのは自分。


自分で決める。

自分が本当にどうしたいのか。


会社や家族や両親や友人や影響力のある人が決めるんじゃない。


いつも自分で舵を取ることだけに

集中していればいい。


それが、


自分第一主義、自分サイコー、

自己中=自分に夢中♪5時に夢中♬自分が世界で誰よりもパーフェクト!


これをホントに心から真剣にやっていくと、


人からどれだけ非難されようとも、

100人中100人、あなたの事を否定しようとも、


動じなくなります。


そんな事、どうでもよくなります。


そして、自分の事が大好きで大好きで

仕方なくなってどんどんどんどん楽しくなります♪


私のダディは、これを地でいってますが、

ホントに動じません。


そして、"自分の魅力しかない"人になっています。


それって、長所も短所も全部が愛らしく、

素敵に思えてしまう事が本当の意味での『魅力』と私は思っています^ ^


足が短い事もずんぐりむっくりな所も何だか愛らしく見える父は、


とてつもなく、

魅力に溢れていると♪笑


そんな感じです♪


だから、みんな怖がらずに

自分の「心」「感覚」を大事にしていけばいい!と私はそう思います。


長くなりましたが、少しでも

楽しく・幸せ・ハッピーに!と思っております☺︎


人生、長いようで短い。

明日もあるかもわからない。


だから、自分第一に今を楽しみましょう♪☺︎


いつもありがとうございます^ ^



 

理解は必要か。必要なのは尊重

 

こんにちは^^

今日はこのテーマで書かせていただきます☻

 

~✶✶✶~

 

この感覚なんですが、これまで色んな経験・体験をしていって

自分自身の内側からめちゃくちゃ感じた感覚でした。

 

結局、自分のことや相手のことはどこまでいっても完全には理解できないとある時悟りました。

それは自分自身の価値観もそうですが、自分の目に見えない心の感覚もその人だけにしかわからないからです。

 

どれだけ愛し愛された家族や恋人でも、その愛の深さやかけてきた年月・時間の長さは全く関係ないことだと。

なぜなら、人はみな唯一無二の存在だからです。

 

40年以上過ごした親も、70年以上過ごした恋人(パートナー)もそれぞれの中に「その人」がいます。

変わることのない不変の魂です。

 

そして、家族や恋人といった概念は、我々人間が社会生活を営む上で勝手に生まれた概念です。

家族は単なる組織の名前、恋人は単なる固有名詞です。

 

このように表現するととても冷たく、淡泊に聞こえるかもしれません。

ですが、あなたの人生は誰が責任を取ってくれるのでしょう?

 

最後の最後まで、あなたの命を終える時まで、あなたの両親やあなたの恋人はずっとあなたの人生に寄り添えるのでしょうか。

大抵は両親は先に命を終え、恋人もまた、まったく同じタイミングで命を終えることはありませんよね。

 

究極は、やはり人間は一人で生まれ一人で死んでいく..と、そう思っています。

そして、それもまた自分や誰かが選択できることでもありません。

 

この時に死にたい..などはほぼ選択できません。

受け入れるしかないのです。

 

どうあがいても、その事実を受け止め次に進むしかないのです。

少し内容が重くなりましたが、感覚的にはそれと少し似ています。

 

苦手な人・嫌な人・好きな人・居心地のいい人・大切な人..色んな人がそれぞれいると思いますが、

それらの人たちは完全にあなたの感覚やあなたの信念をすべて理解しているでしょうか。

 

きっと、答えはノーですよね。

そうであれば世界は容易く丸くおさまっています。笑

 

嫌な人・好きな人、どちらにしてもあなたを完全に理解することはできません。

なぜでしょうか?なぜ、どれだけ努力しても理解できないのでしょうか..。

 

それは、ライオンや象やイルカがいるように、あなたや私がいる。

それぞれが冒頭に述べた唯一無二の存在だからです。





 

ライオンの感覚や信念を象は理解できるのでしょうか。

象の感性や信念をイルカは理解できるのでしょうか..。

 

ノーですね。

でも、彼らは理解ではなく尊重し互いを生きているのではないでしょうか。

 

そうやってそれぞれの大事な世界観を保っているのではないでしょうか。

 

ああ、象はいつもあそこの水飲み場で休憩しているな、泥のような水なのになぜあそこにいつも行くのか..

