行ってきました。
実家の近くですけれど、
ちかいからこそなかなか行かないもので
10数年ぶりです。
多分前回行った時にはこのブログを始めていあなかったので、
これが初めてかもしれません
正式名称は
無量山 傳通院寿経寺
宗旨 浄土宗(開祖法然上人)
本尊 阿弥陀如来
お称え 南無阿弥陀仏
「伝通院」とは徳川家康の生母於大の方の
院号に因んでいます。
於大の方は、慶長7年(1607年)8月に
京都伏見城で死去し家康は母の遺骸を遺言通りに江戸へと送ります。
於大の方は死亡時75歳だったとか77歳だとも言われていますが、
その歳で5月に上京(伏見城)して高台院の邸に訪問したり、後陽成天皇の御機嫌を伺いまわらせたり、また豊国神社にも詣でたりして
悠々自適に過ごしていたが、
7月に床に臥すようになり、8月28日に還らぬ人と
なったようです。
上京においては1年前以上からで準備万端では
あったものの、高齢の於大の方にとっては
結果的に死出の旅路となってしまったようです。
江戸へ亡骸を搬送し、
大塚の智光寺にて火葬し、当初は菩提寺である
芝の増上寺に埋葬するつもりでは
あったが、「増上寺を開山した聖聰上人の師である了譽上人が開いた故地に新たに寺を建立されるように」との言上を受けて
伝通院の建立を決めたといいます。
当時は現在の小石川4丁目に「宗慶寺」あたりにあった寿経寺だったか小さかったので
現在の小石川3丁目にある伝通院へと規模を大きくして於大の方の院号をとり
「伝通院」としたと言われています。
※慶長8年より松平大隅守と伊奈備前守が奉行となり本堂、方丈、庫裡その他を造営したとあります
松平大隅守?
伊奈備前守は多分伊奈忠次ではないかとはおもいますが、松平大隅守はだれか?
渡辺家の盛綱、重綱?
まさか島津義久?なんて考えていたら
先に進まなくなったので中断します。
於大の方(家康生母)
ものすごく立派ですね。
段で少し高くなっています
他に千姫ですが、こちらも立派です
他にも女寺と言われるくらいに
歴代将軍の子女、側室の菩提棟が沢山あります。
ここだけで、本当に話がつきませんね。
今回は、この時点でわかったことだけですが、
千姫のお墓を左に曲がると
三代家光の正室本理院などとても立派な
お墓がありますが、
その先に進むと8代将軍や11代将軍の家斉になると子どもは早逝したとしても将軍の子どもですが、母親になると生母とはいえ側室で
子どもより小さい墓になっていきます
左側が将軍の子女、道を挟んで側室たちの墓ですがその中に
吉宗側室「お久免の方」の墓があり、向いている方は道を挟んで