エミシの森 -150ページ目

エミシの名に懸けられた念  其ノ壱

 アテルイ


 モレ


  エミシの英雄の名・・・いや朝廷側の呼び名だ。

   アテルイ の ルイ がで リイ で アテリイ

 

   モレ の レ が リ で モリ

   あるいは レ が レイ で モレイ



   だという説もある.

   東北人には訛りとして十分理解の範囲であるが・・・。

   

   モレがモリとなると大いに関心があるが、それはここでは触れすにおこう。



史書には、漢字があてがわれている

字を見ると、成程、そう言わればそう(色々な解釈ができることに納得する)なのだろう。


 大墓公 阿弖流爲(阿弖利爲)


 盤具公 母礼



近年アイヌ語での解釈にて

   アテルイが“弓の名手”


   モレが“霊を鎮める者”

   

とのエミシ学会様の解説を拝見させていただきました。

エミシに関する研究への情熱には、ほんとうに頭が下がります



前置きが長くなったが、皆さんに知っていただきたいことは、エミシ真の名は、誰にもわからないということなのだ。


“シャーマニズム” と “アミニズム”


その融合の中に生きる民族にとって、名は、知られてはならない。


だからアテルイとモレのほんとうの名を知ることは絶対にできない。



インディアンの英雄ジェロニモもそうである。

他人が彼への想いを呼び名としただけだ。


他人がほんとうの名を呼ぶことを嫌う習慣は、インディアンだけでなく多くのモンゴロイド系の民族にあった。

チンギス・ハンも、その名テムジンも呼び名でしかない。



名は、名付け親の念(願)のかかった神聖なモノであり、チカラの根源でもあったのだ。


神道で神頼みとして、神の名を呼ぶに等しいとイメージしていただいて良い。


もっと身近な名に関する話を書こう。


                        つづく・・・