と、遠くで見てるライオンには全く理解できない行為です。

 

でもライオンは、「ま、水も泥も好きな『象』なんかな、よくわからんけどあれが象なんか..」と。

 

ああ、高い崖からいつも雄叫びのような大きな声が聴こえるな、何に対してあれほど大きな声を出しているのか..

と、海辺まで響く雄叫びを聴いたイルカには全く理解できない行為です。

 

でもイルカは、「あれが百獣の王『ライオン』なのか、雄叫びの意味は全く不明だけど、あれがライオンらしさなのかも..」と。

 

それぞれの立ち位置からすると、マジで全く理解できない行為だと思います。笑

でも、それを完全に理解できていなくとも、尊重するという落としどころを持っています。

 

「ああ..あれが象なんか..」「ああ..あれがライオンらしさなのか..」と。

全くよくわからなくても、全く意味不明でも、「ああ、あれが..」という少し大きな視点の感覚が上手く彼らが保っているバランスなのでは?と思います。

 

これが人にも当てはまると思っています。

どうしても頭で理解できないと、その人を許せなかったり好きになれなかったり..という感覚があるかもしれません。

 

でも、わからないものはわからないんです。笑

凄いデザイナーの作品の良さやぶっ飛んだお笑い芸人の感覚もわからないでしょ?

 

でもそれをわざわざ理解しようとしていますか?

きっと、わからないけど良いという感覚であったり、わからないけど面白いという感覚だと思います。

 

それと同じで、身近な人や大切な人、好きだからこそ理解して欲しい!と思う人こそ、

この感覚でもしいれたなら、きっとより深い関わりやお付き合いができるのかなと思っています。

 

そして、そんな人間関係が広まりできたなら、世界はもう少し互いを理解ではなく

尊重できる世界になるのかな~とも思いました。

 

そして、そうであって欲しいと心から強く願うので、この記事も発信させていただいております!✶

 

誰かと交わり関わる時、理解しなければ..!や理解できない..!の前提があるからおかしくなるのだと思います。

そもそも自分もあなたも誰にも理解できないという前提があれば、もっとスッキリ楽になるのではないでしょうか。

 

✶✶✶「理解」するという感覚でなく「尊重」する感覚が広がり続けますよう^^✶✶✶

 

読んで下さりありがとうございます^^





個人セッション、はじめました^ ^
ご興味ある方はプロフィール欄をご覧ください〜♪

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「二人の自分」がみんないる。

 

 

こんにちは^^

今日は、少し前から書きたかったこのテーマを書かせていただきますね♬

少し精神的なお話です!笑

 

☻♬☻♪☻

 

「二人の自分」って何やねん?天使と悪魔的な?とイメージされる方もいると思います。

めちゃくちゃ簡単に言うと、ホントそんな感じです。誰しもの中にその天使と悪魔が存在する..

 

じゃあ、その天使と悪魔って具体的にどんなものかと言うと、

私が思う天使と悪魔は、結局『心』の自分と『頭』の自分という二人です。

 

よくスピリチュアルな癒しのアドバイスなどで、心を大事にして~とか心の声を聴いて~とか聞くと思います。そして、今では企業のメンタルヘルスケアなどでもそんな言葉や標語を目にしたりする事も当たり前になってきましたね。

 

が、心の声を聴く..

えっ?わからん..(◎_◎;)となる方、結構います。どういうこと?どうすればいいの..?心って何..?と。

 

この感覚の方が圧倒的に多いんじゃないでしょうか。でなければ、心の病がこんなにも大々的に周知されないと思います。メンタルヘルスケアという新たな企業でのサポート部隊も立ち上がらなかったでしょう。

 

ということは、ですよ、、、それくらいまでに我々現代人は『心の自分』の方を見逃して生きているということです。もしくは、そのもう一人の自分がいることも知らないまま・わからないまま生きてしまっている..

