もう、「次の機会」は、ないかもしれません。
薬など手に入らない日がくるかも。
自由に動く身体を失う日がくるかも。
* * *
大阪府枚方公園駅近くにある鍵屋資料館にて、7月12日(土)に開催する 村松恒平先生の「表現の会」の下見をしてきましたよ~。
当日の集合場所は、京阪電車枚方公園駅なのですが、枚方市駅から京街道を歩いてみました。
街道はきちんと整備され、入口もわかりやすいです。案内板も随所に設けられています。
当時の造りのまま、保全された家が残っています。
街道の途中ですが、ふと、横を見ると、
(ただものじゃない!)
と思わせる気配。
写真には納めきれないオーラ満載の緑陰が、本当に、圧倒的な存在感でそこにあるのです。
(この山は何?)
石標を見ると、「万年寺山」
(やはり)
明治25年に、小学校の運動場の拡張工事の際に8枚の道鏡が出土し、平成17年には、石棺と男性の骨が出土し、調査の結果、古墳時代前期のものと推定されている万年寺山。
枚方に古墳があるなんて、びっくりするけれど、そのほかにもいくつかの古墳群が確認されています。
ただ、万年寺山は、遺構の跡形も残らないくらい、歴史上の流れの中で、翻弄された土地でした。
地図で確認すると、この道から意賀美神社にも行けるようです。
意賀美神社は、当時の私の家と小学校の間にあり、近くに仲良しの友だちが住んでいたので、遊びまわった場所ですが、最近、
「ゼロ磁場だよ」
と教えていただいたので、興味シンシン。
私は、枚方公園駅のほうに住んでいたので、こちらから意賀美神社に行ったことはないので、初めての道です!!
石段を登りきると、お茶屋御殿跡という看板が。
私が子どもの頃は、そんな看板もなく、広っぱだと思って遊んでいました。
豊臣秀吉が眺めていた頃は、淀川の悠久の流れの中に、行き来する三十石船や、煮炊き物を売りさばくために近づく、くらわんか船が見えたことでしょう。
(ちなみに、石棺が出土したのは、この整備工事のときだそうです)
おお! 懐かしい寺嶋先生の碑!!!
ここは、明治25年から大正15年まで、今の枚方小学校があった場所です。
教え子のかたがたが石碑を立てるくらい、教育者としても人間としても人望の厚かった寺嶋治平先生の「ひ孫」の寺嶋みち先生に、私は小学校3年~4年と担任していただきました。
みち先生が、私の書いた作文や感想文を、べたぼめにほめてくれたので、母などは、まだその作文を引き出しに保管していますし、私は、うっかり、自分が作文がうまいのだと思い込みました。
本当に、小学生の純真で素直な脳に「すりこまれたこと」というのは、怖いくらいに、その人の一生を左右するのだとわかります。
みち先生が、手放しでほめてくれたおかげで、その後数十年、私は自分が文章を書くことが得意だと(なんの根拠もないのに)思い続けていられたのです。
一昨年、実家に帰ったおりに、母が保管していた小学校3年当時の、花丸がいっぱいついた自分の作文を読み返し、当然、うまいと思っていたので、子供たちにも、鼻高々で読ませたのですが、結果は……
(ええっっっ)
よろけそうになりました。あまりに下手すぎて。
これは「謙遜」などではありません。
いっしょに読んだ夫や子供たちにも大笑いされたし、私自身も、がっくりした、とんでもないシロモノでした(絶句)。
どこがどう上手だったのか全く理解できないけれど、みち先生の大絶賛のおかげで、私は文章を書くことに、何十年も夢中になれ、費やした時間の分くらいは上手になれたのですから(苦笑)、先生マジック、恐るべしです。
寺島治平先生のひ孫のみちさんのおかげで、今の私がありますと、石碑の前で手をあわせました。
意賀美神社の第二鳥居です。
意賀美神社で遊んだと思っていたけれど、お茶屋御殿跡や、小学校跡で、今は植樹されて梅林となっていたあたりで、駆け回って遊んだということが思い出されてきました。
参道の石段で、「チョコレート」という遊びをしたかも(笑)
意賀美神社から少し離れたところに、樹齢600年とも言われている、大阪府の天然記念物のむくの木があります。
やっと通れるくらいの狭い路地を抜けると、いきなり1本だけ出現します。
かつてはここに河内鋳物師の伝統を受け継ぐ田中邸がありました。
ザラザラした椋の葉は鋳物製品を磨くのに使われ、椋の木は、金屋のシンボル的存在でした。
現在は母屋が枚方市藤阪にある王仁公園に移築復元され、むくの木だけが残っています。
天川村のゼロ磁場と言われているところにも、樹齢700年と言われている大イチョウの木があります。
ゼロ磁場の環境が、生物の成長にとって、なんらかの関わりがあるのかもしれません。
この付近の山が古墳だとすると、ゼロ磁場と言われていることも含めて、特別な場所だということを感じさせてくれます。
木肌にふれ、もたれるようにして背中をつけ、上をみあげてみます。
パワーチャージしたあと、また、京街道に戻り、鍵屋資料館へ。
鍵屋資料館です。
船宿として栄えた鍵屋は、表側は街道沿いに、裏側は船着き場になっていたそうです。
