早良親王墓…淡路島 | emitandyのお城、古墳・歴史大好きブログ

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歴史好きで寺社仏閣、行き先々で発見してはブログにup中。


淡路島に行ってきました。





明石海峡大橋を渡るのはいつも

ウキウキしてしまいます。


まだ、自分で運転をしては渡ったことが

ないのですが、助手席だからかな?

運転している主人に感謝ですね。




明石海峡大橋を渡るとすぐに


「淡路ハイウェイオアシス」、

「道の駅 あわじ」もあるので

そこで休憩☕️



まずは


「淡路ハイウェイオアシス」





淡路屋さんの「日本の朝食弁当」が好きで

これを食べました。


鮭の塩焼き、鶏旨煮、ひじき煮、だし巻き玉子、

昆布巻き、焼き蒲鉾

おにぎりのごま、梅、味付け海苔も入って

いるんです。

付属品には箸も手拭きも入って、

何よりこの衛生シートが入っているのが

心使いが

とてもお気に入りな

朝の定番朝食なんです。


こちらはハイウェイオアシスの売店に

売っています。 

コンビニのおにぎり🍙サイズよりも

小さめですが、モーニングでパン食も好き

ですけれど、

これも大好き💕です。 


この後には

「道の駅あわじ」では






ここからの眺めも良いですよ。


広場にこんなマンホールがありました。






ポケモンなんですね。

なんだろう?


そういえば?

岡山でも…




撮ってた音譜




淡路島の

新玉ねぎ売っているので

買ってから

「仁井」の方へいって

早良親王のお墓だったところを

お詣りしてきました


早良親王墓

兵庫県淡路市仁井


海岸沿いから山の方へ行き

登っていきます🚙




登っていくと案内板があるのですぐにわかりました。







案内板のよると


早良親王(追号崇道天皇)785年白壁王(後の

49代光仁天皇)の第二王子 桓武天皇の実弟。

母は高野新笠、神護景雲元年(768年)一旦出家

したが、親王となり桓武天皇の時、皇太子となる。

延暦4年(785年)長岡京造営長官、藤原種継暗殺

事件に関与したことにより、淡路の国に配流の

途中、乙訓寺(長岡市)に幽閉され無実を訴え

断食市、抗議するも聞き入れられず、移送船の中

にて憤死した。

その後、遺骸を淡路に埋葬したが、親王の怨霊の祟り

から皇室及び関係者に不幸が続出し桓武天皇は

淡路の陵を整備しまた国家的な御霊会の法要を営み

鎮魂に努めた

延暦19年(800年)には崇道天皇を追号その墓を

山陵と称し八島陵(奈良市)に改葬した。

当時の常隆寺は霊魂を安置する寺であり

仁井地区には天王の森(前方に早良池があり

地元ではそま池ともいう)がある

親王の伝承地として地元の人は

今に手厚く祭礼を行なっている




「794 なくよ うぐいす 平安京」

とも

「なくよ 坊さん 平安京」とも

言われていますね。


ウィキペディアなどをみてみると

天平宝字5年(761年)に出家して

「親王禅師」とも呼ばれていたけれど

桓武天皇が天皇に即位とともに

光仁天皇の勧めで還俗し、立太子しています


まだ桓武天皇の子ども安殿親王も

幼いことや、遷都するにあたり

東大寺など奈良の寺の反対派を治めるためにも

「早良親王」の立太子は必要だったのでは

ないかとも思いました。





祠やこの案内板などの先には「円墳」とも云われている

小高い丘になっています。

祠や鳥居を通る階段は崩れていたので登れなかったのですが、

左側から坂を登れるので祠の近くまで行けました・




墓の前の「早良池」



こうなると気になるのが、

なぜ早良親王は「早良」なのだろうか?


なかなか結論は出ないけれど、


福岡には福岡市早良区という地域があるのですが、

その「早良」と何か関係があるのではないかと

調べていたら


この辺りの古代の地名で


葛城・平群・曽我という地名もあったとか?

大和(奈良)にも同じ地名がある〜

そういえば「百道浜」(ももちはま)もあった

「百」→「百済」


早良親王の母は高野新笠で先祖は百済の

武寧王とされているんですよね。


武寧王に関しては韓国ドラマの

「帝王の娘 スベクヒャン」で

帝王が武寧王なんですよね。

武寧王の子の「聖王」が日本に仏教伝来した

のではないか?と云われています。


韓国ドラマを見て、日本でも兄弟の中での

争いなどがあったのだろうな?とヒントが

あるんですよね。