 





だから知らず知らずの内に、気づかず心の病に陥ってしまっている..。

 

そんな構図が浮かびます。そして、実際に私は感覚的に感じてしまいます。ああ、100%頭優位で生きてしまっているのか~しんどいだろうな~と。自分が色んなことを勉強させて頂いたおかげでそんなこともわかるようになりました。

 

その生き方を否定している訳でもなく、悪い訳でもないのです。ただ、どうあがいても、その生き方のままではずっとしんどいことに変わりはないと感じるからです。

 

なぜ、そう思うのか。その根拠は?を、お伝えしますね。笑

 

人間には心という目に見えない温かいエネルギーを宿しています。これが人間の最大の素晴らしい点でもあると感じています。人間特有ですね。

 

そして、もしその心の自分なしに100%頭優位でずっと生きていると、その人の心はずっとずっと置いてけぼりのままですね。人によっては、心のエマージェンシーが作動し、うつ病や心の病にかかってしまう人..

 

はたまた、頭の生き方に慣れ親しみすぎてしまい、その感覚が当たり前でその世界しかないじゃん・もうこうしか生きれないじゃん、と半ば諦めとやさぐれと怒り半分のような感覚で生きてしまう人..

 

前者はシンプルにしんどいですし、後者は人生に対して常にネガティブな生き方、もしくは頭の解釈・枠内の世界観だけで生きているのでまるで籠の中の鳥のような捉われた感覚が常にあるのでしんどい..。(←社会的に"幸せ"とされる定義でいても自分は全く幸せではない感覚です)

 

そして、人生の終焉にきた時にようやく後者は気づいてしまうのです。もっと自由に生きればよかった..と。

心が最後の最後に溢れ出し、後悔してしまうのです。

 

というような感じです。で、心の病にかかってしまえば、嫌でも心にダイレクトに触れるので『自分の心』というものを感じれるのですが、後者は中々触れれる機会がありません。むしろ、頭の解釈ですべて良い・悪いを捉えるので厄介です。

 

ただ、現代人に圧倒的に多い生き方の感覚は後者と個人的には感じています。

何が正しいのか..正解探しの生き方は、もろに頭の生き方だからです。

 

さあ、では正解探しの生き方をするとどうなるのか。

 

心の声なんて聴こえません。まったく。

 

でも自分は発しているのです!実は..

その押し問答が脳内で無意識にされているだけです。


だけど、無意識ですし、更にその頭の解釈や正解とされる答えの方が人生においては有利と解釈してしまいます。

 

だから結果、心の声が何千回と発せられたとしても、その有利な回答の方を脳が選択してしまうんですね..。それは、現代社会が生み出した文化的背景は大きく関係しているのではないかと思っています。また、社会的背景も然りですが..。

 

私はスマートフォンの普及が割と大きな影響ではないかと考えています。それ以外も色んな影響はあると思いますが、自分の感覚や感性で考えなくともスマホは何でもすぐに教えてくれます。その感覚が今は当たり前にあるので、自分の感覚や感性は無意識になくなり何が正しい・何が良いかのみの感覚に陥りやすいかと。

 

例えば、新しい化粧水を購入しようと頭で考えたとします。選択肢が3つあるとします。

①仲のいい美容系に強い友達おすすめの化粧水②スマホで検索した口コミ№1の化粧水③自分がなぜか無性に惹かれる(パッケージでも説明文でも)無名の化粧水

 



さあ、あなたならどの感覚でどれを選び取りますか?(急に思いついた独自心理テスト開催!(゚∀゚)笑)

 

①を選んだ人..

仲のいい美容系に強い友達のおすすめの化粧水を選んだあなたは、頭と心の感覚、半々くらいです。美容系に強いという実績や論理がある(頭)ことと、仲のいい友達だから(心)といった二つの点で無意識に選んだのではないでしょうか?だいたいこの二つの感覚が半々くらいだったならその比率です。ただ、人によっては実績や論理の方に強く惹かれ、仲のいいは少しだけ(7:3・8:2)などの感覚であれば、その比率です。

 

②を選んだ人..

スマホで検索した口コミ№1の化粧水を選んだあなたは、ほぼ頭優位の感覚です。そこにあなたの感覚や感性はあまりありません。あなたの特性とあなたのデータに合致したモノであり、そしてその上で「いいね」とされる優秀であろう化粧水を選んだ、とても論理的手法での選択だからです。300人中、250人がいいねとされている化粧水。実績的にも間違いないという根拠が数字・結果として見てとれる、まさに頭で分析されつくした選択です。(※ただし、前から使ってみたかった・憧れなどの心が躍るような感覚がそこにあるのであれば、それは心の感覚もある方なので①の比率を参考に。)

 

③を選んだ人..

