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本日二本目の記事だがお付き合いくださいませ。




「幸せ」が何か私なりに理解できたので書いておきたいです。


幼い頃は、幸せってなんていうか・・・天国のようなものと思ってた。

夢のような世界で、特別な場所のようにイメージしていた。


けど、ここのところ「幸せ」の正体が形が浮き上がるように感じれるようになってきた。

たぶん経験則や本などから気づきがあったんだろうな~


「幸せ」って、不幸が前提なのだ。

「不幸」がないと、実は幸せもない。


所詮人間は比較でものを判断するので、「好き」と「嫌い」が同じポジションなのと同格の理由だ。

「好き」の反対語が「興味ない」であるように、「幸せ」の反対語は「感情が動かない」状態なのだと思う。


ちょっと前にTVの「世界一受けたい授業」という番組の中で、武田哲也さんが漢字の成り立ちについての授業をしていた。

その中に「幸」という字の成り立ちを紹介する場面があった。


人が手錠を嵌められている状態の形が「幸」という字の成り立ちらしい。

幸せという意味には間違いはないのに、なぜ手錠を嵌められていることを指すのかという説明があった。


昔の中国の囚人たちの刑にはいろんな段階があって、一番軽い刑が「手錠を嵌められる」というものだったらしい。他の辛い辛い、きっと今の世代の私たちにとっては想像もつかないような重い恐ろしい刑と比べると、とても軽くてよかったね・・・という意味で「幸」なのだ。


これには「ほお~!!」と思った。


また私の家のトイレに掛けてある日めくりの禅の言葉集(かわいい絵付きで癒されるの)にも、こんなのがある。

「辛いという字を 一つのりこえると 幸せという字になる 人生これから」


「幸せ」は辛い状況を脱しているという実感の元に現れる感情のことだ。

だから病気が治ったときや、問題が解決したときに心に芽生える気持ちなのだ。


決して夢の国に行って感じる感情ではない。

自分の不幸の分、感じる可能性が発生するものなのだ。


金持ちだから感じるものでもない。

すごく貧乏だった人が金持ちになったとしたら感じることができるけれど、生まれたときから金持ちの人にはたいした実感などない。

まして金持ち過ぎたら今度は恐ろしい感情の誕生の可能性がある。

それは、「不安」だ。


この感情の恐ろしさを見くびっている人が多いと思う。。。

「不安」は人間関係を破壊し、戦争を起こす元となり、人を闇に連れて行く。

この恐ろしい感情とどう向き合うかで、社会的成功はほぼ達成できるかどうかが決まると言っても過言ではないと思う。


また長くなるので、この先は別で立てます~(笑)


ストレス・・・を考えてみよう。


ストレスは怖い。病気の原因になる。

そうでなくとも気持ちのいい代物ではないね。

ストレスのでき方を知っておけば、逃し方や外し方も自ずとわかるんじゃないかな~ってところが発想の元だ。


私が思うに、ストレスとは感情が溜まった状態のことだ。

体はいつも個人個人の幅までしか感情を溜めることはできない。

人それぞれ溜められるストレスの量は違うということだ。


それにストレスというものは外から入ってくるものなのではない。

自分で作り出すものなんだ。

外からの何らかの刺激を受けたことが原因でも、ストレスを作り出すかどうかはその人次第だということだ。


溜まった感情とは、負のものだけではない。

人を「好き」という感情とて溜まり、それは吐き出せない場合ストレスとなる。


ストレスとはなにも悪いものというわけでもない。

ストレスの全くない体と心であれば新しいものを生み出すことは難しい。

感情のないところに行動は生まれてはこないからだ。


ストレスは、何かを生み出すときの踏み台となる。

ストレスは、次の場所へ行くための乗り物となる。

うまく使えば、うまく自分を誘導できるかもしれない。


世の中病んでいる人だらけだが、悪いのはストレスではない。

受け取るその人の心の状態に問題があるのだ。


ストレスに限らず、自分の心の状態を知っておくことが大事だ。

その際、自分の心の動きをちゃんとクリアに見つめることは、実は難しいことだ。

素直に怖がらずに自分の心の動きを見つめていくことは、普段から練習を重ねておかないとうまくいかないかもしれないね。

自分の負の感情や怒りも認めてあげることだ。

いい方の感情も流さずにしっかり受け止めてあげよう。

それが自分への責任と言えよう。


ストレス利用法は、その基盤の上に成り立つ。

現状をクリアに受け止めることは必要な作業だ。




大人になってから勉強すると、お金がかかる。。。

ほんとにむちゃくちゃ高い。ちょっとしたことにも勉強だとお金がかかる。


けど勉強しようとと思えばどんなものでも学ぶ場所ってあるんだな~って思う。

様々なスポーツがあり、子供向けの変わった教室もあるし、経営の勉強だってたくさんのジャンルの中から選ぶことができる。


なのに・・・なんでお母さんになるための学校ってないんだ???


