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emitandyのお城、古墳・歴史大好きブログ

歴史好きで寺社仏閣、行き先々で発見してはブログにup中。

昨年からすごく楽しみにしていた

イベントの一つで




5月に行ってきました。


上☝️のパンフレットには


パンフレット(左側)

奈良法隆寺の「百済観音」や

奈良中宮寺の「菩薩半跏像」





☝️これが実際に見て見たかったんです。



七枝刀(古墳時代4世紀)

奈良石上神宮


これが展示されると聞いて

本当にみたかったんです。













この装飾の感じは「正倉院展」と同じ


2025年「第77回正倉院展」の
日程が発表されましたね。

  2025(令和7)年

10月25日土〜11月10日



とのことです。









色々と話はそれてしまっていますが、


「七支刀」



一時期「韓国ドラマ」にはまって


「チャングムの誓い(大長君)」や「ソドンヨ」

に始まり、「朱蒙」「善徳女王」かなりみて

います。


百済を題材にしているのでは

「ソドンヨ」「帝王の娘スベクヒャン」

「近肖古王」



オープニングから七支刀が出てくるんです


あの日本のかな?なんて思って色々調べて見て

「石上神宮」に行って見たことがあります

















万博会場で花火が上がると

風によっては音も聞こえるし、

花火も見れるんです。

もしかしたら、

ブルーインパルスも

我が家で見れるかな?














​こんな感じで見えたよ〜🛫



12日は我が家から見えました!

この時は万博会場の上空で飛行していた時です。



友達は「浜」の方は行ったり、

大阪城の方は行ってみた人もいます。



12日、13日と飛行したのですけれど

午後からは雨もなくって良かったです。


なんと14日(月)は午後から雨が降ったりした

んですよ。本当に良かった!












おはようございます


久しぶりに

モーニングを食べに行ってきました。


昨日買った本を読みたくて

「朝活」してきました。











この日は大阪万博でブルーインパルスが
リベンジで大阪上空を飛行するというのが
我が家で見れるかも?ということで
午後3時前には家にいたいので
どこも出かけずにいようという
ことにしていました。


本は電子で買うこともありますが、
つい本屋さんで「本」を買って読みたく
なります。

この本では敗者として
8人の歴史上人物について書いてあります。

家でじっくり推理小説を読む時間が今は
ないので1人について簡単に読めてしまうので
手にとって見ました。



珈乃香


(かのか)さんです



もちろんコーヒーも






ゆっくりしてから帰ります。












7月になってしまった💦


焦りまくりですが、


💦

💦





史跡高松城跡(玉藻公園)



国の指定史跡

園内には枯山水庭園などがあり、

瀬戸内海の海水を掘に引き込んだ城で

日本三大水城の一つ。


日本三大水城(海城)とは

高松城、今治城、中津城の3つの城を

指します。堀に海水を導入している 

点が特徴です








別名は「玉藻城」で、

万葉集で柿本人麻呂が讃岐国の枕詞に

「玉藻よし」と詠んだことに因み、

高松城周辺の海域が玉藻の浦と呼ばれて

いたことに由来するとされている







高松城は天正15年(1587)

豊臣秀吉の四国制圧の後から

讃岐一国を与えられた生駒親正によって、 

翌16年に築城が開始されました。

その縄張り(設計)は藤堂高虎

黒田孝高、細川忠興など

諸説があります。

生駒氏は4代54年続きますが、

生駒氏4代・高俊の頃にあった生駒騒動により、

出羽国矢島藩1万石に転封となります。  


その後、寛永19年(1642年)に

松平頼重(水戸光圀の兄)に

東讃12万石が与えられ、高松城に入リ、

以後、明治2年(1869)の版籍奉還までの

11代228年の間、松平氏の居城としました。


頼重は、寛永21年(1644)に高松城の改修を

開始し、寛文10年(1670)に天守改築、

寛文11年(1671)からは東ノ丸・北ノ丸の

新造を行い、2代頼常が完成させました。

これに伴い、大手を南から南東へ移し、

藩主の住居と政庁を一体化した御殿を

三ノ丸に作ることも行われました。



生駒親正が城主になってこの築城が始まったとされ

ていますが、上記でも書いたように

黒田官兵衛とも言われているけれど、

丸亀城とかも考えると「藤堂高虎」もありえるかな?

四国制圧には豊臣秀長が大きく関わっていて、

制圧した後のことを考えて、秀長の影響を見ると

「藤堂高虎」現在の私が知るえることからすると

そうではないかと推測しておきます。


昔、水戸黄門」をテレビでよく見ました。

「東野英治郎」だったかな?

