emitandyのお城、古墳・歴史大好きブログ -16ページ目

emitandyのお城、古墳・歴史大好きブログ

歴史好きで寺社仏閣、行き先々で発見してはブログにup中。







横須賀家康読本





横須賀城は、山城と平城の両方の特徴を

持つ平山城であり、軍事的な拠点として

だけではなく、政治的な拠点として機能

しました。


横須賀城を築く気かっけは、

徳川勢が守る高天神城への武田氏の

襲来で

築城時期は1578年(天正6)頃とされています


1572年(元亀3)武田信玄は2万の大軍を

率いて遠江に侵攻、その際に高天神城を

攻め落としたとされる。

その後、徳川方に復帰

信玄亡き後は勝頼が

高天神城を攻め、

開城させ、武田の城になります


高天神城を失った家康は上記にも

書いたように1578年(天正6)、

高天神城を奪取すべく、大須賀康高に

命じて、横須賀城を築かせました。


家康は横須賀城を拠点とし

1581年(天正9)、勝頼に

奪われた高天神城を攻め、

落城させました。


徳川家康が

「高天神城の起点」

         とした名城



もっと石垣がよく見えるところに

行けば良かったと後悔













左側に











遠くに海がみえます。




                    パンフレットより



こんな風にみたかったけれど、

見下ろしてしまいました💦

城郭の特徴は、パンフレットの写真にも

あるように、天竜川より運ばれた

玉石垣を用いた築城法です。










先日、静岡に🚗で帰省してきました。


急遽4時すぎにならないと

入れないということで、

時間ができてしまったので

途中下車して、


「掛川三城」




◎掛川城

◎高天神城

◎横須賀城



思いがけずに空いた時間があったので

パンフレットを思い出し、


高天神城へ行ってきました












「難攻不落」な城や

「高天神を制するものは遠州を制する」と



とも、言わせて城。




高天神城




パンフレットより



高天神城は

小笠原山から南東にのびる尾根の先端、

標高132mの鶴翁山を中心に作られた城です。

高天神城の築城は、室町時代今川氏が守護から

戦国大名に成長する過程で築かれ

たとする

説が有力であると言われています



「高天神城を制するものは…」


今川氏の滅亡後、徳川家康の持ち城となり、

小笠原氏助(長忠)が引き続き城主となり

ました。

1574年(天正2年)、武田信玄の息子・勝頼が

2万の大軍で攻め、開城させました

(第一次高天神城の戦い)

しかし、翌天正3年の「長篠の合戦」で

織田・徳川連合軍に大敗した武田氏は、

その後、衰退した。

横須賀城を拠点とした家康が

高天神城の奪還に成功しました。

(第二次高天神城の戦い)



私が今回ナビで検索した住所で行くついた

ところは「北口駐車場」で「搦手門」でした。














すごい階段だ〜


「スズメバチに注意⚠️」とあって、

人もいなかったので、少し今日は

諦めて、入り口にあった看板が気になった

ので、そこへ行くことにして


次回は「南口駐車場」表の方から

登城に挑戦してみようと思いまし









 



 






工事中(保存)でしたので、

近くでは見れませんでした。





 👆岡部真幸板倉定重の碑


高天神城陥落の際に先頭を切って城から

出撃し戦死した城将・岡部元信と、同日

徳川方の大久保忠教(彦左衛門)の配下として

戦い、享年28歳で戦死した板倉定重の墓碑です。


武田勝頼は高天神城を奪取することにより

武功を認められ、

高天神城を見殺しにすることにより

信頼を失ったとされていますが、


この徳川方に城を奪われる時の城将は

岡部真幸でした。

援軍が来なくって兵量は底を突き、

城兵と最後の決別後、突撃しました。


兵の先頭に立って突撃してきた真幸と

太刀を合わせたのが大久保(忠教)彦左衛門

だったと「三河物語」の中に書いてあるらしく、

その後、城将とは知らずに、部下の本多主水に

任せて首を討ち取ったとされて、

自ら討たなかった悔しさを述べているとも。



板倉定重は

私の中では

京都所司代 (奉行)と言えば「板倉勝重」と

すぐに出てくる名前

ですが、その「板倉勝重」の弟の

定重は大久保彦左衛門の配下として戦い、戦死。


その時勝重は浄土真宗の僧侶だったため

板倉家の家督を継いでいた定重が討死してし

ったために還俗して「勝重」が板倉家を継いだ

そうです。


まだ時間があるので、


「横須賀城」へいってきます🚗



続く🚗











「鬼滅の刃…無限城編」

      第一章 猗窩座再来


鑑賞してきました。



漫画は読んでいませんが、

アニメとYoutubeで色々と検索しながら

ファンになっていきました。





6月に映画「フロントラインを観に行った時に

もらってきた☝️チラシ☝️です。



この三連休は

静岡に帰省していたので、

三連休最後の日にやっと、席が取れました


とにかく劇場内のシアター半分は

「鬼滅の刃」になっていて

それでも日中は隣席を選ぶのに

やっとだったのです。


「鬼滅の刃」に関しては

漫画を読んでいないのですが、テレビアニメや

Youtubeで知りました。


シアター内は、思ったよりも大人が多かった

というのが印象です。

水分やポップコーンを食べて見ていると

結構長いので、半分以上経ってからは

トイレに何人も駆け込む人が多かったのには

びっくりです。






強いて言えば

善逸くんが好きですが、

我妻善逸の出身地は「牛込」

今の新宿区なんですよね。


まぁ、その周辺出身な私なので

同郷ということもあり、贔屓しちゃって

います。



無限城編は第三部作になっていて

その第一部は2025年今夏で、

第二部は来年?なのかな?



待ちきれないですよ。





入場者特典として

原作者・吾峠呼世晴イラスト 

特製アートスタンドの配布されていました。


主人と2人だっとので2枚



中には







の2枚が入っていました。


私にとってはラッキー🤞でした。





追記…感想



アッという間に終わったいうのが

感想です。

長いという感想を見ていたので、

水分には気をつけていました。

案の定、「ここでトイレに行く?」という

くらい半分以上過ぎた頃からドタバタとトイレに

駆け込む人が多かったな。

(走って階段を昇降しているからね)



柱稽古編の最後に無限城へ落とされる

柱や鬼殺隊達











おはようございます。



先週から静岡に帰省



昨晩帰ってきました。



今日は朝から

西宮ガーデンズ内のスタバで

モーニング







さて、



これから







これから



鬼滅の刃




観てきます!





久しぶりに「粉河寺」に
行ってきました

西国三十三所を始める
きっかけを作ってくれた
お寺なんですね。

この日めちゃくちゃ
暑い🥵日になってしまって
バテ気味だったけれど、











粉河寺の歴史とかは2017年にたくさん🆙
していますが、もう一度思いだすために
書いてみます。


和歌山県北部を流れる紀ノ川中流の北岸に
宝亀元年(770年)大伴孔子古によって
開創され、
「風猛山粉河寺」と称する。

鎌倉時代には七堂伽藍、五五〇カ坊、
東西南北共4キロ余りの広大な境内地
があり、寺領4万石余りを有していたが、
天正13年(1585年)豊臣秀吉の兵乱に
あい、偉容を誇った堂伽藍も焼土と化し、
多くの寺宝が殆んど焼失した。
その後、紀州徳川家の保護や信徒の寄進
によって徳川時代中期に現在の諸堂が
完成した。


このあたりでは「根来寺」も
秀吉によって消失していますね。







☝️

ご本堂さんで見てきました(有料)








お寺さんでの御朱印帳は




建仁寺さんの御朱印帳を使っています