淳仁天皇陵 | emitandyのお城、古墳・歴史大好きブログ

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歴史好きで寺社仏閣、行き先々で発見してはブログにup中。

やっと詣でることが出来ました。


第47代天皇に天平宝字2年(758年)に

即位した淳仁天皇です。


天武天皇の舎人親王の第七王子であり

諱を大炊とされていました。











私が最初に淳仁天皇が淡路島に陵があると

知ったのが、

「白峰神宮」に行った時に、

崇徳天皇と

一緒に祀られているのが

淳仁天皇だったのです。その時に

調べてからの事です。


「はいからさんが通る」という漫画が

好きで、その中に伊集院忍少尉の

おばあさんが

若い頃好きな方とは結ばれずに

別れなければならなかったそうです。

『自分の子どもたちの代に結ばれましょう』

と約束を交わした話しを聞かせていました。

勿論、現在のご主人には内緒で…

(しかし、こっそり聞いていたんです)

その時の心情を

崇徳天皇の

「瀬をはやみ 岩にせかるる 滝川の

     われても末に逢はむとぞ思う」

という歌を使って教えていたんです。

(子どもの代は男子同士だったので叶わず)

その別れた人の孫(花村紅緒)と

自分の孫(伊集院忍)を結婚させたいと

言い聞かせていたのですね。

蝉丸、持統天皇、天智天皇の他に

私が覚えた歌の1つでした。

最近では、「ちはやふる」という漫画で

百人一首などにも触れていますよね


😅ちょっと脱線していますが、

その崇徳天皇が祀られているという

「白峯神宮」には




以前いただいた、由緒がき☝️





それには、


淳仁天皇は、「日本書紀」編纂の

舎人親王の皇子として天平5年(733年)ご降誕になりました。

天平宝字2年(758)第47代の天皇として

即位になり、藤原仲麻呂をして官制の改革、

租税の軽減、通貨鋳造、窮民救済などの

仁政を広く敷かれましたが、弓削の道鏡らの

謀計により御廃位となり、淡路島に御配流。

天平神護元年(765)崩御、淡路陵に奉葬

されました。

和気清麻呂公は、道鏡の専横を撃つべく

宇佐八幡の神託を得ての帰路、

淡路陵に密かに参っての事の由を

奉告したと伝承されています


と白峯神宮の御由緒には書かれていました。


他にも淳仁天皇については、

多角的にみると

色々書いてある内容なものが多いので

心穏やかになるような文を載せて見ました。