どうも。
奇跡のコースヲタクを
目指してるエイミーです。

 

ヲタク見習いなりに
奇跡のコースのことを
だらだら語ってみようと思います。

 

ささ、そのまま
スクロール・プリーズ
な(笑)

 

 

奇跡のコースって
一体なんなんだよ、って話はさておき。
(さておくんかい・笑)

 

 

 

奇跡のコースの「奇跡」って
私たちが普段使う意味合いでの
奇跡とは違う。

 

普段使う奇跡は
すごいこと、素敵なこと
めっちゃラッキーなこと
あり得ないこと
そんな何かが起こることを言うけど

 

奇跡のコースの「奇跡」は
そうじゃないんだな。

 

私がコースを学び始めて
まず疑問に思ったのが

 

「奇跡ってなんだ?」

 

だった。

 

奇跡のコースにこんな言葉がある。
 

 

奇跡とは訂正することである。

それは創造するのではないし、実際のところ何も変えるわけではない。ただ荒廃状態をながめて、心にそれが見ているところは間違いだと気づかせるにすぎない。

 

奇跡の道 学習書 二部
十三 奇跡とは何か ・ 第三百四十課

 

 

そう

 

奇跡とは訂正すること

 

なんだそうだ。
(まんまやんけ・笑)

 

何を訂正するのかと言うと
私たちの知覚。

 

知覚について
Macに入ってる辞書に
教えてもらおう。



 

 

つまり
私たちが認識するもの

見るもの、聞くもの、感じるもの

そこから考えるもの
理解するもの、解釈するもの

 

そんなもんみんな。

 

それを訂正することを
「奇跡」と言うんだ。

 

 

 

なんで知覚の訂正を
するのかって言うと


私たちの知覚が

間違ってるから

 

なのだそうだ。

 

間違った認識を
正しい認識にしようなー


というのが奇跡のコース
と言ってもいいだろうな。

 

 

 

なんでもそうだけど


間違いを正すと

間違いによって
できていた「ひずみ」がなくなって
間違いがなかった時の
いい状態になる

 

じゃない?

 

コースはそこを目指してるんだな。

 

その「ひずみ」とは
私たちが認識している
問題、悲しみや苦しみ
解決できない何か
救われない何か
そうしたものすべて。

 

それがなかった時の
いい状態、つまり「元の状態」に
戻るためのことを
学んでるというわけだ。

 

 

 

簡単に言うと

 

昔の天動説で

「地球は宇宙の中心にあって
 太陽や月や星がこの地球の周りを回っている」


という認識を

「宇宙の中心は太陽であり
 地球は他の惑星と共に
 太陽の周りを自転しながら公転している」


という「地動説」に
知覚の訂正をするみたいなもの。

 

とんちんかんな知覚を
本当のものに訂正する。

 

 

 

奇跡のコースでは
終始この知覚の訂正をやってて

 

タイトルが奇跡のコース
つまり「奇跡の講座」であることが
うなずける。

 

 

 

私たちがこの世界で
見るもの聞くもの
これはこういうものだな、と
感じたり解釈したり理解したり
してるものすべてが

 

それ本当のことじゃないっス

 

ってことで
 

そう、私たちにとって
そして、この世界で
当たり前になってることが
これはこういうものって
なってることが

 

全然本当のことじゃないっス

 

ってことで

イエス・キリストが
ざっと50年くらい前に
ヘレン・シャックマンさんという
アメリカの女性に

 

 

 

あのー
私が言うこと
書き取ってもらえます?

