(3).長者地名
「長者」地名の一例をあげよう。
宮城県の大崎市に古川川熊字長者原という住所が存在する。
この地方は、以前古川市といった。市名の元となった川が古川、つまりこの地方の中心的な場所であったという想像が容易につく場所だ。
川熊。川とクマと言えば、宮城、福島の阿武隈川と長野の千曲川が思い浮かぶ。
サケを狙ってクマが多く現れていたのであろうか。古には、豊かなモリがあった証なのだ。
ちなみに千曲から千の曲がり、クマは、アイヌ語で「曲がる」の意の説もある。確かに宮城の岩沼も阿武隈川の蛇行によって残された、沼が多かった。しかしこの地帯は、位古の史書に逢隈とあるので、やはりサケの遡上の季節に熊に逢う場所だったのかもしれない。
この長者原(ちょうじゃはら、じょうじゃがはら)には、長者川(ちなみに長者川も日本各地に残っている)の源である化女沼(化粧沼)の名を取った“化女沼古代の里”と言う「縄文の村」を観光地化した施設がある。長者原、ここは縄文時代のエミシのモリであったのだ。
この化女沼に残る伝承には、典型的なエミシのカカシ、カガシ(蛇)信仰抹消物語が残っている。
かつてこの地に長者が住んでいて美しい娘がいた。そしてその娘に関係する男が登場し、実は蛇だった。ここでは詳しくは書かないので「照夜姫」で検索願いたい。このカガシ(蛇)信仰抹消物語の事は、機会があれば書こうと思う。
この血を是非訪れて、実際にご自身の足で歩いてみていただきたい。東北自動車道のサービスエリア長者原が、その地であり、ETC利用の場合、そのままサービスエリアから外にでれる。
今は桜の木が数多く植えられた小高い岡の公園や化女沼とその周囲の湿原、そして近くには、上流に鬼首、荒雄岳を持つ江合川がある。下れば海もそう遠くはない。周囲には、無数の沼と沢が今も残っている。魚、渡り鳥、それらを狙う動物達。それらの食物連鎖の循環性を保証された地なのである。
大規模な集団住居を構成するに的確な地であることに現代でも十分に納得いくのではないだろうか。実際、江戸の台所を支えてきた米所がここ大崎地方なのだ。奥州王伊達政宗(ダテは、舘を連想させる。伊達家は、奥州藤原家の分家としての末裔でもある。)も江合川のほとり岩出山に城を築き、この大崎地方を統治した時期がある。それ程に豊穣を約束された地でもあった。
長者原近くで興味深い遺跡がある。宮沢遺跡という。