今ちょっと前にここでも紹介した 盲目のバイオリニスト穴澤雄介さんの「楽登王国」を聞きながら書いています
この曲には一目ぼれ。。。いや一耳ぼれしました(笑)
子供の語る王国を曲にされたそうで、強さあり夢あり切なさあり楽しさありな曲なんです。
こんな好きなバイオリンの曲は初めてです。
まるで子供の頃夏休みに楽しみにしていたアニメ映画をワクワクしながら見にいった時の気持ちがよなんどもみがえるような曲なんです。
なんどもなんどもリピートして聞いています
今日はオープンカレッジの勉強の日でした。
最近は木曜日は通っています。
午前中にコーラスを、午後に心理学を習っています。
元々ホテルだった大学の中は不思議な形の校舎に、素敵すぎる行き届いたお庭があり、今日のお弁当はそのお庭で食べました。
小さな虫が飛んでくるし、スズメが池のほとりで水浴びしているし、木々が都会なのにありえないくらい成長していてまるでトトロの森のようでした。
ざわざわざわ~っていう木の放つ声が昔から大好きです。
まるで帰ってきたような気分になります。
5月の風がそよそよと髪を吹かせて心地よさを演出してくれるし、自分で作ったお弁当は美味しいし(笑)
私はいろんな人間関係の中にいます。
家族も人間関係だし、ジムの仲間も、勉強の仲間も、コーラスの仲間も、ママ友たちも、サッカーのママたちも、ご近所なんてのもあります。
実家の親戚連中もそうだし、子供たちとの関係も子供の友達も巻き込んだ関係を持っています。
どこへ行っても私です。
けれどそれぞれの場所での役割は違っているし、自分の表す形も違っています。
今日のコーラスの中ではほとんど話しません。
ジムではたくさんの人と話します。
勉強では深い心の話をたくさんしますし、仕事の話もします。
家族とは母としての私が登場して考えて動いています。
どんな私も私なんだな~って思いました。
控えめなポジションを自ら選んで楽しく歌う私がそう思いました。
学生の頃の私とちょっとかぶっていて、そのかぶった自分のことを愛おしく思いました。
今日のコーラスで空いた時間に思ったことを書き留めたものがあるので、ここに書き残しておきたいと思います。
[コーラスで学んでいること]
コーラスとは、全体が「一」であり、「一」が全体を表す。
ソプラノはソプラノとして存在していて、決して一人一人バラバラであってはいけない。
ソプラノ メゾ アルトと3部ではあるが、3部そろって初めて一つの音になる。
一人の役割は、自分の声を知っていること。
どんな強さか、どんな音の色をしているのか。
周りとなじんでいるのかいないのか。
周りとなじむ音を出すためには、周りを受け入れていないとできない。
壁があってはできないことなのだ。
自分を主張しようと「思う」と、必ず声の質になって、それは場の音を汚す。
自分をダメだと思って自粛してしまうと役割を果たせない。
しっかり自分を保ち、自分を認め、周りを受け入れ、壁をなくし、ひとつのコマになることを目指す。
それが曲を創ってく。
気持ちが美しいコーラスを創ってく。
なんだ「生き方」と同じではないか。
コーラスにも生きるヒントはある。
問題は目が開いているかどうかである。
目を開ける環境であるか。開きたいと思えるか。
歌は心で歌うのだ。
筆を心で走らせ絵を描くのと同じだ。
先生はこう教えてくれた。
まず耳ができるのを目指す。
耳ができたら違いが判る。
自覚できたら調整すればいい。
こんなメモをちょっとした空き時間に書いてみた。
先生はもうご高齢の方で、しかし元気がいい。
力いっぱい伝えようとしている姿は見ていて好感が持てるし、楽しいしおもしろくて笑えたりする。
この先生の指導が聞きたくて足を運んでいる人も多いだろうな。
先生が伝えようとしていることはすべて心のこと。
大事なのはスキルよりも心のあり方だ。
目さえ開けば、この世界はどこでも教えてくれる。
何からでも学べる。
台所に一人立っていても学びは尽きないし、子供たちには教わることは計り知れない。
本の中にももちろん学びはあるし、スーパーにお買いものしてても感じることはたくさんある。
美味しい食事に秘められた思いはいったいどれだけだろうか?
