小学生の低学年の頃かな
昭和だったこともあるのか
我が家の暖房は残念な感じで
冬は極寒だった。
朝、服を着替えるのが
凍えるほど寒くて辛かったのを
今でも覚えてる。
学校である友達が
冬になるとお母さんが
こたつで服をあたためて
ほかほかのを出してくれる
って話してた。
それを聞いて
私もやってもらおうと思った。
明日からは
朝、あんな辛い思いを
しなくていいんだ、って
すごくうれしかった。
↑
やってもらえる前提(笑)
帰ってその話をし
私の服もこたつで
あたためてほしいと頼んだら
母親は激怒し
甘ったれんじゃないよ!
って怒鳴った。
寒くても我慢して着替えなさい
そんな甘ったれが
ろくな人間になるわけない!
って。
すごくがっかりしたし
いきなり怒鳴られて
悲しかったけど
辛いことを我慢することは
偉いことなんだ、って思った。
望むことは
我慢するもの
それが立派なこと
それを自分に書き込んだ瞬間。
それから
ガクブルで寒くて
すごく辛くても
そんな自分が偉いんだと
思うようになった。
それと同時に
恵まれてる人
いい思いをしてる人
ラッキーな人を見ると
ものすごい怒りを感じ
目の敵にした。
我慢も苦労もしてないくせに
いい思いしやがって
あいつはろくでもない
甘ったれのだらしないやつ
そうやって見下した。
で、我慢して
いいことあったかって言うと
全然ない
辛いだけだった。
苦しいだけだった。
でも、それでいいんだ
こんな自分が偉いんだ、って
きっとどっかで思ってた。
思うなよー(笑)
私の中では
我慢して、苦労して
思い通りにならず
そしてまた耐え忍び
そんな自分が偉い
という
全然うれしくない図式が
できあがっとったじゃないか!
そのことに気がついて
ミョーに納得した。
確かにそういう人生
生きてきたように思う。
うん、生きてきた
辛くても
我慢するのが偉い
苦労するのが偉い
望むことを
我慢するのがいいこと
って思ってりゃ
そうなるために
望みも叶わないし
辛いのを我慢する
苦労が巡ってくる
だから思い通りにならない
それをまた我慢して苦労する
多分それは
私の人生の多岐に渡って
浸透してたと思われる。
そんなのとうの昔に
癒されてると思ってたけど
明らかにその通りになってるし
この記憶が出てきて
自分を振り返った時
あの頃の、なんて言うか
心がぎゅうっとする感じと
深い深い悲しみと
母親への憎しみが蘇ってきた。
来たね
癒され案件
気づきもしなかったけど
私の心に張り付いてた
さよならしたいやつ。
もういらん。
聖霊に頼んだ
癒してね、って。
甘ったれんじゃないよ、って
私に言った母親を思い出すと
ほんとひどい、って思う。
小学生の頃
お母さんひどい!って
思うことができなかった。
お母さんひどい!って
どっかで思ったはずなのに
一瞬で書き換えてた。
甘ったれた私が
悪いんだ、って。
本当は泣きたかっただろうに。
だって、思い出すと痛くて
今の私が泣けちゃうんだもん。
今やっとその感情を
回収してる感じで
お母さんも傷ついてたんだ、って
やさしい気持ちになれない。
頭ではそう理解していても
腹立つわー。
なんなら冬の寒い日に
外で着替えさせたいくらい(鬼)
母親を許せないそんな気持ちも
聖霊に癒してもらうことにした。
やっと回収できたんだ
終わって行くだろう。
毎日飲んでる
フラワーエッセンスを入れ替え
スター・オブ・ベツレヘムを加えた。
日々聖霊と生きてると
なんか突然今回みたいに
過ぎた昔の辛い記憶や感情が
ふっと蘇ることがある。
聖霊はそんなのを
目の前に置くんだ。
そして、聞く。
これ、癒していい?
終わらせていい?
って。
私たちの仕事は
お願いしまーす
って
聖霊に手渡すことだけ。
また貼っちゃう、この動画。
まさにそういう話を
コオさんがしてくれてる。
しかもわかりやすい!
大好きなんだ、この話。
時々見返すの。
元気出る。
名前のないお話会
「聖霊の働きについて・1」
"辛い感情との出会いは、それが本当に終わって行くことを示している"
やすらぎの部屋・川上貢一さんのメルマガ
「インナーメッセンジャー」より
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空席のあるクラスに合流できます。

