漏斗の底
漏斗の底から、光の向こうへ。 向こうへ行かなきゃ始まらないから。* * *昨日の満月。見上げた月は、あまりにもまばゆく、あまりにもくっきりとした輪郭で、頭上にあった。今まで見たこともない強い光。象徴的な月の模様さえ映さないパワフルな光源が頭上にある。その白い円の違和感。マットな真円は球体の一面であるというより、縁で切りとられた一部分に思え、そこから放たれる輝きは、孔から差し込む光のように思えた。すっぽり伏せられたドームの底にいて、天上に空いた一つ穴の向こうのまばゆさを見上げているのではないか?という錯覚。(錯覚なのか?)私たちは、鎖されたドームの中にいるのではないのか?* * *はっとしたこと、あっと思ったこと、強く心を揺さぶられたことは、短歌にしておこうと決めたから、頭上の光をみすえて、三十一文字を考え始めた。月が宇宙に浮かぶ天体ではなく、一つの孔にしか思えないほど(クレーターの影さえ見えない)、強い輝きだったこと。天上に広がるのは宇宙空間ではなく、閉ざされた場所ではないのかという怖さに襲われたこと。月が孔であることをどう表すか?隔離された場所から見上げていることをどうやって表現するか? 口径という言葉を使えば伝わるだろうか……今いる場所は?ドームの底? ボウルの底?口径とドームが組み合わさった形として、 「漏斗」が浮かんだ。自分のいる場所は「底」。底から見上げる閉ざされた天井に、ひとつあいた孔。孔の向こう。「漏斗の底」という表現を使うことにして、詠んだ。見上げれば此処は漏斗の底なのか月と見まごうまばゆさ遙か* * *さっさとアップして寝たけれど、朝になって、自分の短歌を読んだとき、(漏斗の底ってどこ?)という疑問が、猛烈に襲ってきた。もちろん、短歌を創ったときは、漏斗を口径の大きい方を下にして伏せた形を思い、細い口径の部分が月のつもりだった。(果たしてそうなのか?)(底ってどっち?)漏斗を台などに置くときは、安定がいいように広い部分を下にするけれど、使うときに下になるのは、細い部分だ。「漏斗」という言葉を聴いて思い浮かべるのは、上部が開いた形だろう。(ありゃりゃ)短歌を読んだ人は、漏斗の形を思い浮かべて、文脈を組んで理解してくれるかもしれない。だけど、間違っていたら成り立たないので調べることにした。検索キーは、(漏斗の底)探していた答えに該当するものが3件見つかった。一つ目は、あるソフトウェアの説明文で、タンパク質のエネルギー地形が「漏斗状」であることと、その天然構造が「漏斗の底に位置する」ことが書かれていた。(小さいほうが底!)(やはり……)でも、ほかの2件は文学作品(!)で、私が感じたように、広い部分を「漏斗の底」としていた。どちらも小説だった。一つは、山尾悠子さんという作家の『夢の棲む町』その部分を引用すると…………街は、浅い漏斗(じょうご)型をしている。その漏斗の底に当たる劇場前の広場に立ったバクは、夕暮れ時の街、まだ寝静まっていて人影見えない街を……もう一つは、エドガー・アラン・ポー(!)の作品を森鴎外(!)が翻訳した『うずしほ』という作品。鴎外の翻訳の該当部分を引用すると…………見えている限りの空の周囲(まはり)が、どの方角もぐるりと墨のやうに真黒になってゐまして、丁度わたくし共の頭の上の所に、まんまるに穴があいてゐます。その穴の所は,これでつひぞ見たことのない、明るい、光沢(つや)のある藍色になってゐまして、その又真中の所に、満月が明るく照ってゐるのでございます。…………月は漏斗の底の様子自分の光で好く照らした見ようとでも思ふらしく,さし込んでゐますが,どうもわたくしにはその底の所がはっきり見えませんのでございます。なぜかと申しますると,漏斗の底の所には霧が立ってゐて,それが何もかも包んでゐるのでございます。その霧の上に実に美しい虹が見えてをります。……(!!!!!)まさに、私が感じた満月と同じ光景だった。(そうなのそうなの!)(そのとおりなの!)私が観た月を、エドガー・アラン・ポーも、森鴎外も観たことがあるのだ。(きゃーーーー)それは、とても勇気づけられることだった。嬉しい。だけど、あんなに一生懸命考えて捻出した「漏斗の底」が、「既に誰かの表現だった」なんて……。私は「うずしほ」という作品を読んだことがなかったけれど、詠んだ短歌はパクリそのものに思えるだろう。* * *どの時代においても、どの国においても、人間が感じることに大差はないのだ。どんなに感性を磨き、技巧の限りを尽くしても、オリジナルの感覚やアイデアなんて、もうどこにも残っていないかもしれない。 (じゃあ、やめるのか?)(やめない)誰もが感じることのなかから、まだ誰も見出していない表現を探したい。採掘しつくして閉山になった鉱山にだって、手つかずで残っている鉱脈がある。見えている輝きの何億万倍もの強さでそこに在る漏斗の先の光源。漏斗の底から、光の向こうへ。向こうへ行かなきゃ始まらないから。浜田えみな