助さんに杉良太郎とかも出演していて、

いつの間にか里見浩太朗になっていたり、

最初は本当に全国漫遊していたのかと

父親に聞いたものです。

「こんなに廻っていないよ」

とネタバレを聞いたものですけれど、

そうすると父と調べて本当はどうだったのか

など話しあったとのを覚えています


毎回、

「恐れ多くも先の副将軍『水戸光圀』公に

あらせられるぞ」という文言を聞いた

ものです。


私は父との話で思ったのかは定かでは

ないのですけれど、


兄を差し置いて「二代目水戸藩主」を継いだので、

心苦しく思い、

自分の子を兄頼重(高松藩主)として、

兄の子(綱條)を「三代目水戸藩主」と

したんですよね。









天守台しかないのですけれど、

そこから見る海の様子などから

「海城」と言われてのがわかりますね






天守台石垣の修理工事👆





高松藩松平家の泳法👆















高松城旧東の丸 「艮櫓」





公園化されているので、

櫓、石垣などは所々にあって桜も咲いていて

お花見などしてたくさんの方が集まっていました。



屋島であった方と話す機会があって

私たちはこれから「高松城趾」に行こうと

思っていると話したけれど、

「高松城?」などと疑問符をつけられた

のですが、こちらの方からは「玉藻公園」

と話した方が通じるのかな?なんて

思いましたが、やはり瀬戸内海を本州側と

四国からと海上の見張りは当時、

大切なものだったのですね。






高松市のマンホール















第75代 崇徳天皇(白峯陵)












日本三大怨霊と言われているのは

「菅原道真」「平将門」「崇徳院(天皇)」の

3人を指すとされています。





以前👇淡路島に行った時に

「淡路廃帝」と呼ばれていた

「淳仁天皇陵」へ行って

のですが、

四国までは行けなくって

今回、詣ることができました。





鳥羽天皇の第一皇子として

母は中宮。藤原璋子(待賢門院)

平安時代末期の1156年(保元元年)に

貴族の内部抗争である「保元の乱」で

後白河天皇に敗れ、讃岐に配流後は

「讃岐院」ともよばれた。


大河ドラマ「平清盛」では

崇徳天皇のことを「おじご(叔父子)」と

呼んでいましたね。


藤原璋子は白河天皇の養女として引き取られ、

その後白河天皇の孫にあたる鳥羽天皇の中宮になり

後の崇徳天皇を産みます。

その頃養父である白河天皇と璋子はただらなぬ

間柄ではなかったと噂され、

鳥羽天皇は自分の子ではなく白河天皇(院)の子では

ないかと思っていたとのことで、

崇徳天皇は白河天皇の子(鳥羽天皇からしたら

父の兄弟)ではないかと疑っていたとされて

いました。

大河ドラマ「平清盛」でもこのあたりは

ドラマを見ているだけではわからなかった

ことを覚えています。



藤原璋子の花園西陵





こんな山の上にあります。


近くまで車でいけますが、

ここからが難所でした💦



階段を降ります

舗装されていたので降りやすかったです。






👆には西行法師のみちということで


「思ひやれ 都はるかに 沖つ波

   立ちへだてたる 心細さを」








降り切ってしばらく桜を眺めながら歩いて行くと
右手に




見えてきて右を見ると結局今、降りてきた分だけ

上らなければいけないのです。






上りきった後の写真です。


心が折れそうだったので、上りきってから写真を

撮りました。





















上ったりしなくってもいいように

お寺の方から行きますと「遥拝所」も設けられていました









京都に戻りたいと配流後に謝罪をして訴えますが

許されず、この地で亡くなられました。



崇徳上皇が崩御されてから700年後、
京都に明治天皇によって京都へ戻られ
京都市上京区の「白峯神宮」に祀られました。


経緯としては
明治天皇の父孝明天皇が崇徳上皇の御霊を京都に
戻すことを提案していましたが、
その話の矢先に孝明天皇も崩御されてしまって
慶応3年1月に明治天皇が践祚されました。

その後まもなく即位式をされずに、
孝明天皇の遺志を継ぎ、讃岐から崇徳上皇の
御霊を京都に戻し鎮魂するまで即位をし
なかったとされています。




2019年に白峯神宮に行った時の写真です。


この絵の中にも孝明天皇のことと

か書いてありますね。


やはり今回陵に詣ることによってまた、

白峯神宮にお参りに行かなければと

思いました。



追記ですが、

白峯神宮に崇徳天皇の御霊がお帰りなられた

後に、淡路廃帝と言われた

「淳仁天皇」も明治6年に

こちらへ合祀されたそうです。