現在は、道路や堤防、河川敷などがあり、淀川の流れは遠く離れていますが、昔の図などを見ると、船がそのまま出入りしていました。
鍵屋資料館の展示では、実際に船の模型があり、当時の様子がよくわかります。
街道に面した主屋は解体修理され、江戸時代の姿に復元されています。
淀川に近い別棟の一階は、宿場に残された古文書や民具、発掘調査の出土品などが展示され、模型や映像で、枚方宿や淀川舟運の歴史を紹介しています。
大名行列も、象までも通ったという宿場町枚方の当時の賑わいを伝える資料も、目にすることができます。
二階は、平成9年まで営業されていた料亭時代にしつらえられた63畳の格式高い大広間で、現在では、少し遠のいた淀川の流れを望むことができます。
館内は撮影禁止のため、写真はありませんが、この大広間で、ランチ会及び歓談を行う予定です。
利用人数が8人以下の場合は、小部屋になるかもしれないとのことでした。
ランチ会のお弁当には、当時、供されていたとされる「ごんぼ汁」がつきます。
鶏ガラのダシに醤油味で、鶏肉・ささがき牛蒡・にんじん・うすあげが入り、材料が煮えたら、味噌の代わりに、だし汁で溶いた「卯の花」を入れ、仕上げに青ネギを散らしたものだそうです。
味噌の代用として使われていたのかもしれませんが、現代において、卯の花の汁物というのは、逆にヘルシーで斬新です。
いただくのが楽しみですし、家庭でも応用してみたいレシピです。
また、「くらわんか鮨」というものを、近隣の割烹が考案され、人気となっています。
江戸時代に供されていたのは、酢飯に漬物を巻いた簡素なものだったようですが、今、食べることのできるものは、菊人形で有名だった枚方の花である菊を混ぜ込んだ酢飯の上に、淀川の流れを作っている〈木津川・宇治川・桂川〉に見立てた〈小鯛・胡瓜・鰻〉をのせて押した箱鮨です。
とても涼しげで彩がきれいなお鮨なので、作っていただけるよう、ぜひ、交渉したいと思っています。人数が少ないと難しいかもしれないですが。
江戸時代、鍵屋浦と呼ばれたあたりは、今は広々と河川敷公園となり、子どもたちのスポーツ大会が開かれたり、市民の憩いの場となっています。
枚方宿のことは、弥次喜多道中でも「くらわんか舟とのやりとり」のことが、おもしろおかしく書かれたり、シーボルトが日記の中で「祖国マインの峡谷のようだ」と記すなど、当時の賑わいや景観の美しさがしのばれます。
***
ランチ会のテーマは、「不思議」
参加されるかた、おひとりずつ、「不思議なお話」を持ち寄ってください。
体験したことでもいいし、知っていることでもいいです。
不思議といえば、その場に縁あって、つながりあうことそのものが、すでに不思議のひとつ。
ネットで指をくわえて見ているだけだった村松先生を、ついに地元・枚方に呼んでしまったこともミラクル。
そんなことができるなら、その力を浜田省吾で使いたい。
あきらめずに願っていれば、それもまた、叶うのかも。
省吾さん、待ってて。
* * *
淀川を大阪へと下ります。
大阪城のある天満橋付近に、八軒の船宿が軒を並べていたことから八軒屋浜と呼ばれていた船着場があり、京洛からの三十石船の起点になっていました。
京街道の終点(始点)は、それより少し先の北浜の高麗橋です。
ワークショップ二日目は、この北浜の地で開催されます。
江戸時代末期の建築を残す尾形洪庵の適塾を見学し、薬種商が多く集まって「くすりの町」を形成した道修町へ向かいます。
少彦名神社にお詣りしたあと、大阪初の「シンクローム」のワークショップです。
* * *
不思議といえば、今回の連続ワークショップの開催地の候補は、伏見でした。
次の候補は京橋でした。
どちらも、開催場所の都合や日程の調整がつかず、枚方で「表現の会」をすることになりました。
さらに、紆余曲折の結果、北浜で「シンクローム」開催となりました。
気づけば、ここに、
伏見宿 ― 枚方宿 ― (守口宿)― 北浜(高麗橋)
という、東海道の宿場町と、淀川を結ぶ流れができていたのです。
ちなみに、前回の「村松先生を囲む会」は、「守口」で開催されていました(!)
村松先生が東京(江戸)を出て、大阪までやってきてくださるのです。
今回、気づいてみれば、「薬」や「医者」に関わりの深い地でワークショップを開催しています。
枚方は菊人形で有名でしたが、「菊」もまた、多くの薬効成分を持っています。
このことも、村松先生が「シンクローム」で提唱されようとしていることと、なんらかのつながり(シンクロ)があるように思えてなりません。
「薬」とは、本来、「生薬」であり、植物にそなわる「生きるための力」や「自分を守るための力」を、人間のために、ほんの少し、お借りするものだったのではないかと思います。
有効成分だけを抽出することも、化学的に合成してしまうことも、侵してはいけない領域に踏み込んでいるのではないかと、思うのです。
どんなものも、作用・反作用の力が働いているのではないでしょうか?
