す以前実家に帰った時に
近くに「能満寺山公園」というのがあり
そこに「小山城」がありました。
..

令和6年11月のことです。
実家から近くの鰻屋さんがあるというので
きていました。
雨も降っていましたが、小ぶりになったので
立ち寄ってみました(笑)
雨が降っていて足元が滑るのではないかと
心配していましたが、
義姉と主人と3人で登ってみました。
能満寺のソテツ
日本三大ソテツの一つと言われる代表的巨樹
高さ約6m、根本の周囲約5m、五本の大枝に
分かれ最も太い枝は周囲約2mで、
東西約8m、南北約11mで約50㎡の
面積に広がっている雄株である
寺伝によると
平安時代の陰陽師学者安倍晴明が中国から
長徳元年(995年)持ち帰って植えたと
言われている。
また徳川家康の所望により移植されたが
能満寺に帰りたいと夜な夜な泣いたので
哀れに思った家康は再び、
能満寺に戻したという伝説もあります
※日本三大ソテツ
1 静岡県静岡市清水区の龍華寺
2 静岡県吉田町の能満寺
3 大阪府堺市の妙国寺
小山城跡
小山城跡は、戦国時代における武田・徳川の
攻防を研究する上で重要な史跡
平山城として、武田流の築城手法を活かした
城跡が残っていてます。
小山城のはじまり
永禄3年(1560)、今川義元が桶狭間の戦いに敗れ、
駿河・遠江・三河の三国は大きな戦禍に飲み込まれる
ことになり、甲斐の武田信玄は駿河に残る今川氏の
勢力を排除し、駿河を手中にしようとしていました
永禄11年(1568)、信玄は配下の将を徳川家康の
下に使し「今後、大井川の東側を武田が、
西側を徳川が治めることにしたい」と申し入れまし
た。その後の12月、信玄は甲斐から駿河に軍を
南進させ、今川軍が守る駿府城を攻撃し
掛川城まで追いやりました。
この時、武田軍の一隊が今川軍を駿河から掃討するため、
境界である大井川を越えて山崎(能満寺山)に砦を
築きました。
この砦が小山城の元になったと言われています
(パンフレットより)
前回ブログに書いた「掛川三城」の武田と徳川の
はじまりの攻防が行われた城(砦)の一つだった
のですね。
現在小山城は物見台があったと言われる
二の郭跡に「国宝犬山城」を模した天守閣型の
展望台小山城となっている観光施設で
展望台からは
天気がよければ
富士山・駿河湾・南アルプス・伊豆半島
などを楽しむことができるそうです(^^;;
👆
『三日月形の三重堀」
築城当時小山の砦は周辺は大井川に囲まれた
断崖の地だったそうです。
地形上、要害堅固な小山の砦は山本勘助に兵法を
学んだといわれる、馬場美濃守信房(信春)に
より築城されたとされています。
武田氏の築城技術の特徴問われている
郭(曲輪)の前に設けられた半月形の堀を
三日月堀といい、この三日月を三つ並べたものを
三重堀といいます
高天神城の城と同じように
小山城の攻防も繰り返されて武田軍が小山城を
奪還すると徳川軍は小山城の周りの稲を焼き、
兵糧攻めを行い高天神城→諏訪原城を落とされ
孤立無援となった小山城の武田軍は自ら城に火を
かけ、甲斐へ逃げのびたといわれています。
しかしここでは👇の写真にもあるように
孤立無援となり、落城して
この堀に身をなげた武田方婦女子がいたと
あり、その婦女子の化身した赤い唇のヒルが
住むようになったという伝説があるそうです
『馬出し』
防護施設
小山城は後方の本郭(本丸)を守ために築かれ、
前方には三重堀を中心として、
左右に多くの堀がありました。
さらに城外500m先には、
出城(出郭)にあたる城主の館もあり、
城周辺の守りを固めていました。
この馬出しは本郭の最終の守りでした。
また、出陣の拠点にもなっています
👇朝覚院茶阿の方 自筆消息
茶阿局は東海道金谷宿の出身(現在は島田市)
金谷は大井川を挟んで西側です
家康の六男忠輝の生母
大河ドラマの「独眼竜政宗」では真田広之さんが
忠輝役をしていたのが印象に残っています。
伊達政宗の長女五郎八と結婚したのですが
その時の役者さんは沢口靖子さんでした。
脚本はジェームス三木さんで今年6月に
お亡くなりになられちゃいましたね
弟は能満寺の住職だったとされていて
慶長検地の際に寺領確保のために尽力したそうです
雨だったので遠くまでよく見えませんでした💦
まとめ
帰省して近くの城に行っていましたが、
点でしかなくって、ブログにupしてこなかった
のですが、「掛川三城」を機会に
なぜ今川義元が桶狭間で討たれた後の大井川を
挟んでの攻防。
大井川を挟んで領地を分割したけれど
結局、今川氏真が掛川城に入城したことにより、
武田側は大井川を西側に越えてきてしまい、
遠州灘(太平洋)までを攻めた武田ですが
それはこの塩の道を確保したかったのだと
改めて甲斐の悲願を果たすべく攻防をして
いたのだと思いました。
能満寺のソテツは日本三代ソテツと
云われていますが。
大阪堺にあるソテツと同じような
伝説があります
能満寺のソテツ👇
また徳川家康の所望により移植されたが
能満寺に帰りたいと夜な夜な泣
哀れに思った家康は再び、
能満寺に戻したという伝説もある
大阪堺市にある妙国寺のソテツは
織田信長がこの木を安土城に移植したところ
毎夜「堺へ帰ろう」と泣いたため、
ソテツに霊があるのであろうと
妙国寺に返したという伝説があるそうです。