作った人、開発した人、卸した人、売っている人、まだまだあるね。
感謝しても感謝してもし足りない。
目が開けていなければ、心が安全な環境だと感じていなければ感謝は上がってこない。
感情は整理して心はお掃除しておかないと、新しく湧き出てくる感情も顔を出しにくい。
潜在意識(ゾウ)が感じていることを、顕在意識(ネズミ)が蓋してはいませんか?
ゾウが素直に感じている感謝、喜び、怒り、悲しみ、切なさなどをちゃんと感じることができる環境にしてあげていますか?
なぜ人は自分のネズミの部分だけで全部と思ってしまうんだろうか?
夜中にふと目が覚めてトイレに行ってくれているのは誰なのか?
朝アラームが鳴る前に目が覚めるのは誰に起こされたんだろうか?
お腹はいっぱいなのにスイーツに手が伸びるのは誰の仕業か?
自分に必要だと思っている関係の会なのに行くと帰りたくなるのはなぜか?
乗り方を考えずに自転車に乗れているのは誰のおかげか?
止まったエレベーターで足がばたつくのはなぜ?
なぜ人は自分は意識している自分だけですべてだと思ってしまうんだろうか?
もっともっと論理的に考えると、ゾウの存在に気がつくことができるのに。
自分のためにゾウがどんなに頑張ってくれてるのかを知っていますか?
一番にいつも自分のことを考えてくれて守ってくれていることに感謝はしていますか?
自分の中の嫌いな感情を押し込めていませんか?
もし自分が何も罪を犯していないのに牢屋にある日突然放り込まれたら、あなたはどんな気持ちがしますか?
溥儀に扱われた仕返しには、痛みを与えよう。
牢屋から出してもらって市民権を勝ち得るために、ネズミに連絡しよう。
よし!一番わかりやすく気づいてもらうためには病気になってもらおうか。
それとも命は無事で軽く事故ってもらおうか。
ストレスが溜まっているのに吐き出すすべもないネズミの代わりに、ボクが暴れてやろう!
そうか! 本当は不幸ってやつに目標設定されてるんだな。
あそこを目指せばこの命にとっていいわけだ。
ゾウには現実と非現実がわかりません。
否定語も理解できません。
時間の価値もわかりません。
ゾウは体を支配しています。
つまり行動を司っています。
しかも大きいのでネズミはゾウの意思に逆らえません。
できて理由づけするくらいの力しかありません。
「だってあいつが悪いもん」
「あんな風に先にされたから仕方ないじゃん」
「いつかはちゃんとするよ」
「いつか」はないものです。永遠にやってはきません。
夢は望むものではなく叶えるものです。
夢が夢である以上、夢でしかないんです。
敵は外にはいません。
敵は自分の中の自分です。
自分が自分の中でバラバラした意見では会議しなくてはいけません。
会議してしっかり意見を一致させなくてはなりません。
気持ちが一体化すれば、恐ろしいほどの力が出ます。
気持ちがばらつけば、苦しみの誕生です。
・・・また長文になりまとまりもなく、もし最後まで読んでくださっている方がいらっしゃったとしたら、申し訳ありません。
この場所は一番私の心が出しやすいので、思ったことを潜在意識に任せて打っています。
なのではっきりと何を書いているかわからない時もあったりします。
腕が熱くなり勝手にキーを叩いている感じです。
潜在意識が好きに動き回れるので喜んでまた書きたがります。
そんな感じで今日も突っ走り失礼しました。
ありがとう。