エミシの森 -152ページ目

丸 ◯ マル マジナイ(呪い)

2011/8/16加筆修正)


「マル」、「マラ」、「マロ」。音としては、「ル」と「ラ」の中間音と想っていて良い。そうすると「ロ」に聞こえるのだ。つまり「麻呂」も同義の呪文である。


会社名の頭一文字を○で囲む。「アテルイ」であれば㋐のように表記する。


幼名の丸。伊達政宗の幼名は「梵天丸」であるように。

後付パターンは、田村麻呂となる。


いったい 丸 ○ とは何か。


「オマルで便器、糞である」などという腑の抜けた意味ではない。

それは「大自在天」を意味する、といっても一般的には、馴染みは薄い。

シバ神である。


シバ神が、エミシとなんの関係があるのか。確かにその疑問は正しい。

だがエミシの地には、原始信仰の名残りに、不思議な程にヒンドゥー教との類似点が観られる。それは今後、追い追い触れて行く事になる。


今回は、摩多羅神の話として説明しよう。

奥州藤原家の築いたこの世の浄土、平泉。 藤原氏はエミシではあるまいとする意見もあるが、そんな事はない。血統は、安倍氏から引き継がれている。このことも追々触れて行く。

毛越寺で『二十日夜祭』として祈祷が春に行われる。常行堂に秘仏があるのだ。 その秘仏が、天台宗寺院の本尊、阿弥陀経及び念仏の守護神とされる摩多羅神である。もう少し詳しく書けば、天台宗の僧、慈覚大師円仁が常行堂の「阿弥陀如来の背後に「後戸」と呼ばれる壇を作り配置したと言い伝えられている。


円仁と摩多羅神の関係は、円仁が唐から帰国に費やした十年の難渋の旅の末に、日本へ船で渡る海路で感得したのがと摩多羅神であった。 無事の航海の守護の約束の代償として摩多羅神を祀る約束をしたのだという。

摩多羅神の、本質はヒンドゥー教のシバ神である。

○ は、シバ神の象徴、リンガ、つまり男根を意味しているのだ。


岩手の地にある代表的な信仰の形跡の例を書いておくので、機会があれば訪れていただきたい。

岩手県盛岡市巻堀の巻堀神社に、金精様は祀られている。金精様とは、男根であり、まさにリンガである。


マラを男根とするのは、そのためであり、マルは、マラに等しいのなのだ。 東北から関東にかけて木製の金精様がいたるところに祀られている。自然石をそれに見立てた神様もいたるところにある。それだけではない岩の割れ目をヨーニ(女陰)とするもの多くある。


シバ神の源流に、土着信仰があった。だがそこに理を持ち込んだのは宗教である。天台宗がその一つではあったが、他のヒンドゥー教との共通性を説明しきれない。


十三湊にあった巌鬼族の東南アジアとの交流伝承が関係しているのだろうか。

明確に説明できる史実との関係性が摩多羅神であって、その威光をもって邪なものが入ってこないようにとした呪いがマルなのである。


会社の運営がうまく行くようにと願いを込めて。

日本の印鑑は、○の中に文字を入れるのも同様である。

家紋も○で囲む物が多い。余談だが五角形も多いのは、陰陽道の名残りである。


舟は、円仁の伝承に習い、荒ぶる海神に抗しうる力をとの念であった。余談だが船舶に関する法令でできるだけ丸を船舶名にすることになっている。


子供の魂を邪なるものに持っていかれないように(死なないように)と願を掛けたのである。


オマルで糞をする時、肛門から邪が体内に入り込み病気などすることのないように・・・邪なるものは、穴から入ると考えていた。


穴と言えば目、鼻、口、耳の周りに刺青をして邪(病気のもと)なるモノの侵入を防ぐ習慣があった。これはアイヌ民族に共通である。図柄には、邪が嫌う尖ったモノが良いと考えた。 この考え方は、多くの先住民族に共通する。また西洋にもあり、世界的に共通することに民族の根が同じことを感じる。


お丸や糞をマルとするのは、魔物が汚いものを嫌うから・・・ではない。

以上の理由があっての事であったが、忘れ去られたのだ。

この考え方は、アイヌ民族にも引き継がれ、幼児を糞と表現することで邪から護る風習となった。

摩多羅神の威光にすがる祈りのまじないが、○の意味なのだ。そしてその根本がシバ神に共通する破壊と創生、死と生、そして邪は、地に居るとする原初的思考にあった。この話も追い追い書こう。

テーマは、エミシのマジナイである。


エミシにとって「ま」という音は、漢字の「魔」の意に近しいものがある。

乱暴な話だが、漢字で摩も魔もそう変わらない。というよりどうでも良い。大事なのは「音」なのだ。

それと概念を塗り替えていただく必要がある。

少なくとも「魔」は、「悪」ではない。

ここで防ぎたいのは「邪」の概念に近い。だがその漢字「邪」の使用もヤマトビトの土着信仰潰しの戦略なのだからなんとも説明に的確な表現が今は見つからないので仕方がない。

○の呪いは、地に潜む「邪」封じと理解して戴いて結構だ。


エミシのシャーマンが「マ」とはっするだけで、その威力はあると信じられていた。 そのため「マ」の音のまじないが、仏教などの輸入思想や宗教の理と融合連動して○の利用が行われた。


そういう「マ」ジナイが、「ママ」あったのだ。くれぐれも悪戯に「マ」を使わないように願いたい。逆に「マ」を呼び込む事になる。