鎌倉殿の13人…第16話 | emitandyのお城、古墳・歴史大好きブログ

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第16話 「伝説の幕開け」


大きな代償を払い、

頼朝は、御家人たちをまとめあげた。

義経は鎌倉からの援軍を

待っている。

戦が近づいている。


「金剛」義時と八重との間に産まれた

子どもの幼名ですね。

後の「北条泰時」です。


時政が鎌倉に帰ってきました。

義時から事情を知り


「いつ誰に謀反の疑いをかけられるのか?」


安達盛長が時政のところまで

迎えに行ったのですね。

上総介の一件を聞いてからか、鎌倉殿が

迎えを来させて、帰らない訳には

いきませんからね。


北条の生き抜いていく手立ては、


「源氏に取り入り、付き従い、

    それしか無い、今以上に❗️」


 「御家人が馴れ合うのは終わりました」





いよいよタイトルにもある様に

「伝説の幕開け」です。



義仲と巴午前の別れのシーンはとても

辛かったです。

そして、義仲は余りにも真っ正直で

ちゃんと、今井兼平と死ぬときは一緒という

約束を果たしています。


ヒュ〜て一本の矢で義仲のことは

終わって、いよいよ平家討伐の伝説に

シーンが変わりました。


凄い演出ですね。



わたしの好きな、なぜかすきな

「義仲寺」です。




義仲寺の名は、源義仲を葬った塚の

あるところからきていますが、

室町時代末に、佐々木六角氏が建立した

との伝えがあります。

門を入ると左奥に、俳聖松尾芭蕉の墓と

並んで、木曾義仲の供養塔が立っています。

「木曽殿と背中合わせの寒さかな」という

著名な句は、芭蕉の門人又玄(ゆうげん)の

作です。境内にはこの句をはじめ、

芭蕉の辞世の句「旅に病んで夢は枯野を

かけめぐる」など多くの句碑があります。

また、巴御前を弔うために祭ったといわれる

巴地蔵堂もあります。

昭和42年(1967年)11月に国指定の

史跡となりました。

















瀬田の唐橋

ドラマの中の地図は「勢多」とありました。






巴御前も伝説の人なのでしょうか?