自分がなぜか無性に惹かれる(パッケージでも説明文でも)無名の化粧水を選んだあなたは、心優位の感覚です。ただただ、あなたの心がときめき・何かわからんけどワクワクすっぞ!の感覚で無名の、口コミとかもスルーの化粧水を選んでいるかです。理屈や根拠などでなく、あなたの心がただ湧き上がる感覚で選んだからです。

 

こんな感じでしょうか。化粧水を例にあげましたが、あなたがリアルに感じれるモノでぜひ置き換えて頂くと具体性が増すかなと思います!

 

そして、この例を見て感じて頂けたかと思います。心の感覚を何となく..♪笑

たったこの感覚の違いだけなんですが、この選択を選ぶことがまた、至難の業..。

 

親・友達・職場の人・社会などなど..あらゆる人の影響や支えがあり生きているからです。

自分が欲しい!と思った無名の化粧水ですら、え、あんたおかしくない?普通こっち(②)選ぶっしょ!とす~ぐなる。

 

そうなると、え、やっぱ私の感覚っておかしいのかな?でも③が一番気になるのに!!でも、②が私でなく、大多数が推してるしやっぱそっちの方がいいのかも..と。

 

ここでこのように②の影響を受けたりしてせっかく③(心)にしようと思っても頭が作動してしまうんですね!!

 

そして、こうなると論理的・数字的・実績的によくみえる②が良いと解釈し、結果自分の心で選ぼうとした③ではなく②を選ぶことになる。

 

こういうことの繰り返しが日々行われ、日々あなたの心が置いてけぼりになっていく..。

そして、こういう出来事が知らず知らず積み重なり、自分への自信も無駄に削られていくことになる..。

 

そうなると、自分の声に自信もなくなっていき、余計自分の声より大衆の声が正しいんだとなり、どんどん心の声を聴かないような構図が生まれるのです。

 

だから、自分の中に天使と悪魔なんかおらず、一人のみと思ってしまいます。でも、実際は左脳と右脳があるように、顕在意識と潜在意識があるように、あなたの中に頭の自分と心の自分が必ずいます。

 

頭の自分は、生きる為に必要な知恵や知識・スキル、分析や計算・計画を得意とした生き方です。

心の自分は、自分を生きる為に必要なワクワクや湧き上がる喜び・幸福感、リラックス、好きな事を自由にできる自己表現を得意とした生き方です。←だいぶ簡単にまとめてみましたが!笑

 

そして、頭の自分から心の自分に気づくことは容易ではありません。

脳は一日に6万回以上もの思考を常にしていると言われています。日々の色んな情報整理や選択を無意識にこの脳が処理してくれています。こんな回数、意識あるまましてたら身が持たないですよね(゚∀゚;)笑

 

という所で、まずはこの自分の無意識の感覚を知ることから自分の心の声が聴けると考えております!

ま、そんな感じです!笑

 

最後、超ー--雑いですが、お伝えしたかったことは、

*自分の中(意識の中)には二人いるんだぜ!

*こんな仕組みで心置いてけぼりなるんだぜ!

を、お伝えしたかったです笑

 

そして、自分の無意識の事心の声の気づき方などは、私もお手伝いできますので、ご興味ある方はお気軽にどうぞ^^

 

ここまで読んで下さりありがとうございます!

 

 



無意識・心の声、聴けるよ〜!セッションやってます!笑 お気軽にどうぞ🐕

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向かって行こう、

生命ある限り。

その生命のバトンが

今あるのなら、

向かって行こう、恐れずに。



幾千もの積み重ねと大きな大きなうねりの中で

生まれたこの小さな生命。

その小さな生命の積み重ねこそが

膨大な世界を創り上げるたった一つの生命のバトン。


どんな時も絶えず生命は芽吹き、

生命は朽ち果てる。

だが、どう在ろうとも、

私たちの生命は、生きた証は、

その大きな大きなサイクルの一部になる。必ず..✴︎

それがやがて、繋がっていくのだ。

あらゆる事や物や人や自然や神..

