エミシの森 -154ページ目

(4).宮沢遺跡


 長者原近くで興味深い遺跡がある。宮沢遺跡という。



 遺跡の概略は、こうだ。

 8世紀から10世紀ころの城柵・官衙遺跡(役所兼駐屯地のようなもの)だと説明はある。東西約1400m、南北に約800mにおよぶ大規模な遺跡である。規模からすると陸奥の国府であった多賀城のなんと1.5倍、出羽の国府であった秋田城と比較して4倍の広さだ。これは城柵・官衙遺跡としては、もちろん東北最大のものである。



 それにも関わらず文字を持った人々の史書のどの城柵・官衙遺跡なのかさえ不明なのだ。

 

 が、東北自動車道建設に伴う発掘調査(昭和4951年)が行なわれた際、掘立柱建物跡や竪穴住居跡、役所とされる周囲を区画する築地跡や土塁・溝跡が発見されている。専門家の鑑定なのだから確かに城柵・官衙遺跡なのだろう。それはそれで良い。


 私は、この地に呼ばれた・・・と感じだ。その理由、応えは、この丘陵の名にあったことを知る。

 この地は、長岡丘陵という。ナガオカと読んで良いが、本質は、オサのオカだ。「もう少し掘れば縄文の遺跡が出るだろうに」と当時思ったが、何故か平成4年に再調査された。しかし逆に謎は深まったと新聞記事にあった記憶がある。学術だけで考える方々にはそうなのだろう。



 こうなると長岡地名もエミシのモリを探る手がかりになってくる。それと同時にこの遺跡を朝廷の城柵と単純に考えるのは無理はないだろうか。私は朝廷の兵の駐屯地兼征服したエミシの居留地考えている。



 「長者」と付く地名が残る全国の地に目を向けてみよう。




        次回「エミシのモリの在り処(か)  5.全国の長者地名」に続く