こんにちは、Shigekoです♪
「普通」と聞いて何をイメージしますか
「普通」なことって千差万別で人によってさまざまだと思います。
わたしにとって「普通」とは、信頼できる父と母がいて何でも相談したり、助け合える姉妹がいて…というものです
先日、友人から周囲でご不幸があったというお話を聞きました。
まだ小さいお子さんを残して旅立たれた方の無念なお気持ちや遺されたご家族の抱いた強いショックとやりきれないお気持ちを想像すると胸が痛くなりました。
その時ふと、13才の頃の気持ちが蘇りました。
胸を締めつけられるような苦しい感覚。。。
13才の時に、母が病気で旅立ちました。
無口で怖いイメージしかなかった父、自由奔放な姉との生活の中で、母は無条件に甘えられる唯一のオアシスのような存在でした。
当時は、本当に甘えん坊で母と一緒にいることが一番の幸せでした。
お手伝いをすると母は”ありがとう”と言ってくれたり、時折メモに書いて渡してくれました。
そのメモは今も大事にとってあります。
その母がいなくなった。。。
母は体が弱く、よく入退院を繰り返しており、そんな時は、親戚の家に預けられていました。
今思うと親戚の方々はみな家族同然に接してくれていたのだなと思い、感謝しています
しかし、幼い私にとっては何だか疎外感や居心地の悪さを感じ、入院して家にいないのを知りながら、母に会いたい一心で朝早く親戚の家を飛び出して家に帰ったこともありました。
多感な時期だったこともあり、母が亡くなると、自分が”片親”で友人と違うことにとてもイヤな感情を抱いていました。自分の価値をそがれたような、人と違うことに対する劣等感のような…
亡くなって暫く経ってから、寿命が長くないと悟っていた母は自分がいなくなった後のことを考え家事をいろいろ教えていたのかなと気がつきました。
しかし、到底そんな母の思いを受け入れる心の余裕もなく、亡くなってしまったことへの恨み、(そう思い込んでいただけですが)家事を押しつけられたことに対する反発心、それでも母が好きでたまらないという複雑な思いを抱いていました。
心の内を話せる家族関係ではなかったので、お墓へ行けば何だか母がいるようで、よく自転車で母の眠るお墓へ行っていました。母に対する恨みの気持ちもありながら、結局は母に頼っている自分がいました。
ふとそんなことを思い出したのです。
でも、待って
それは、もう昔のこと。
確かに辛かった
でも、逃げないで一つずつ向き合ってきたからこそ「今」がある
信頼できる新しい家族に出逢うことができた。
心の大切さ、自分に優しくすることの大切さ、抑圧していた自分を解放し自分の望みを叶えてあげることの大切さを知ることができた
自分を愛し、尊重することが周りの人たちを愛し、尊重することに繋がっていくのだと気がつくことができた
信頼できる家族がいて子どもや犬がいる「今」がある
「普通」があることのありがたさを忘れかけていたわたしへのメッセージだったのだなと思いました
辛かった過去の事実を変えることはできません。
でも、過去への見方を変えることでたくさんの学びを得ることができます。
その学びは辛い過去を経験してきたみなさんへのプレゼントです
そのプレゼントはこれから自由に楽しく生きていくための鍵になります
鍵を受け取って望む人生を手に入れましょう