尾崎前山製鉄遺跡 | emitandyのお城、古墳・歴史大好きブログ

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歴史好きで寺社仏閣、行き先々で発見してはブログにup中。

や2019年6月23日は曇り

なかなか週末の天気が良くなくって

遠出に行けずにいます。

 

それで、我が家から、

遠くもなく近くもないところは?

  

そして、

目的は御朱印をもらえる神社。

 

「東蕗田天満宮」に行くことにしました。

 

ダウンダウンダウンダウン



そこへ行く途中にですが、

「尾崎前山製鉄遺跡」という
看板をみつけました。



畑の中に小高い丘があり木々で覆われていて
全部が全部遺跡とは思いませんが、
どうも怪しい?遺跡ではないかと
主人と話していたところ
看板をみつけて、「東蕗田天満社」の
帰りに見学してきました。
畑の中に、無料駐車場があって坂を登って
いくけれど、その先にはあまり看板もなく
民家になってしまって
残念でした。


竪穴式住居も発見されたり、
また鉄を作っていただろう時期に
「土師器」「須恵器」など生活様式なものも
発見されているので、つくっていたのではないかと言われています。

製鉄所に関しては
縄文、弥生、平安時代の
複合遺跡だそうで、
出雲の製鉄所に似ているそうですが、
出雲よりも成分にチタンが多く、たたら製鉄
技術を使っていたそうです。

日本はある時期まで鉄を輸入に頼るしかない
時期があり、たたら製鉄技術(砂鉄)が
入ってきたことにより、日本でも作れるように
なっていったんですね。



前方後円墳



平安になると、桓武天皇の孫高望王系の
平将門は、この地域を納めていて
「将門の乱」を起こして戦上の真ん中に位置する
そうです。将門の武具、馬に使用するものに
関してはここから供給して
いたかもしれませんね。

今回たまたま行くことになった
所が天満社、八幡様、これから書こうとしている
金村別雷神社がなぜ、そこにあるのかを
調べていくと、点が線になり歴史になって
いくんですね。

楽しい!