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emixbubuのブログ

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ありがたいことにずっと忙しくて休めていず、もう数週間いやもっとかもしれない、休んでいなかったことに昨日の夜気づいた。

今日は本当はコーラスのレッスン日だったのだが、休みがほしいという体の欲求を優先して半休だけ許してやることにした。

以前は自分で計画していたことを自分のその日の気分で休んだりすることは到底許すことなどできなくて、たとえ熱が出たから休んだのだとしても、責める自分はいた。
自分を我慢させて動かすことをすべきだと思い込んでいたからだ。
だからたとえジムやコーラスのように、自分の趣味であっても休むことはままならなかった。。。

今は何が大切にすべきかをわかってきたので、今日はお気軽にお休みできている。
「休んでしまった~」だと、自分を認めてあげれていない。
「体のために休むことを選択してあげれた」なら、きっと日常が戻ってくる午後も気持ち切り替えてあげられる。。自分のために。

コーラスも楽しい。お休みして一人の時間を楽しむことも楽しみ。
楽しいことの選択なのが、楽しくなくなってしまってはもったいない。

昨日の夜に休んでいないことに気づいたのは、英語塾の仕事が連発で、ほとほと疲れてしまって頭痛がする吐き気するで体の負担を感じたからだ。
そうなってくると、生徒と過ごす時間はすごく楽しくてやりがいを感じる時間なのに、自分のケアが行き届かないせいでもったいないな~と思ったからだ。

私、生徒と過ごすの好きだわ。あらためてそう感じた。
きっとそのために休みが必要なんだわ。
もっとやりたいことたくさんあって全く追いついていず、ジレンマの中時間が流れていることに感謝です。

そんなにやりたいことあるんだ~って自分で思う。
やりたいことをやりたいと感じているときが楽しい時間。
実際やっているときに義務に変わってしまっていないように気をつけないと。

どんなに好きなことでも、余裕がなくなってくると義務に変わる。
義務ではクリエイティブにはなれない。
いかにクリエイティブであり続けられるかはキーになってくるように思う。

クリエイティブってのは、なんかすごい職業とかのことじゃないよ。
ちょっとしたアイデアをいつも生み出せているか?
感動をまき散らせているかってこと。

自分を作っていき、関係を作っていてけて、場を作っているかってこと。

「ありがとう」「ごめんね」「感謝しています」を作っているかってこと。

自分から・・できているかってこと。

受け身ではない、自分からの発信であるかってこと。

クリエイティブさが自分に感じられなくなってきたら、疲れてるのかも。
どんなに気持ちが先走っても、クリエイティブ感なしには何も作り出せない。
まずは自分に余裕を。自分を大事に。

今ちょっと前にここでも紹介した 盲目のバイオリニスト穴澤雄介さんの「楽登王国」を聞きながら書いています音譜


この曲には一目ぼれ。。。いや一耳ぼれしました(笑)

子供の語る王国を曲にされたそうで、強さあり夢あり切なさあり楽しさありな曲なんです。

こんな好きなバイオリンの曲は初めてです。

まるで子供の頃夏休みに楽しみにしていたアニメ映画をワクワクしながら見にいった時の気持ちがよなんどもみがえるような曲なんです。


なんどもなんどもリピートして聞いています音譜


今日はオープンカレッジの勉強の日でした。

最近は木曜日は通っています。

午前中にコーラスを、午後に心理学を習っています。


元々ホテルだった大学の中は不思議な形の校舎に、素敵すぎる行き届いたお庭があり、今日のお弁当はそのお庭で食べました。

小さな虫が飛んでくるし、スズメが池のほとりで水浴びしているし、木々が都会なのにありえないくらい成長していてまるでトトロの森のようでした。


ざわざわざわ~っていう木の放つ声が昔から大好きです。

まるで帰ってきたような気分になります。


5月の風がそよそよと髪を吹かせて心地よさを演出してくれるし、自分で作ったお弁当は美味しいし(笑)


