「鎌倉殿」に嫡男「万寿」が産まれました。
かなり政子も万寿と一緒にいたいのに、
思うように「万寿」とも会えずにいます。
万寿は病弱とかで本当に政子は、
いてもたってもいられなかったのではないかと
思います。
後に、次男は実衣を乳母にするのは
わかるような気がしますね。
ここでは「後妻打ち」という言葉が
出てきました。
りくさんが京都では「前妻が、後妻の家を壊す」
という事をして仕返しをするような事を
言って、政子に意地悪をしようとしていますが、
政子が「前妻」ではないと素早く反応して
面白かったのですが、
「うわなりうち」
前妻(本妻)が後妻(妾)に対して
ある程度襲撃する事を事前に知らせてから
行い、襲撃される方も迎え撃つみたいな
システムがあったようですが、
今回は、「後妻打ち」を知っている
りくや牧宗親にとっては
「ちょっと🤏」のつもりが、
焼き壊しまでになってしまって大事。
頼朝が
「ここまでするか〜」
なんか伏線がみえました。
義経が平家をぶっ潰してしまい、
「三種の神器」諸共、海の中へ追いやって
しまうのに対して、言いそうですね。
私は頼朝には
牧宗親に対して
「そこまでするか〜」とも言いたいです。
伸びるまで、世間に出られないですよね。
話はまた、変わるけれどお相撲さんが
丁髷を髪が薄なっても一生懸命鬢づけ油を
使って丁髷を作り相撲とるのを思いだしました。
丁髷が結えなくなったら「引退」
と聞いたことがありました。
◎実衣のお喋りずき、「誰かに言いたい」
というところが後々に
◎義経の「ここまでするか?」
◎牧の方の政子へのライバル心
なかなか今後起きえる事への
伏線が沢山みえました。
今回は「隠れ家」としてしかでてき
ませんでしたが
その隠れ家は
「伏見広綱」の今で言う逗子あたりにあった
お屋敷だそうです。
この人は亀の前のことにしても
新田義重の娘に対しても頼朝のラブレターを
渡す役割をしていたそうですが、
家を壊され、鎌倉を追放されてしまうのです。
なんとも大変な事件、騒動になって
しまいました。
今回、色々調べてみると
追記…
「後妻打ち」で
後妻をうわなりといい、
前妻を「こなみ」というそうです。
2020.11に👇
「佐紀古墳群巡り」というのに参加したことが
あり、「ウワナベ古墳」の調査現場に入れる
という事で、ワクワクしながら参加させて
いただきました。
あの、堀を越える橋を渡れるって
すごいことだと思っていました。
「ウワナベ古墳」の近くには「コナベ古墳」
コナベ、ウワナベ?
どうやら今回の「うわなり」と「こなみ」
という意味合いがある?とも言われている
という記事をみました。
ここで繋がるとは思いませんでした。