何かを治せば、何かが壊れる。
何かを拾えば、何かが落ちる。
何かを補えば、何かが損なわれる。
田口ランディさんの「キュア」という小説の中に、“最後は自分の専門分野の病気で命を落とす医者が多い”というようなセリフがありました。
肝臓がんの専門医は、患者の肝臓がんを救い続け、最後は自分自身が肝臓がんになるというものです。胃がんでも大腸がんでも脳腫瘍でも、そういう傾向が多いというような書き方でした。小説のセリフなので、フィクションかもしれません。
でも、このことを読んだとき、村松先生の「SBA」のすごいわけが腑に落ちました。
(なにもしない)からです。
今回、シンクロームの受講者の中に、フィトセラピーに造詣が深く、ホロスコープや錬金術にも詳しく、ボディ・マインド・スピリットをトータルで考察できる数少ない施術者であるSさんをお迎えできるかもしれないので、個人的にとてもワクワクしています。
なかなか、こういう機会は少ないので、ぜひ、関心のあるかたに参加して、体験して、活用していただきたいし、疑問をなげかけてほしいです。
もう、「次の機会」は、ないかもしれません。
薬など手に入らない日がくるかも。
自由に動く身体を失う日がくるかも。
そんなときに、「内臓ダンス」や「シンクローム」の考え方は、何かのヒントになるのではないかと思います。
そんなスピな話は、ちょっと……
と思う人は、江戸時代にタイムスリップして、淀川の流れを見ながら、ランチを食べ、ふだんは、小さな子供たちが、お母さんと遊んでいる「くるみハウス」で、なつかしいビニールマットのやわらかさの上で、いろんなゲームをしてみませんか?
なぜだかわからないけれど、大笑いできます。
これだけは、今までの村松先生のワークショップの経験から、自信をもってお伝えします。
表現すること。創造すること。
人間だからできることです。
* * *
鍵屋資料館を出たあと、せっかくなので、中学2年生まで住んでいた家を見に行くことにしました。
35年ぶり!!
建ち並ぶ家や店舗は、取り壊され、立て替えが行われているところもあったし、昔のままのところもありました。
「昔のまま」といっても、35年を経ているのですから、改修や補修は行われているに違いないのに、それさえも、すでに古くなっていて、記憶のままの壁の色でした。
子どもの足で、ものすごく長い距離に思えた道は、大人の足で歩けば、ほんの少しでした。
あまりに近すぎて、道を間違えているのかと住居表示を確かめたほどです。
私が住んでいた家は、取り壊されていて、庭を半分削って増築された大きな家になっていました。
隣の家と、向かいの家も増築されていましたが、表札はそのままでした。
通っていたソロバン塾もまだありました。娘さんが後をついでいるのかもしれません。
時間があれば、もっともっと、校区の境界まで歩いてみたかったです。
よく遊んだ公園。仲良しだった友だちの家。おつかいをした公設市場。金曜日のお弁当に、いつも買っていたパン屋さん。
今もあるのでしょうか? もう、ないのでしょうか?
ほんの一駅しか離れていないところに、毎日、出勤しているのに、ずっと訪れていなかった枚方公園のその地は、なんだか、夢の中の町のようでした。
夢の中のように色あせ、夢の中のように息づいていたのです。
村松先生の表現の会の下見のつもりが、思わぬノスタルジックなトリップになり、夏至の日は、ゆっくり暮れていきました。
村松恒平氏、連続ワークショップ ~見えない力とつきあう、遊ぶ、制御する~
7月12日(土)は宿場町 枚方~枚方公園で開催です。
7月13日(日)はくすりの町 道修町で開催です。
詳細・申込は、こちらです。 → ★★★
締切は、6月28日(土) 23時までです!!!
7月13日(日)午前中、お時間のある人は、大阪城公園~淀屋橋まで、淀川を下る現代の三十国船・アクアライナーに乗船し、江戸時代の舟運に思いを馳せてみることも可能です。
中之島公園~淀屋橋~北浜~天満橋 の間には、美術館や博物館もたくさんありますし、水都大阪の景観をよく表している場所ですので、この機会に散歩してみてください。
毎回、村松先生の大阪セミナーは、九州など西日本から参加される人が多いのですが、今回は、どんなメンバー構成になるでしょう(^^)
初めて大阪にお越しになるかたなど、ご不明な点や希望などがありましたら、申込フォームから、お気軽に問い合わせてください。
さいごに。
参加されるかたは、もちろん、ご自身のためや、ご家族のために参加されるのですが、会場では不思議なことが起こります。
講師である村松先生や、世話人である私の及ばないところで、参加されたかた同志が、ほかのかたでは届かない「癒しの手」というべきものを持っていて、その手が差し出され、受け取られ、ぐるぐるとまわりあっているような、そんなミラクルなのです。
きっと、参加された皆さんが、そのように感じていらっしゃることと思います。
だから、そのつながりのために、続けてしまうのです。
世話人 浜田えみな
