私はいろんな人間関係の中にいます。

家族も人間関係だし、ジムの仲間も、勉強の仲間も、コーラスの仲間も、ママ友たちも、サッカーのママたちも、ご近所なんてのもあります。

実家の親戚連中もそうだし、子供たちとの関係も子供の友達も巻き込んだ関係を持っています。


どこへ行っても私です。

けれどそれぞれの場所での役割は違っているし、自分の表す形も違っています。

今日のコーラスの中ではほとんど話しません。

ジムではたくさんの人と話します。

勉強では深い心の話をたくさんしますし、仕事の話もします。

家族とは母としての私が登場して考えて動いています。


どんな私も私なんだな~って思いました。

控えめなポジションを自ら選んで楽しく歌う私がそう思いました。

学生の頃の私とちょっとかぶっていて、そのかぶった自分のことを愛おしく思いました。


今日のコーラスで空いた時間に思ったことを書き留めたものがあるので、ここに書き残しておきたいと思います。




[コーラスで学んでいること]


コーラスとは、全体が「一」であり、「一」が全体を表す。

ソプラノはソプラノとして存在していて、決して一人一人バラバラであってはいけない。

ソプラノ メゾ アルトと3部ではあるが、3部そろって初めて一つの音になる。


一人の役割は、自分の声を知っていること。

どんな強さか、どんな音の色をしているのか。

周りとなじんでいるのかいないのか。


周りとなじむ音を出すためには、周りを受け入れていないとできない。

壁があってはできないことなのだ。


自分を主張しようと「思う」と、必ず声の質になって、それは場の音を汚す。

自分をダメだと思って自粛してしまうと役割を果たせない。


しっかり自分を保ち、自分を認め、周りを受け入れ、壁をなくし、ひとつのコマになることを目指す。

それが曲を創ってく。

気持ちが美しいコーラスを創ってく。


なんだ「生き方」と同じではないか。


コーラスにも生きるヒントはある。

問題は目が開いているかどうかである。

目を開ける環境であるか。開きたいと思えるか。


歌は心で歌うのだ。

筆を心で走らせ絵を描くのと同じだ。


先生はこう教えてくれた。

まず耳ができるのを目指す。

耳ができたら違いが判る。

自覚できたら調整すればいい。






こんなメモをちょっとした空き時間に書いてみた。


先生はもうご高齢の方で、しかし元気がいい。

力いっぱい伝えようとしている姿は見ていて好感が持てるし、楽しいしおもしろくて笑えたりする。

この先生の指導が聞きたくて足を運んでいる人も多いだろうな。


先生が伝えようとしていることはすべて心のこと。

大事なのはスキルよりも心のあり方だ。



目さえ開けば、この世界はどこでも教えてくれる。

何からでも学べる。

台所に一人立っていても学びは尽きないし、子供たちには教わることは計り知れない。

本の中にももちろん学びはあるし、スーパーにお買いものしてても感じることはたくさんある。


美味しい食事に秘められた思いはいったいどれだけだろうか?

作った人、開発した人、卸した人、売っている人、まだまだあるね。

感謝しても感謝してもし足りない。


目が開けていなければ、心が安全な環境だと感じていなければ感謝は上がってこない。

感情は整理して心はお掃除しておかないと、新しく湧き出てくる感情も顔を出しにくい。


潜在意識(ゾウ)が感じていることを、顕在意識(ネズミ)が蓋してはいませんか?

ゾウが素直に感じている感謝、喜び、怒り、悲しみ、切なさなどをちゃんと感じることができる環境にしてあげていますか?


なぜ人は自分のネズミの部分だけで全部と思ってしまうんだろうか?


夜中にふと目が覚めてトイレに行ってくれているのは誰なのか?

朝アラームが鳴る前に目が覚めるのは誰に起こされたんだろうか?

お腹はいっぱいなのにスイーツに手が伸びるのは誰の仕業か?

自分に必要だと思っている関係の会なのに行くと帰りたくなるのはなぜか?

乗り方を考えずに自転車に乗れているのは誰のおかげか?