 

なんかみんな
本当のことじゃないことを
本当のことだと思って
とっても大変そうなので
ゴニョゴニョ…

 

 

 

って、脳内通話で
話しかけたきたことが
本になったのが奇跡のコースなんだ。

 

かなりざっくり言うと。

 

だから
イエスによる講座を
受けてるって感じ。

 

なんかすごい講座だな、ヲイ

 

イエス・キリストって言うと
宗教的感じがするよな。

 

私は無宗教で
お墓のあるお寺はきっと曹洞宗
そこの檀家なので

無理やり宗教を持ってくるなら
仏教の曹洞宗です、ってことかな。

 

奇跡のコースは
宗教やお墓がどことか関係ない。

 

 

 

イエス・キリストには
言いたいことがあったんだな。

 

2000年くらい前に
人間だった頃に
一生懸命伝えたらしいけど
全然伝わらなかったんで

 

しかも
伝言ゲームみたいに
言ったこと違って伝わって
 

時には誰かがちょいと
ねじ曲げたりで

マジうまく伝わってないんで


今度はヘレンさん使って
もう一度チャレンジしたもよう。

 

で、何が言いたかったのか
って言うと

 

私たちは完全な愛

 

ってこと。


無条件に。
全員例外なく。

 

 

 

でもさ、そう思えないわけよ。

そう知覚できてない。

 

愛に見えない誰か
愛に見えない自分
そんなんばっかなわけ。

 

ムカつく人
それってどうなのって人
納得いかねぇって人


キライな人、憎たらしい人
こわい人も、苦手な人、合わない人
 

いるいる、いっぱいいる。

 

むしろ
みんな愛、とか言われると
イラッとしたこともあった。
私は。

 

そもそも
自分が愛だなんて思えない。
 

人がどう見えるかは
全部自分の投影だし。

 

それなのにイエスは
すべての人が完全な愛だと言う。

 

じゃあ、愛って何?

 

奇跡のコースでは
こう書かれてる。

 

 

この道は愛を教えることを目指しているのではない、なぜならそれは教えられることを越えているからである。

しかしながら、愛は現存する、と自覚することをさえぎるものを取り除くことはたしかに目指している。

そしてその愛はあなたが生まれながらに受け継いでいる。

愛に反するものは恐れであるが、すべてを含み持つものは相反する物を持ち得ないのである。

 

田中百合子さん訳
奇跡の道・序文より

 

 

ってことなんだ。

 

 

 

みなさん完全な愛ですが
なにか?

 

 

 

この世界の愛は条件付き。

 

私たちなりに
この世界なりに
善悪や判断基準がある。

 

だから
愛である人と
そうでない人ができてしまう。

 

人が裁かれていく。


裁判とかじゃなく
毎日の中で裁かれるんだ。

 

何より自分が自分を裁く。

 

私たちはどこかで
自分が罪深いと信じてる。

 

 

 

イエスは
 

それ違うから

 

って言いたい。

でもって

 

本当のこと教えるから

 

って言いたい。

 

 

 

その「本当のこと」が
だらだら書いてあるのが
奇跡のコース。

 

 

 

だらだらが余計です

 

 

 

あ、すんまそん(笑)

 

でね
なんで私たちが
無条件に完全な愛なのかと言うと
 

神の子だから

 

どうだ
にわかに信じられないだろ
意味わかんないだろ
私はわかんないぞ
(ドヤ顔になるとこじゃありません)

 

スピな話ではよく聞くけど
それは情報として知ってるだけで

自分のものになってるのとは違う。

 

もしくはまったく意味不明
もしくはめっちゃあやしい。

 

 

 

奇跡のコースに書いてあることは
理解できないのがデフォルト。

 

あなた方に
理解できることは
神からものではない

 

あなた方に
理解できることは
神からものではない

 

あなた方に
理解できることは
神からものではない

 

(テストに出るので3回書いてみました)

 

そうコースの中でも明言されてます。

 

意味不明だったら順調です(笑)

 

この世界で理解できないとか
わからないって
よくないことのように
思われるけど

 

そうじゃないから。

 

 

 

エイミーさん
わかってるんですか、って
聞かれることあるけど


あまりわかってないです。

 

学び始めた頃よりも
書いてあることは本当だ!って
感じることはすごく増えました。

 

この知覚の世界に生きていたい。
それが元いた場所なら戻りたい。
戻る準備をしてます。

 

 

 

イエスは
わからなくていいから
信じなくていいから
まずは奇跡を見せよう

 

つまり


まずはあなたの知覚を
本当のものに変えよう

 