すべてに..✴︎


あなたの生命に大小も優秀さも何もない。

ただ、あなたが在ることだけが、

あなたが生きていることだけが、

とてつもなく尊く価値ある一部だと感じて欲しい。

だから、どんな状況にも騙されず「あなた」を生きて欲しい。

生きることを恐れなくていい。

必ず繋がる。

すべてに、あなたに..✴︎














どっちを信じる?

人の言葉か、自分の信念か。


どっちを信じる?

綺麗だけどつまらない見せかけのプライドか、

ダサいけど真っ直ぐな本物のプライドか。



どっちを信じる?

無数に溢れる不可解な情報か、

無限に広がる純粋な感覚か。


どっちを信じる?

目に見える事実か、

目に見えない真実か。


どっちを信じる?

世界中の人々の成功体験か、

世界でただ一人のあくなき創造力か。


どっちを信じる?

愛のないゴージャスな贈り物か、

身体中に愛が伝わる熱い抱擁か。


どっちを信じる?

夢は夢のままだから美しいんだ..!

夢は実現できるものだから素晴らしいんだ..!

...

いつもあるのは、

どちらかの選択だけ。

そして、いつも

どちらかの「信じる力」を使っている。



あなたはどっちの世界を信じて歩いていく?










今、自分の中に深く閉じこもっていますか。

生きていることが楽しくないですか。

自分のことが嫌いですか..?

...

何をやっても上手くいかない自分を責めていますか。

迷惑ばかりかける自分が嫌で嫌でたまりませんか。

人の声や人の目が気になる自信のない自分がいますか。

自分で決めたこともまともにできない自分に呆れていますか。

社会になじめない・みんなのように「普通」に生きれない自分はダメだと思っていますか。

そんな自分は繊細すぎるからダメなんじゃないかと思っていますか。

人と違う価値観・思考だからダメだと否定していますか。

どんなに人から褒められても信じられないほど、自分のことが嫌ですか..。

本当に、心から自分の事が大嫌いですか..?

...


そんな自分を、やめたいですか?


できることなら、もうこんな自分を放り投げて、別の人になって生きたいですか..?

...

一度、この問いを自分に投げかけ、自分に聴いてみて..

きっと、あなたの内側から大量の涙が溢れるでしょう..。



そしてきっと、あなたの答えは

「No」。

だって、ホントは知ってるから..


ホントはホントは誰よりも

自分を愛したいと心底想っているだけだから..

そして、自分の人生を

ただ幸せに生きたいだけだから..。


✴︎


心の奥底のあなたに会いに行ってみてください。

必ず会えます。

辛い時こそ、悲しい時こそ、自分の声を聴きにいってみてください。

感じますから..内側から..。

そして、自分を責めて責めて責めて..

その自分に対しても一番悲しんでるんだよね..自分が..。

もう嫌なんだよね..そんなこともホントはしたくないこともホントは知ってるんだよね..。

✴︎

どうか、抱きしめてあげてください。

ご自分を。

どんな姿・状況も関係ありません。

必死に必死に、必死に生きてきたのです。

ただ、少しわからなかっただけなのです..

生き方や「自分を表現する」ということが..。

ただ、それだけなのです..。

今あなたがこの世に生きている事、ここまで生きてきた事がどれ程の奇跡か..

抱きしめて抱きしめて抱きしめて..あなたを称賛しよくやってきたんだね、と言葉にしてください。

✴︎

どうか自分を生きる勇気と許しとチャンスをご自分に与えてください。


大丈夫です。
信じてください、ご自分を..✴︎















私の胎内記憶を遡る。


こんにちは^ ^

ふと、自分の中から湧き出るインスピレーションでこれからは記事的文章も発信していこうかと思います!


これまでの自身の人生経験を綴っていこうかと^ ^色んな体験・経験されてる方はたくさんおられると思います。


そんな中で、私もこんな体験したんだ〜!と発信し何か励みや共感・勇気や癒しなどに繋がれば嬉しいです^ ^


✴︎


今日、ふと湧き上がったのは私の胎内記憶についてです。


いきなり、中々パンチある内容ですが笑、もう私自身をそのまま発信していきたいので関係ねえです!