止まったエレベーターで足がばたつくのはなぜ?


なぜ人は自分は意識している自分だけですべてだと思ってしまうんだろうか?


もっともっと論理的に考えると、ゾウの存在に気がつくことができるのに。


自分のためにゾウがどんなに頑張ってくれてるのかを知っていますか?

一番にいつも自分のことを考えてくれて守ってくれていることに感謝はしていますか?


自分の中の嫌いな感情を押し込めていませんか?

もし自分が何も罪を犯していないのに牢屋にある日突然放り込まれたら、あなたはどんな気持ちがしますか?


溥儀に扱われた仕返しには、痛みを与えよう。

牢屋から出してもらって市民権を勝ち得るために、ネズミに連絡しよう。

よし!一番わかりやすく気づいてもらうためには病気になってもらおうか。

それとも命は無事で軽く事故ってもらおうか。


ストレスが溜まっているのに吐き出すすべもないネズミの代わりに、ボクが暴れてやろう!

そうか! 本当は不幸ってやつに目標設定されてるんだな。

あそこを目指せばこの命にとっていいわけだ。



ゾウには現実と非現実がわかりません。

否定語も理解できません。

時間の価値もわかりません。


ゾウは体を支配しています。

つまり行動を司っています。

しかも大きいのでネズミはゾウの意思に逆らえません。


できて理由づけするくらいの力しかありません。

「だってあいつが悪いもん」

「あんな風に先にされたから仕方ないじゃん」

「いつかはちゃんとするよ」


「いつか」はないものです。永遠にやってはきません。


夢は望むものではなく叶えるものです。

夢が夢である以上、夢でしかないんです。


敵は外にはいません。

敵は自分の中の自分です。

自分が自分の中でバラバラした意見では会議しなくてはいけません。

会議してしっかり意見を一致させなくてはなりません。

気持ちが一体化すれば、恐ろしいほどの力が出ます。

気持ちがばらつけば、苦しみの誕生です。



・・・また長文になりまとまりもなく、もし最後まで読んでくださっている方がいらっしゃったとしたら、申し訳ありません。

この場所は一番私の心が出しやすいので、思ったことを潜在意識に任せて打っています。

なのではっきりと何を書いているかわからない時もあったりします。

腕が熱くなり勝手にキーを叩いている感じです。

潜在意識が好きに動き回れるので喜んでまた書きたがります。


そんな感じで今日も突っ走り失礼しました。


ありがとう。



昨日は小学校に行っていました。

お米作りのボランティアでトラックが入るということで、子供たちの安全を見守りに行ってきました。


これはうちの長男の新しく赴任してきた担任の先生が言いだしたプロジェクトです。


あれは4月の新学期早々にあった懇談会でのこと。

挨拶とともに先生が言ったのは、子供たちにお米作りを体験させてやりたいという熱い思いでした。


しかし学校にはお金がありません。

技術もありません。


あるのは先生一人の熱い思いだけ。


お母さんたちは一様に賛同しているように私には見えました。


先生のお願いは、地域でお米作りをされている農家の方のボランティアを募りたいということでした。

せめて技術だけでもご指導いただけたらということで、知り合いの農家の方がおられたらお願いしてみてくださいとのこと。


私には思い当たる人がいました。


父の知り合いでダンス仲間のおじいちゃんがこの近くでお米を作っておられます。

毎年それを父が買って私たちに分けてくれているのです。


さっそく父に電話して事情を話してもらえないかとお願いしました。


すると快くとりあえず話を聞くということで、学校に私とそのおじいちゃんで出向いていくことになりました。


担任の先生や教頭と話し合った結果、できる範囲でやってみようということになり、昨日田んぼづくりの日となりました。


言いだした手前、私もボランティアでパトロールをしてきましたが、実は最初はそんなつもりはありませんでした。


2,3日前に父から電話があって、その農家の方が学校との温度差で腹が立っていると聞きました。

そして保護者の力が借りたいからとりあえずすぐに自分の畑に来てくれと。


正直アポなくの指定された強制呼び出しは気分のいいものではなく、いやいや父の顔を立てる反面、ボランティアでそこまで熱くなっているのもどうかと思いつつ、足を運びました。