産婦人科にも母親学級ってあるにはある。

けど教わることなんてたいしてない。

生まれるまでの準備だとか、生まれてからの体重増加のお話とか。


子供との接し方や教育の方法、細かく言えば、公園デビューはどのタイミングでするといいか、ママ友とうまくやっていく方法とかは誰も教えてくれない。


夜中に救急病院に行くにはどこを調べたらいいのか、抱き癖ってどうなのか?

子供にはどんな習い事をさせるべきなのか?

どんな絵本を読んであげたらいいのか?

叱り方は? 甘えさせ方は?

真ん中の子の扱い方は? 上の子の特性は?


どれでいいのかな~っと世のお母さんは悩んでも解説法を教えてくれる機関もないし、いろんな意見があってどれが正しいかもわからない。


一番現場が日々続くのにお母さんになるための学校がないなんてね。

一昔前まではそういうことはおばあちゃんや近所の人たちに教わっていたことだろう。

周りの人たちと一緒に子供を育てているという風であったと思う。


けれど最近はお母さんになるための学校って必要じゃないかな。

虐待なんかだけでなく、どんな危険性が教育には隠されているかの知識だけでもあるのとないのとは違うと思うのだ。


過保護になんでもやってあげることより、一見何も気にしていないようで気にしているからこそ気にしないのだということがあるということなど。

子供が「やらない」って言いだしてもそうだ。

「あ、そうなの」と気にしないのだ。「別にいいよ」っていってなんでもない風でいる。

何でもないことが気にしていることになるのだ。


「やらない」「学校へ行かない」という選択をした子供をだからと言って放置するわけじゃない。

「これ手伝って」「時間あるならこれもあれもやっといて」と使うだけ使う。

「また行くよ」と言っても、「あらそう」とさらりと言って何食わぬ顔をしておけばいいんだ。

子供の選択が親の愛情のバロメーターになるわけじゃない。

子供がどうであれ愛は変わらないことを見せてやればいい。


子供への接し方は、過保護でも放置でもいけない。

やはり何か溜まってしまうようなかかわりではなく、スルーな筒のようなもので感情は通り抜ける方がいい。

土台だけしっかり固めてやれば、子供は自分の子供力を自ずと発揮できる。


溜まらない親子関係。

これぞ子供とのかかわり方ではないだろうか?


お母さんになる勉強をする必要があるかどうかは別にしても、お母さんになる不安は少しは軽減できるのではないかな。

みんな不安で、その不安も適度ならいいが、度を越えるものになることが簡単な昨今だと思うのだ。


私がそういう機関を作れたらな~

何人ものお母さんの経験者たちを集めて若いママたちに伝えていくの。

昔のおばあちゃん役をやる。


それでできればケースバイケースの話を聞いてあげれたらな~


本当は道徳学校や、人間学校みたいないわゆる「道」を教えていくような学校があったらな~

人間ってなんだろう? っていう問いに、脳科学ではこう言っています。心理学ではこうです。仏教ではこうです。

キリスト教ではこうです。みたいに他分野の考えをシェアできるようなところ。


病気にしたって、この病気の体的な問題はこうで、心的にはこうで、脳的にはこう、って教えてくれるような視野の広い取り組み方はどうだろう?

今の医療は、病気の箇所しか見ない。

心臓が悪いなら心臓だけ。他の体の器官でさえ見ない。全体としての総合的な健康状態を見る必要があると思うのだ。


心はどうなっているのか? きっと病気もそこに原因となるものが潜んでいることがあるだろう。

根を絶たないといけないと思うのだ。


みんながコミュニケーション上手になっていくといいな。

壊れなくていい関係が壊れていく現状を、もう見たくはない。

壊す方法しかなくなった追い込まれた感情は切なすぎる。


コミュニケーション学校だな~

それを分野分けしてその母親版を作りたいな~