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emixbubuのブログ-的場ケーキ
昨日トレーナーに「開業おめでとう!」と、ホールケーキをいただきました♪

とってもうれしかったうっとり

開業というほどのことはまだまだできていないのですが、他人から言葉や物をもらうと、自分自身の成功事例に上乗せすることができて、身が引き締まります。

しかし、さすがな行動力です。



行動を躊躇なくされるトレーナーを見ていると、考えさせられるものがあります。

行動は感情が起こすものなので、感情が何かをわかっていて、どうしたいかも統一感を持っておられるので、行動が早いわけで。

しっかりした準備態勢があるという前提での行動力と、その速さであるので見習うべき点が満載です。

感謝しています。



昨日のお勉強中に自分の中の矛盾点を発見してしまいました。。。

感情に触れてしまって、思わずこみあげてきてしまい、涙を抑えることができなかった。


私の気づいた自分の矛盾点は、心の専門家になろうとしている自分としては何とかすべきことであり、急務であるのです。



私はイジメられていた時期があり、その時期のおかげで、対人関係にはいつも気を配る生き方をしてきたせいで、友人は多く、コミュニケーション能力は高い方だと自負しています。

それもこれも、二度といじめられたくはないという危険回避的な気持ちから起こってくるものであり、また、友情というものの追及をしたいと私に思わせるだけの力のある経験です。


たくさんいる知人友人の中でも、数人は深い友達であり、私が望む「友情」を求める相手でもあります。


しかし、深い友人の内、数人とはうまくいかなかった事実があり、友情を望んでいた私にとっては、手痛い失敗事例となっているのが現状です。


この私のいう「友情」とは、命をかけるのに匹敵する深さの友情です。

重いんです。けれどほしい。あると信じたい。


ところが、うまくいかなかった事例を何件か抱えているわけで、それは私に「友情なんてない」と教えてくれるのに値するものです。


そう! 私は「命に匹敵する友情」を求めているのに、「そんなものはない」とも思っているわけです。

強い矛盾が起こっています。

それに気づいて、このままでは私はずっと空しいままだと知ってしまいました。

カウンセラーとしても失格者になってしまいます。もちろん今のままであればということですがね。


何とかしなくてはならない胸の内に潜む、この虚無感。

はっきりいって、見たくもないものです。

形にしようとするだけで、鼓動は早くなり、血は騒ぐ。危険を告げているのです。

そっちに行くと危険で苦しいよ、いやだよ、行きたくないよと無意識が訴えてきます。

こうやって書いているだけでも辛い。辛い。傷。


友情があると信じたかった。けど、そんなものはないと本気で思っている。

ならほしがらなければいいのに。それも簡単にはできない。私にはイジメの過去があって、友情を望んだ年数は長い。


ちょっと前の記事で「人はいい人であり悪い人でもある」という内容のものを書いて、その中で結局人は信じられない・・みたいなことを書いたが、これは私のこういった経験から来ている。

そしてその記事を読んだ私の深い友人二人から、「あれはさみしい考えだよ~」と別々に連絡をもらった。

まずは連絡をくれたことがうれしかった。

そして彼らは友情を信じていることもわかったし、私をその対象者として認めてくれていることも感じられた。

うれしかった。


けれど、私にはその友情に答えられるものがないんだ~と漠然と空しくもあった。

やっぱりなんとかしなきゃいけない、マイナスの信念のようだ。



・・・こうやって人それそれ自分の見たくないものを見ないようにして、生きているんだろうな~


どうやって自分の心の矛盾を一体化させるか? 統合にどうやって持っていくか? という課題が持ち上がりました。


とりあえず、課題として認識できただけでも一歩としよう。それしか今はできなさそう。




解決できる気がまったくしないや。。。。。

欲・・・というとなんだか悪いイメージがある。

仏教なんかでは欲は滅することが大切だとある。


たしかにそうかもしれないけれど、それはそんなに簡単なことではない。

だいたい、欲を滅する理由がわからなかったりする。

今の私は、なぜ欲を滅することを選ぶ人たちがいるのか、わかるような気がする。

これにも2種類の人がいて、自ら欲を滅することを本質的に理解して遂行している人たちと、簡単制御法によって意味までは奥の方ではわかっていないまま、従っている場合とがあると思う。


キリスト教や様々な宗教、他にも超現象やスピリチュアルなものは、欲を制御することの難しさを知っていて、できるだけ簡単な操縦方法を編み出していった、わかりやすさを追求したものだと、今のところの私は理解している。


欲の制御法・・・いやしい人間の目標なのか?


これには様々な角度から見ていくことによって、答えは違ってくると思う。


ここで一つ言いたいのは、自分の欲とは、自分の命と同格だということだ。

命を維持するために必要なものだ。突き進んで言えば、実は生きているか死んでいるかが大事ではない場合もあると思う。

自分の言いたいことを言うためには、死を持って言わなければならないことも時にはある。

自分の体を失うことと天秤にかけてでも、貫き通すことがその人物の「生」に値することもあるにはある。


欲というのは、ある意味自分そのものであると言えるのではないか?