その時の私はどうやればめんどくさいことから逃れられるかしか考えてなかったと思います。

けれど行ってみると、そのおじいちゃんは自分の親が亡くなった時の空しい気持ちを私に話して聞かせてくれました。

なぜそんな話をされたかはわかりません。

けれどカウンセラーとしての私のスイッチは入りました。

学校との温度差がそのおじいちゃんを孤立した感覚に陥らせていたのでしょう。


誰かに自分の気持ちをわかってもらいたい・・・そんな心の叫びのように感じました。

もちろん大事ではなく、そんなちょっとした気持ちが見え隠れしているだけのことですが、それは放置しておくと音で大きなひずみを生み出す可能性のあるちょっとしたことです。


私はしっかりと受容できる気持ちを用意して昨日は学校に向かいました。

私の立場は一保護者でしかなく何もできないかもしれないけど、学校側と一人浮いているような熱い思いの先生と、農家のおじいちゃんのそれぞれ独立した存在をならす役割ができればいいな~と思っていました。


学校側の担当は教頭先生でした。

何時間もいる間に、教頭先生とも雑談をする時間がありました。

「学校と熱い思いの先生との間に立って、とても難しい役割をされているのですね~」

と話しかけると、教頭のしんどさや自分の子供たちへの思いや学校の体質などを話してくれました。


農家のおじいちゃんとも話をしていると、「俺のことはげんさんって呼んでや~」って言ってくれたりで、私自身が楽しい時間になっていきました。


熱い先生も自由に行動して回りたいという基本的な気持ちがあるので、学校側の固さやげんさんのちょっと強引なまでの行動にかえってなんとかしなくちゃとモチベーションが上がっているのを感じることができました。


人間ドラマってそこらへんにゴロゴロ転がっているのですね。


そんな中、うちの息子はのんきに楽しそうにドッチボールを楽しんでいました。

彼が実際にお米を植える5年生になります。

みんなの思いを受け取る子供たちです。


突然舞い込んだボランティア話に自分の苗を快く提供くださったげんさん。

彼は秋の収穫の際、足りない分のお米のすべてを提供してくれると約束してられました。

阪神大震災の折にご両親を失われて喪失感いっぱいの時に別の小学校からの依頼で手伝われたお米作りで子供たちから感謝させたことで生きる希望をもらえたそうです。

この先の人生で子供たちにお米作りを通じてわかってほしいことを伝えていきたいという思いです。


熱い先生は何校か渡ってきながらそれぞれの学校でお米作りをしてきた熱き先生。

体育会系の強さを持っていて、自分が信じる良いことを子供たちに体験を通して感動してほしい気持ちです。

学校側も地域も巻き込んでいいものは作り出していきたいというフロンティア精神を持った方です。


教頭先生は、固い学校側に属している立場ですが、子供が好きで先生になられたそうです。

子供の安全を第一に考えておられ、少々強引なげんさんや熱い先生の手綱を握っている気持ちのようです。

5年生以外の先生たちからの反発や、教育委員会の声や強引に進めた企画の後処理を引き受けてくれるおつもりです。


そして私は・・・保護者として子供たちが守られている環境づくりをすべきで、自分の子供たちのために周りの大人がそれだけの思いを持って行動しておられることを子供たちに伝える役割があるのかもしれません。


人は思いで動きます。

それがたとえボランティアでも、お金の絡んだお仕事でも。


人の思い、自分の思いを大切にすることは、社会を大切にすることですね。


一番子供たちに掴んでほしいのは、自分たちで作ったお米にどれだけの思いが乗っているのか。

おにぎりを食べたときにわかるでしょうか?


わかるためには子供たちの心が安全で安心を感じていなければ難しいことです。


そのために私は伝えていきたいことがあります。


今日もしっかり周りの人も自分もカウンセリングしていきます。