鎌倉殿の13人…第13話 | emitandyのお城、古墳・歴史大好きブログ

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第13話 「幼なじみの絆」


頼朝の浮気は

御家人たちをも巻き込む大騒動となった。

源平の激突を目前に、

鎌倉に亀裂が入ろうとしていた。


先週の終わりに

大江広元が「一つ気になる事が…」

とういう言葉を残して終わったので、

そこから始まるのかと思ったのですが、

先延ばしのようです。


北条家の会議から始まりました。

「何もかも嫌になり、伊豆へ帰る」

と言って時政は帰ってしまった。


義時は「鎌倉殿」の、そばで活動して

いるけれど、比企能員、大江広元、安達盛長

というメンバーになり、平家打倒と言って

旗揚げした当初の御家人がいなくって

時政がパイプ役だったのが良くわかる

シーンでした。


そんな時に行家がきて、自分の戦の

アピールするも義時の瞬時に訂正して

あっと言わしています。

11戦して8勝と8勝して6敗とではかなりの

差があることを言い表す、このセリフは

三谷さんらしいと思いました。

勝率7割3分と2割5分ですからね。


この後に、行家が「木曾義仲と組んだらどう

なるのか?」と揺さぶるような発言にしても

「はぁ〜痛くも痒くもなし」ときっぱり

言い放てるところは、ある意味大将の器を

感じえずにはいられません。


上総介に対しても、参陣が遅れたときに

「遅い」と一喝しているし、

そこに上総介は大将の器を見極めたと

言っています。


この頃は、西日本では美濃現実や近江源氏、

摂津源氏なども挙兵していて、

平氏はそれに対応していますが、

なんと言っても「養和の大飢饉」が西日本を

襲っているので、食糧を確保するために

それほどではない北陸などから仕送りして

欲しいところだけれど、木曾義仲などが

阻止していると言われています。


関東でもまた北関東での頼朝に対する

反発で志田先生義広などが蜂起したのを

鎮圧したりしています。


反対に味方になるものも多く、甲斐源氏の

中からも味方になるものなども出てきて

います。


なかなか関東の地盤が固まるのを直接叩けない

平氏側としては

その北にある「藤原秀衡」を動かしたい

ところですけれど、

近くにいる鎌倉にさえ、会津まできたとか

来ないとかしかわからないくらいなので、

情報錯綜させて、のらりくらりさせています。


すぐにセリフに意味があるのではないかと

疑ってしまう私です。


以仁王の令旨のお陰で国の一つや二つ

差し出して迎えろと言っていましたが、


「くに?」と安達盛長が返していましたが、

平宗盛は、藤原秀衡に対して官位を与えてまで

関東に出兵をさせようとしています。

陸奥守従五位上に任官ですからね。

まだ、頼朝は従五位下に復位していないので、

それだけでも悔しいでしょう。


やっと出てきた〜


木曾義仲です。

巴御前、今井兼平と

こちらも「幼なじみ」でしょうね。





瀬田の唐橋




そして、木曾義高が登場。


市川染五郎さん。美しいですね。

お父さんの先代染五郎さんの方が私には

なじみがありますが、ちょっと堅い感じがして

凛々しく鎌倉はいくのでしょうね、


頼朝は行家に一段高いところから面会。

木曾義仲は行家に対して同等でしたね。


ここに頼朝と義仲の政治的な要素の差がでて

くるのではないでしょうか?