ヒップホップは90年代にR&Bと一体化し、商業化が進んだが、ヒップホップがR&Bシンガーの曲の客演扱いにならず、歌モノの要素をいれたのも西海岸ヒップホップの特徴だろう。"Ain't No Fun"の最初のヴァースはNate Doggで、スヌープの従兄弟にあたる客演シンガー。オートチューンの普及を経て、最近のヒップホップはラッパー自体が歌う要素が増えたが、その起源はこの曲にある気がする。西海岸の青空のように爽やかなサウンドに、このネイト・ドッグのメロウな歌声のフロー。Dr.ドレーの90年代のGファンクにはスヌープのラップが欠かせないが、Ain't No Fun"に関して言えば、ネイト・ドッグなしに成立しないだろう。ラップに関してもこのトラックはスヌープより客演ラッパーのほうが目立っていて、個人的にはカール・パーキンスの50年代ロック古典「ブルー・スウェード・シューズ」の一節を替え歌にしてWarren Gが"One for the money, two for the bitches"とリズミカルに韻を踏んでいくパートが好きだ。
80年代にはどこか性急感というか焦燥感にかられたようなビートと歌詞を持つ曲(例えばU2) が出てくるが、これも方向性ではその路線の曲。これが90年代になるとカート・コバーンの"Smells Like Teen Spirit"のようなグランジになるが、80年代のポリスの場合は演奏力の高さ、技巧にスティングの知性が加わってこのようなアウトプットになる。
3回目のサビからこのフレーズを経て"Listen"と叫んでからの大サビで「世界を回して革命だってできる」を聴かせるところは本当に力強い。かといってこれが暴力的だったり政治的でない、精神的な解放や力であるのは、どこか透明感のあるオリジナルのサウンドや"Because the people had their ear (人には耳があるから) "という歌詞からも明らかだ。だから、この曲がチャリティーのゴスペルで歌われても不思議はないが、そこに本人が現れて歌ったりすることがあったりすると、マイケル・スタイプでなくてもパティ・スミスの魅力に取り憑かれてしまうだろう。(上の動画の唯一の欠点は、コーラスに熱が入りすぎて最高のラインを掻き消してしまっているところだか)70歳のパティ・スミスはPeopleを讃えることを忘れない。
My Back Pages Bob Dylan with Roger McGuinn, Tom Petty, Neil Young, Eric Clapton & George Harrison
なんか適当にロックンロール界の大物の名前を並べたような面子だが、1992年のボブ・ディラン デビュー30周年記念ライブで"My Back Pages"を披露した時のメンバー。
『Desire』のセッションでは、ディランはまったく指示を与えてくれませんでした。No directionでした。No direction home(笑)。ですから、いったんスタジオに入ったら、まさに「泳ぐか、それとも沈むか」という状況だったのです。ですから私は「泳ぐ」ことにしました」-スカーレット・リヴェラ
No direction homeはもちろんディランの代表作"Like A Rolling Stone"の一節で、ディランの放置プレイとかけて笑いを誘うものだが、同時にいかにもディランのレコーディング風景らしいともいえる。このエピソードと特徴的な民族音楽(というか異教的)のメロディーで、本来大物のエミール・ハリスを一瞬忘れてしまうが、このデュエットのしかたもたいがいで、はっきり言ってずれている。それでも不思議なもので、それがディランの淹れるコーヒーの絶妙なブレンド、コクのある深みにつながっている。
作業をしている時は、深く潜るような落ち着いたサウンドがどこかで欲しくなるが、この曲のイントロの子供の弾くようなシンプルな単音から豊かに広がるピアノとヴォーカルはなんともいえない感覚に触れていた。印象に残るものは何かを拝借したものが多いが、実はこのイントロのメロディー、"Good King Wenceslas (慈しみ深き王ウェンセスラス) "というクリスマス・キャロルを引用しているのだ。