私、自分をね
すごく見下してると
気がついたんです。
自分をバカにしてたの。
そのことに気付けたのは
冬のみお塾で美保さんのお話を
聞いたからだった。
何やってんの?
バカじゃない?
もっとマシなことできないの?
それでいいと思ってんの?
もっとちゃんとやらなきゃ
何バカなこと考えてんの?
そんなのダメに決まってんじゃん
って、ひたすら、ひたすら
自分にダメ出しして。
それに気づいたら
なんか泣けてきてね。
人ってさ
人が自分を大切に
扱ってくれないことを
嘆いたりするけど
実は自分が一番
自分を大切に扱ってないと
すごく思ったよ。
まず私がそうだ。
何あいつ?
って
人のことを思うことがある。
心の中で裁くことが。
それは自分を裁いてることに
他ならないと気づいた。
情報として入ってきて
知識にしたつもりでいた
「相手は自分の鏡」
ってことも
ただその言葉を知ってるだけで
全然自分のものになってなかった。
投影、なんて言うけど
わかったつもりで
全然わかってなかった。
今回のみお塾で
自分をバカにしないこと
というお話を聞いて
きっと初めてハッとした。
ああ、私、自分を
バカにしてたよ、って。
その分人をバカにしてたよ、って。
それから始めたのは
人に敬意を払うこと。
自分にはうまく敬意を払えない。
だから人に敬意を払うことにした。
無条件に。
人が鏡なら、それでいいのだ
そう思えて。
心の中で
あなたに敬意を払います
って言い始めた。
出会う人すべてに。
道ですれ違う人にも。
視界の隅に入った人にも。
そうしたいと思って
そうすることが今は自然で
とても心地いい。
心と合致したことを
してると感じる。
近所のドラッグストアで
よく会うおばあさんがいる。
これまた感じ悪くて
店内ですれ違って
カゴがおばあさんのカゴに
触れてしまった時も
失礼ね、とか何とか言って
文句言ってきたことがあって
感じわるーーー!って
思ってたその人に
また会った時も心の中で
あなたに敬意を払います
って伝えた。
そうしたら
嫌悪感が薄まっていった。
敬意=人を尊敬する気持ち。
どんな人であろうと
今ここで生きているだけで
敬意に値する
人に敬意を払おうと決めてから
なぜかよくわからんけど
素直にそう思えるようになって。
↑
聖霊のいい仕事だと思うぞ
相手に敬意を払うと
なぜか嫌悪感が薄まる。
愛おしくなることもある。
(ならないこともある・笑)
相手に敬意を払う自分は好きだ。
自分が好きな自分でいられる。
とは言え、相手には
言わないし、何もしない。
現実レベルでは
接点を持ちたくない人も
心でそうやって接点を持つ。
嫌悪感は薄まっても
好きにはなれないことはある。
むしろ嫌い、みたいな。
そして
好きにならなくても
嫌いでも
敬意は払える。
だからすべての人に
敬意が払える。
そうした時の
心地よさ、清々しさが
そうやっていることが
それでいいのだと教えてくれる。
そして、それは必ず
その人たちを救うはずだと
思ってる。
私は今まで人を救わず
ただ陥れていただけだった。
自分を陥れた分
人を陥れていた。
そして、私にも。
今まで本当に頑張ったね
よく生きてきたね、って
伝えよう。
今これを読んでくれている人にも。
あなたに敬意を払います。
無条件に。
自分が情けなくなったら
この記事読みに来て(笑)
私がこのことに気づいたように
冬のみお塾では
その人その人のタイミングで
受け取れるお話が
いっぱいあると思います。
ぜひ聞いてみてください。
奇跡のコースオンラインクラス
こんなのもあります





