間違った知覚を訂正して
正しいものにしよう

 

って言う。

冒頭の言葉をもう一度。

 

 

奇跡とは訂正することである。

それは創造するのではないし、実際のところ何も変えるわけではない。ただ荒廃状態をながめて、心にそれが見ているところは間違いだと気づかせるにすぎない。

 

田中百合子さん訳
奇跡の道 学習書 二部
十三 奇跡とは何か ・ 第三百四十課

 

間違いだと気づかせる
つまり自分でやるんじゃなく
気づかせてもらうの。

 

知覚を変えてもらうと
違うものが見えて
気づくんだよ。

 

はっ…
鼻毛ぼーぼーに出てたのに
自分ではイケてるつもりで
ドヤ顔でスカして歩いてた…


って気づくみたいに。


自分で言うのもなんだが
これホントいい例え。
まさにそうなんだもん。

 

 

 

話戻してだね

 

それがつまり
「人生に奇跡が訪れる」
ということ。

 

知覚の変化が。

 

奇跡って
いいことあった
わーい、わーい、とは
チト意味合いが違うんだな。

 

奇跡のコースやったら
いいことがあるんじゃなく
知覚の変化があるってことです。

 

心が変わるってこと。

 

その知覚の変化ために
何かの出来事を通して
何かが働きかけがあることもあるよ。

 

だから、もちろん
いいこともあります(笑)


そうじゃないこともあります(爆)

 

 

 

大事なのは
誰がどうで何が起こったか、ではなく
それを通して
どんな心の体験をするか。

 

知覚の変化があると
それまで見えなかったことが
見えてくる。

 

前出の鼻毛の例のように。

 

そりゃそうだよな
知覚が変わるんだもんな。

 

それは人それぞれの
個人的体験であり
どんなことがどうだとは
ここで一概に言えない。

 

ただ、いずれにせよ
とても素晴らしい体験。

 

もう元には戻りたくないと
きっと思うだろう。

 

 

 

私が奇跡のコースを開いた時
最初に飛び込んできた言葉に
涙が止まらなかった。

 

あなたに一切の罪はない。
それは神によって保証されている。

 

なぜ?
なぜこんな私に罪がないの?

 

そう思いながらも
後から後から涙が溢れた。
 

それは私ひとりの
涙ではなかったと思ってる。

 

その言葉は、この世界の
あらゆる人の悲しみや苦しみへの
答えだと思ってる。

 

私は「何か」を待っていた。
それがなんだかわからないままに。

 

そして、出会った。
奇跡のコースに。

 

私の間違った知覚で
見ていた世界が
見ていた自分が
静かに訂正されていった。

 

その後に見たのは
これまで一度も見たことのない

圧倒的に幸せな世界の片鱗だった。

 

 

 

もちろん
奇跡のコースが
絶対ってわけじゃない。

 

別の入り口もあるだろう。

 

密教だって
奇跡のコースと
同じようなこと
説いてるんだよ。

 

大切なのは
奇跡のコースじゃなく
元いた場所に帰ること。

 

奇跡のコースは
通り道のひとつで。

 

 

 

私はどうにもならないことを
そういうものだとか
仕方ないとかで
片付けたくなかったんだよ。

 

それに耐えられなかったんだよ。
 

この世界に絶望してたし
本当にイヤだったんだよ。

 

奇跡のコースに出会って
「本当のこと」を見始めた時
確かに違う世界があると
理由もなく確信した。

 

そして、それこそが
本当のことなのだと。

 

それから私は
奇跡のコースが大好きになった。

 

本当のことを見せてくれるもの。
帰る道を教えてくれるもの。
私たちを本当の姿に戻してくれるもの。

 

 

 

結果的に
冒頭でさておいた
奇跡のコースって
一体なんなんだよ、って話に
なってたら本望です。

 

まとまってなさは天下一品。

 

きちんと
まとめて書こうって思ったら

きっと私はずっと書けない。

 

だから書いた。

 

うまくできないことを
恐れず行こうと。

 

 

 

 

 

 

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