あるものをなくして。

 

どこ探しても見つからず。

 

なくしたのは腕時計
ろれこさんという名前をつけて

かわいがっていた。

 

 

 

ろれこさんは

思い入れのある腕時計

何度もオーバーホールしながら

30年以上一緒にいた。

確か、ジムで外して

ジムバッグにしまったはず。

駄菓子菓子ない。

 

ポケットも全部

ひっくり返したけどない。

 

忘れ物や落とし物で

受付にも届出はなかった。

 

じゃあ家か?と思い

ざっくりな私にしては

かなり探したけど、ない。

 

 

 

半ばあきらめた頃

近所の神社に出向き

おみくじを引いた。

 

見てみると

 

失物(うせもの):

近いところにある

出てきます

 

って書いてある。

 

 

マジか!?

近くにいるのか!?

おみくじを引く時は

 

「今私に必要なメッセージをください」

 

ってお願いして引いて

書いてあることを

全面的に信頼するモード。

 

 

 

ふりだしに戻りまた探す。

 

ジムバッグから見てみるか、と

荷物を全部出して

空のリュックをガサゴソ。

 

すると

ろれこさんではないけど

やっぱりなくしてた

ジム用のマスクが出てきた。

 

私のリュックの底は

シューズを入れられるように

別のお部屋になってる。

 

上のスペースと

そのスペースの仕切りは

靴を入れてないと

布が余ってたるたるしてる。

 

マスクはその

たるたるした折り目に

見事にもぐりこんでた。

 

これでは見つかるまい。

 

ってことは、もしや…

 

そのたるたるした部分を

ガサゴソしたら

 

 

ろれこさん、いた、いたー!

わぁぁぁぁぁー( ;∀;)

 

 

 

マスクもろれこさんも

戻ってきた。

 

おみくじの

 

失物(うせもの):

近いところにある

出てきます

 

の言葉の通り

近くにあって出てきた。

 

 

 

今回は

おみくじ、という形で

聖霊に助けてもらった。

 

聖霊という言葉でなくても

私たちをいつでも

助けようとしている存在、と

言ってもいいだろう。

 

自力じゃなんともならんこと

なんとかしてもらった。

 

これが

 

天と二人三脚で生きる

 

ってことだよな…としみじみ。

 

あちらは体がないし

そもそも物質世界ではないので

担当外な部分もあるワケだ。

 

采配お膳立て部、天国

実行部、私たち

 

って感じだろうか。

 

 

 

スマホいじってたり

ないと嘆いて座ってたりで

隣にろれこさんが

置かれたワケじゃない。

 

近くにあるよ、と言われて

そうか、とまた探さなければ

出てこなかった。

 

 

 

天の助けとは

 

なんでもかんでも

やってくれることではないし

望み通りに、思い通りに

してくれることでは

 

ない

 

ないのだ。

 

うーん、ま

ゼロとは言えないけど。

 

 

 

天の助けを思う時

私の感覚に一番近いのは

車のナビ。

 

目的地を入れると

こっち、と方向を示され

そこに向かって車を走らせると

その場所に着くのがナビ。

 

天の助けもそれと同じで

私たちの願いが目的地なら

それを入れると示されるのは

方向だ。

 

ナビで目的地に行くには

ナビに目的地入れて

車にガゾリン入れて

運転することがマストなように

 

天と二人三脚するなら

それと同じようなことが

マストになるだろう。

 

 

 

腕時計をなくした例で言えば

 

おみくじ引いて

近くにあると示され

 

なんとなく

またジムリュックの中を

探してみようという気になって

よーく探したら見つかった。

 

天ナビは

 

なんとなく思い浮かぶこと

誰かや何かに情報をもらうこと

そうせざるを得なくなること
(とか、ホントいろいろ)

 

などで方向を示す。

 

時には

たとえそうしたとしても

 

なんでこうなっちゃうの?

 

と思うようなことに

なることもあって

 

喜ばしくないことで

半ば強制的にそっち

つまり行くべき方向に

引っ張って行かれることもある。

どんどん悪い方に行くように

見えることさえある

 

いずれにしても

そうしたもので動くことで

または動きを止めることで

天が用意したものに

向かって行くことになる。

 

采配お膳立て部、天国

実行部、私たち

 

だから。

 

あちらは体がないし

そもそも物質世界ではないので

担当外な部分もあるから。

 

何かしたくなったり

何かしたくなくなったり

そういうのも

 

天ナビ

 

の誘導なんだろう。

 

こんな準備してるから

これこれこうしてね、って

電話やメールやLINE

くれたりしたら

どんなにかいいだろ、って

思うんだけどね(笑)

 

 

 

そして、たとえば
思い浮かんだことをやるってのは

その「やる」こと自体が

大切なのであって

(やらないことも含めて)

 

だからどうなった

どうならなかった、ってのは

重要視しないことにしてる。

 

スタンプラリーみたいに

目的地までには

いくつもポイントがあって

 

こんなやつな

 

それが目的地までの

途中のポイントならば

通過地点なのであって

何もなかったりすることは

私の体験上よくあること。

 

そこでいちいちへこまない。

 

思い浮かぶことって

それでだけで

まずはいいんだよね。

 

それって

すごいことだと思うんだよ。

 

それをやった、ってこと自体が
大事なんだ。

 

 

 

助けてもらう
救ってもらう
ってことって

 

望み通りにしてもらう

思い通りにしてもらう

自分がいいようにしてもらう

 

というのとは違うって
はつくづく思う。

 

これは
天との繋がりだけじゃなく
人との繋がりにおいても言える。

 

自分に都合のいいことだけが
自分にとって喜ばしいことだけが
助けや救いじゃない。

 

その時は

 

ガ━Σ(゚Д゚;)━ ン

 

ってなっても

 

後になってそれは

自分にとって尊いことだった、と
わかったりね。

 

結果、それがあったから
いい方に行ったり

大切なことに気づいたり
足りなかったものを学んだり。

 

この年齢になるまでに

そういう体験が

あまりに多かったし
それは否めない。



話が斜めにそれてきた。

 

 

 

私たちは本来
いつでも天との二人三脚。

 

そんなこと
考えもしない頃からずっと。

 

 

 

私たちって
導かれない、ということは
救われない、ということは
決してなくて

 

導かれている
救われている、と
目先のことを見て
単に思えないだけで

 

本当はいつだって
導きの中にいて
完全に救われるまでの道のりを
歩いているんだと
 

確信してると言っていいくらい
思ってるんだ。

 

だから何の根拠もなく

大丈夫、って言える。

 

自分にも、人にも。

 

 

 

ひとつだけ、私としては

絶対に言えることは

天は私たちを幸せにしようとしか
してない、ってこと。

 

試練なんか与えないし
お試しなんかしないし

私たちを苦しめようとは

決してしてないってこと。

 

私たちは自分で苦しんでるんだ。
 

厳密に言うと
真実を知らないまま

自我のなんちゃってな信念に

苦しんでるんだ。

 

真実に出会って
それを自分のものにしていくことは
苦しみを終わらせること。

 

 

 

そのレッスンが
私にとっては奇跡のコースで。

 

なんかそれが
自分の当たり前になりすぎて

コースが特別なものでは
なくなってしまった感がある(笑)

 

特別なものではないけど
大切なものだ。

 

だからなんだってーんじゃないが。

 

 

 

腕時計なくして
そんなことを考えた。

 

 

 

ついでに言うと、おみくじが
吉であろうが、凶であろうが

気にならないタイプです。

 

書いてある内容の方が大事。

 

 

 

 

 

 

合格

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