ただただ、思いついたまま書かせていただきますね!笑



✴︎✴︎✴︎



あれは確か小学2,3年生の頃..


ポケモンの映画、ミュウツーの逆襲を映画館に見に行った時にその記憶をはっきりと思い出しました。


私が母のお腹の中にいる時の記憶を..。




映画の中でミュウツーというポケモンが人工的に造られ生まれる瞬間があります。


そこでミュウツーがこう言うのです。


「私は誰だ?何の為に生まれる?」


「私は誰で何の為にこの世に産まれ生きる?」




こんなニュアンスの事をミュウツーが言うのです。


そして、そのセリフを聞いた私はハッとしました。


..同じだ...と。


その感覚、


私もそうだった...と。


自分でも体の中全身に電気が走ったような、そんなハッとする感覚でした。


ですが、全く、ミュウツーと同じ感覚で私も胎内におり、そこから無理やり出された感覚を鮮明に覚えています。


母のお腹の中にいて、ミュウツーと同様のことを考えている内に、


まるで光の滑り台のような感じでポンっとこの世に生まれ出ました。


そして、出た瞬間にあなたの名前は〇〇△子ね!と、光の使者?番人のような人?に言われ、その名前で今世は生きていきなさい、と。


私に名前なんてものは存在しない。


あるのはこの永続的な魂だけ。


どうして名前なんかを勝手につけられ、その名前の人(人間)で生きなくてはならないのか..。


そんな事を強く想いながら、疑問を感じながら気づけばもう〇〇△子の世界で生きていたという感じでした。


...the END✴︎...


これが私の胎内記憶です。


さあ、信じるか信じないかは、あなた次第です。笑


ま、ホントこれは捉えられる方にお任せします。

ただ、私は事実としてそのまま書かせて頂いてますので、それは尊重して頂けると嬉しいです^ ^


この記事で私が何を発信したいかと言うと、

"面白さ"や"未体験なこと"でしょうか。


私は色んな体験・経験をすることが大好きです。


自分が体験・経験するのはもちろんですが、人の体験談や経験談を聞くこともとても好きです!


そんな観点から、こんな体験してる人ホントにいるの!?というビックリ箱感覚で何か楽しみや刺激になればな〜と思い書いてみました!


なので、本人はいたって当たり前の感覚で、あまり深く捉えていません。笑


とにかく楽しんでもらえれば嬉しいです^ ^


〜✴︎〜


余談ですが、こないだ妹とこの話をしていました。


当時の私は妹にもこの記憶があった事を素直に話していたよね、と妹に言われ、確かにそうだったな〜と。


妹と母に当時話した記憶があります。

当然、二人ともへ〜・ふーんで聞き流していましたが。笑


当時の私は何で信じてくんないのよ!と純粋に思っていました。


本当なのに..何で?と。

おかしな事を言ってる空気感もすごく、ただただスルーされてました。


そういった経験の積み重ねがあり、自分の霊性さや純粋さ・感覚・直感をどんどん信じれなくなったんだな〜と、この記事を書かせて頂いて改めて思いました。


自分だけにしかわからない感覚。

人には到底理解してもらえない感覚。


それが生きづらさや孤独を生んでしまうのかもしれません。


もし、もしあの当時にたった一人でも私の事を理解してくれる人がいたのなら、きっと変わっていたと思います。


一人でも、「そうなんだね」と心を込めて聴いてくれていたのなら、私は自分の感覚をあの時から信じれていたかもしれません。


...


急に真面目な感じになってしまいましたが、そう感じました。


そして、だからこそ、こういった経験の積み重ねがあったからこそ、私は子供のように純粋にその人の事を信じたいと思っています。


信じる力・信じてもらう力は、それだけですべてを包み込んでくれるすごい力だと感じます。


色んな体験を通して、私は純粋で真っ直ぐな人で死ぬまでずっといたいと思っています!


何だか話がズレ込みましたが、伝えたいことはいつも同じです!笑


私はいつも愛を届けたいと思っております!


以上です^ ^


ありがとうございます^ ^




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個人セッションもやってるよ☺︎
何か感じるものがあればいつでも待ってるね☺︎