”台風の前に…② | emitandyのお城、古墳・歴史大好きブログ

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浅間山など噴火して出来た岩を使ったりして
いるので、作りやすく、壊れやすい様にわざと
作ったものだそうです。



上田城は天正11年(1583年)、真田昌幸によって
築かれた平城で、上田盆地のほぼ中央に位置しています。
堀と土塁で囲まれ、虎口(出入口)に石垣を
使った簡素な城ですが、第1次、第2次上田合戦で
徳川の大軍を撃退、しかし上田城は関ヶ原の合戦後に破却され、藩主であった真田信之も
松代へ移封となりました。
そのご、小諸から入封した仙谷氏により城は
再興され、近世後半には松平氏(藤井松平)の
居城となりました。
幕末には本丸、楼門2基、櫓7基ありましたが、
現在は櫓3基と楼門1基をになっています


二の丸橋を渡り、東虎口楼門
右側の枝垂れ桜は、春見事にピンクなのですが、
夏の緑も豪快です。




真田石、本当に大きいんですよ。
真田信之が松代に移封するときに、
形見として持って行こうとしたらしいのですが、
どうにも動かなかったとかという、
言い伝えもあります。


朝、8時過ぎなのでまだ人もいないし、

ゆっくり見れますね。

それにしても、良い天気です。


西櫓で尼ヶ淵の河岸段丘上に築かれた本丸櫓。
外壁は板張り(下見坂)とし、その上から
軒の部分までを塗籠としている塗籠としている
これは寒冷地の城に多く見られ、初期城郭建築の
様式とも言われる。
また、格子窓に突き上げ戸がついた「武者窓」や
矢や鉄砲を放つための小窓「矢狭間」「鉄砲狭間」も設けられている
この西櫓は真田氏が松代に移封となり、
破却されたものを仙谷氏が寛永3年(1626年)
から上田城を復興工事の際に建てられた
ものが、そのまま残っている貴重な建物なので
県宝とされています


入口の楼門の左右にある、南北の櫓にも
ゆうりょうですが、入れるようですが、
8時半からだそうで、まだ時間が少しあるので、
上田城跡公園を見て回ることにしました






本丸土塁の隅おとし

見事に隅が丸くなっていますね。
これは、土塁の北東(丑寅)隅を切りこみ、
「鬼門除け」としたものだそうです

やっと公園を一周して帰ると、開始時間になり
東虎口楼門と南北の櫓を有料ですが
登ってみてきます。



櫓からは新幹線がみえるのですが、
城の下は千曲川、新幹線が走っているところは、
千曲川の中州になるそうです。







かなり緻密に作られていますね。


資料館も含めて、500円なので
見晴らしもよかったので、入って良かった!

さて、やっと真田神社へ行ってきます!

続く…