蕎麦と沢庵 | emitandyのお城、古墳・歴史大好きブログ

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歴史好きで寺社仏閣、行き先々で発見してはブログにup中。

豊岡城跡から近くに出石に行って

出石蕎麦食べました!







この絵にもなっている





辰鼓楼は日本最古の時計台です。
明治4年(1871年)旧三の丸大手門脇の櫓台に、
時刻を知らせる太鼓を叩く櫓として建設されました。
明治14年に医師、池口忠恕氏が大時計を寄贈。



今回はここの店にしました👇



主人は9枚。
私は6枚食べました!



1人前は5皿なので2人で3人前頼んだ

ということです。



出石手打ち蕎麦の由来


宝永3年(1706年)に信州上田から国替えになった

仙石氏により伝来したと言われています。

その際、仙石氏と共に信州からきた蕎麦職人の技法が

在来の蕎麦打ちの技術に加えられた出石蕎麦が

誕生しました。

その後、出石焼きが始まり、

白地の小皿に盛る様式が

確立されました。

小皿に盛り付けた独特なスタイルで食べる 

出石皿蕎麦は、

挽きたて、打ちたて、茹がきたてと、

伝統の「三たて」で作られています。


数回出石で蕎麦は食べていますが、

このお店で食べるは初めてです。


1皿目は塩で…

2皿目は普通に蕎麦つゆにかけて

3皿目からは卵やとろろで食べて楽しみました。



ご馳走様です。



食後は、少し散策です。



出石に行くと必ずお城に行ったり(出石城)、

稲荷さんの階段を登ってお参りしたりしていましたが

今日は市街を散策。






辛口とのこと、楽しみです。



お土産屋さんにこのラベルが置いてあって、

いただきてきました。

お酒は酒造に行って買ってきました。

実は、何回か買ったことはあったのですが、

いつもお土産で人にあげていて自分達では飲んでなかったね。

ということで…

夫婦共々、週末にワインを少し飲むくらいですが

たまには、日本酒で乾杯してみようかな。

と、思っています




2021年にも来ているので







今回は写真はスルーしちゃいました。


さて、その後は



のんびり坂を上り


  「宗鏡寺」(すきょうじ)


              通称…沢庵寺


以前もこの前までは来たことがあったかも

しれませんが、中に入って記憶がなく、

今回は拝観させていただきました。








この時期ならではの、










青紅葉


圧巻でした。もちろん紅葉🍁も

大好きですけれど、青紅葉も最高❣️



宗鏡寺の創建は

1392年、開基は当時の城主で

あった山名陸奥守氏清公で、氏清公の法名

「宗鏡寺殿」から寺名が名付けられたと

伝わっています。

山陰随一の伽藍を誇っていましたが、

織田信長公の田島平定によって山名氏が

滅び、寺もまた荒廃しました。

1616年、小出吉英公の外護の元、沢庵和尚を

招き再興されました。以後、京都紫野大徳寺派の

但馬における別格地として現在に至ります。

沢庵和尚の故郷の寺であることから、

「沢庵寺」と呼ばれ人々に親しまれてきた

一方、出石藩主の菩提寺として栄えてきました。

※開山…寺院を開いた第一世住持

※開基…寺院を創建した人物





わびすけ椿



椿といってもやはり青紅葉💕




沢庵和尚塔所









他に藩主のお墓などもあり、

ゆっくり坂を登ったり、降りたりして苔にしても

緑の中を歩いてきました。



この鐘もつかせてもらったのですが、

とても鐘音が良く心に沁みました。





沢庵宗彭(たくあんそうほう)

1573年12月24日に但馬国主・山名祐豊の

重臣秋庭綱典の次男として但馬国出石生まれる。

8歳の時に織田信長の但馬平定の為侵攻してきた

羽柴秀吉に国主山名氏は敗れて、父は浪人となり

沢庵は出家して宗鏡寺に入る。

時代も信長、秀吉、徳川時代の中でかなり数奇な

生涯を送られているようです。

宗鏡寺で大徳寺から来た薫甫とで会い、

1599年に石田三成が佐和山城に亡き母の

供養の為に寺を

建てる際に派遣されたのが薫甫で、一緒に随行。

その後関ヶ原の合戦が起きて、佐和山城が

陥落してやっとのことで落ちのびて、

その後処刑された三成の遺体を手厚く葬った

1人ともなっている。

「沢庵漬け」の沢庵だが、

パンフレットによると元々は

「貯え漬け」と呼ばれる、古来より重宝された

保存食でした。

ある時沢庵和尚が徳川家光公にこの漬物を献上した

ところ、大変気に行った家光公が

「名前がないのならば沢庵漬と呼ぶべし」と言った

ことからこの名前が広まったと伝わっております。

宗鏡寺では今でも住職が自らが、伝統製法を用いて

糠と塩だけで沢庵漬けを作っています


とあります。



先ほど、「沢庵和尚の塔所」の写真を載せましたが

墓はどこにあるのだろうと思ったら


沢庵和尚は1646年に江戸で没しましたが、

「墓碑は建ててはならぬ」という遺誡を残して

いるため、この宗鏡寺と品川の東海寺に塔がある

そうです。


行かれた方のブログをみてこようかな?






こちらに戻ってくるもすっかり

青空が広がっていきました。




宗鏡寺(沢庵寺)