そんなことを考えたりしている。


自分の欲動の本質を知り、それに付随する欲動を支援してやればいい。

本質的な欲動の中に、比較は存在せず、それこそが本当の自分だ。

比較して感じる欲とは違うのだ。

命に直結した欲動だ。

それを感じ、それを知ったとき、人は生きている意味を知るんだ。

「今」ここにある自分を知る。自分がわかる。




本も出ているが、「お金と引き寄せの法則」のDVDを見た。

ここでも私が言いたいことと、言葉は違えど、同じことが言いたいのだと理解できた。

仏教も哲学も同じだ。ただ言葉が違う。道のりが違うだけ。

本質は体感で知らなければ。

人間には五感がある。仏教ではもう一つ加えて六感。加えた一つは「意」だ。

深いな~

頭でわかっていてもダメだ。結局また迷う。

体が知り、心が知る。


とっても難しいね。



顕在意識と潜在意識の黄金の法則のようなものを発見して、自分自身で納得の繰り返しをしています。

この、ネズミ(顕在意識)とゾウ(潜在意識)の補足をしておきたい。


ネズミが起きた意識できる意識で、ゾウが眠ったような意識できない意識だと言っても、それは感覚としてはどんなものなんだろうか?

こうかな~と模索中ですが、ここを練習帳と思って書いてみます。




体がわかりやすいと思う。

体は心と一体なので、「体 イコール 心」 とも言えるかもしれない。


体は、意識して動かせる部分と、意識しても動かせない部分がある。

たとえば、目は動かせる。

舌も。手も足も。


けれど、心臓は止めれない。

緊張しているときに、心拍をゆっくりにすることもできない。どうしてもドキドキと早打ちしてしまう。

肝臓の動きを意識できないし、血流を変化させることも難しい。


体にもできることと、できないことがある。


このできない部分が、心においては潜在意識、つまりゾウだ。


ダイエットしている人は知っていると思うが、体には基礎代謝というものがある。

成人女性の基礎代謝は1200kcalくらいかな。一日の総摂取カロリーは、だいたい2000kcalくらいかな? 

はっきり覚えていないが、そのくらいとして・・・

1200kcal分くらいを自分で動かせない体の部分に使っているということだ。


私はダイエット始めたときに、この知識を得てびっくりした。

寝ていても使っているカロリーがそんなに高いなんて。。。

自分では意識していなくても、体は生きるためにずいぶんと動いているようだ。


心もそうなんだな~

自分では意識して動かせない部分の方が、大きいのだ。

血の流れを止めれないように、ゾウが思っていることは直接的には変えれない。


体の意識して動かせない部分は、命を守っている。

命の関係のことにしか興味がないのだ。

心も同じ。

ゾウは命に直結した内容にしか反応しない。

あまり賢くないのだ。難しいことはわからないんだ。


そして、前回も書いたが、「命」 というものにも内容がある。

食べ物やプライド、自己重要感の認識・・・他にもあるなきっと。。。。う~ん。ちょっと出てこない。もっと勉強しなきゃ。


とにかく、命を守るために動くものなんだ。


命に直結しているからか、このゾウが望んだものは叶う。

外的要素は変えられないので、降りかかってくる災難や幸運は避けられないが、自分の動きはゾウには自由自在なのだ。


しかし起きている意識であるネズミにも望みはある。

こうなったらいいな~と漠然と思っている気持ちが、ゾウと共有した気持ちなら叶うのだ。

ネズミが勝手に考えているだけでは、自分軸が整っていなくて、動くと逆にストレスは溜まるのだ。

行きたい方法が違っているので、左右に心は目標地点が違っているからだ。


ゾウに話をつけなきゃならない。

ゾウに語りかける方法を探さなきゃならない。

イメージを作りゾウに伝えなきゃならない。


まずは、自分の中のゾウが望んでいることを知ること。

たとえば、結婚したいしたいと言っていたとしても、それが本当にゾウが望んでいることかどうか確認した方がいい。本当はプライドを危険にさらしてまで、結婚を望んでいないかもしれない。

プライドが侵されないことも、ゾウの大事な仕事なのだ。その守りの欲動を上回る結婚への欲求があるのかないのか?


自分を知ろう!


私が自分を知る旅を続けてきた答えだ!


自分で気づいたことに自分で驚いている。

今日本屋に行って、この自分の持論が本に既になっていないか、ざっと確かめてみた。


そしたら、あったのだ!!

本屋で飛び上がってしまった。


同じように考える人はいる。

きっと間違っていない。。。というか、私は知ってしまったんだなって思った。


おごらずに、この理論を他人に伝えていく術を、もっと磨いていこうと思う。

気付きを与えられる人になりたい。


いろいろとわかってきていて、今はアウトプットの方法を考え中だ。

「ないものは出せない」・・・そうなのだ。

まずは心と頭の中に作っていかなきゃならない。

今はそれが軌道に乗ったと思うのだ。


これからは「あるものを出す」方法を考えていきたい。