””台風の前に…③ 真田神社 | emitandyのお城、古墳・歴史大好きブログ

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真田神社の由緒(パンフレット等より)

真田氏、仙谷氏、松平氏という歴代の
上田城主を御祭神としています。
しかし元々は松平家のご先祖をお祀りする
御宮であり、松平(しょうへい)神社と
称していました。




大きな六文銭の兜ですね。

2016年の「真田丸」の時は
みんなこの前で撮ったのかしら?

創建は、

松平家は真田氏、仙谷氏のあと、
江戸時代中期から明治の廃藩に至るまで
七代百六十余年の長きにわたる上田城主でした。
松平家は先祖を徳川将軍と同じくする松平氏の
1つで、藤井松平と呼ばれます
上田城主となった系統の藤井松平氏の初代忠晴公は、忠山と号し、寛文(1669年)に亡くなられて墓所を京都の金戒光明寺に置き、
その忠山公の御霊を祀る忠山社が設けられても
いました。この御社が当社の起源になっているそうです。

なるほど…

初めは「松平神社」になる前も
「忠山社」としていたんですね。

その後、明治維新後は廃藩置県で上田藩もなくなり、お城も「廃城令」で民間へ払い下げとなり、
そんな急に無くなってしまったものですから
旧上田藩士や旧領内有志より、
旧藩松平氏への報恩の為
初代忠山公、二代忠昭公、三代忠周公の御霊璽を
合わせてお祀りする神社を上田城跡に建立したいとの声が起きて明治12年(1897年)の松平神社
創立願いが長野県より許可されたんですね。

その後は真田氏は上田氏の象徴でもある上田城を築き、その武略によって上田城の名を高らしめ、
仙谷氏はその後を受けて上田藩政を発展させる
とともに、関ヶ原戦後破却されていた
上田城の復興の神社として、また新時代の神社として望ましいのではないかという先の大戦後に
起こりました。
昭和28年(1953年)に真田氏と仙谷氏、そして松平氏の歴代全城主を合祀して、
「松平神社」から「上田神社」と
改称したそうです。

市内には同名の他社と紛らわしいこともあり
初代城主である真田氏の名を冠して、
昭和38年に「眞田神社」と再度改称し、
今日に至ったそうです。



なるほど…




真田井戸
本丸唯一の井戸で、この井戸には抜け穴があり
城の北方、太郎山麓や藩主居館跡にも
通じていたとの伝説もある



こちらは、「伊勢神宮」への遥拝所



御朱印帳と御朱印をいただきました。


帰りには、

信州上田おもてなし武将隊の
真田幸村に会えたんですよ。
名刺もいただきました。




これから、昼食です。

私が楽しみにしていたのは

「くるみ蕎麦」クルミのツケダレで
蕎麦をたべたい!



このマヨネーズみたいなのが、
クルミたれなんです。

久しぶり。

さぁ、暑いけれど
主人が楽しみにしている「安楽寺」の
 国宝 「八角三重塔」を見に行ってきます!


続く…