平城天皇陵 | emitandyのお城、古墳・歴史大好きブログ

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歴史好きで寺社仏閣、行き先々で発見してはブログにup中。

「平城京いざない館」から

「朱雀門」を抜けた
 平城宮の北端には

「平城天皇陵墓」があります。














第51代「平城天皇」へいぜいてんのう
    774年〜824(生没)
    806年〜809(在位)

諡号 日本根子天推国高彦尊
   (やまとねこあめおしくにたかひこのみこと)
諱  小殿おて(のちに安殿あて

異称 奈良帝

父 桓武天皇
母 藤原乙牟漏(藤原式家)
陵 楊梅陵(やまもものみささぎ)


宮内庁により824年に崩御されている平城天皇の陵墓と
治定されています。
円墳のようにも見えるこの「平城天皇陵」は
実は陵墓の南側が平城宮建設の際に削平されて
しまっている墳丘の全253m、前方部の幅
164m後円部の直径147mの前方後円墳だったのです。

調査により平城天皇が崩御した以前の
古墳(市庭古墳)の一部だったのですね。

平城京の中には全く壊されてしまって埋まっている
「神明野古墳」というこれも前方後円墳が
あったわかったそうです。

平城京への遷都を詔したのは元明天皇でしたが、
「古の高貴な人の墓があるから、発見したら丁寧に 
処遇して差し上げる様に」という一文もあるそうです。

神明野古墳、市庭古墳、ひしゃげ古墳、こなべ古墳
ウワナベ古墳をあわせて
「佐紀古墳群」と一帯を読んでいるそうです。

2020年に参加させていただいた時に
お参りしてきました。




この日のメインはやはり👇👇




この調査をしている現場を直接見せて

くれるというのでした。


やはりあの堀を渡って行けるという

チャンスはなかなかないので、

主人と申し込んでいってきました。



城めぐりはお城もコロナで開いていないし、

「古墳」を巡っていた時期でした。


当時コロナ禍ではなかなか外出したと

言うことも書けなくって、

やっと書けました💦



この出土した色々な埴輪などから

5世紀前半に築造された古墳と考えられる

ということだったので、824年に

崩御した平城天皇とは異なる時期の

ものですね。

どの様な事情で治定されたのかな?




続く。