ココロの奥底 -6ページ目

ココロの奥底

ニートやOLだったりするバスケコーチの赤裸々日記→コーチも辞めただの主婦と化しました

さーてはじまりましたよ、高総体予選

始まるまでに自分の出来ることは全部やる!って目標はとりあえずクリアー。

お陰で一回戦はOGやら保護者やら前の顧問やらで30人近い人が来て下さいましたわ。


内容はあんま良くは無くて、物凄く冷や冷やさせられたし、あたしの与えた作戦はただひとつ。

それもこちらの指示ではどうしょうも出来ない。

そんな作戦ひとつだけw


タイムアウト取るたびに

『出来るの?!出来ないの?!』

『(点数)ひっくり返すよ!!!』

っていう精神論w

でも、ホント大きな声で『ハイ!!!』て全員で返してくれて。


なんとか17点差をひっくり返して、最後は一点差でギリギリ2回戦に首の皮一枚で繫ぎました。

いや、うんマジで前半は引退覚悟したよ。

寿命も10年は縮んだよ。


試合後のミーティングも疲れて言いたいこと何も言えなかったよ。


それでも根性を見せてくれたあの子達と、諦めないで多大なる声援をくれた応援団に感謝。

回想も中途半端なまま関東予選は一回戦で敗退。

この代になって初の初戦敗退。


まさかでしたが仕方ありません。

負けは負け。

言い訳できるならofficialとうちのマネさんのスコアも違ってて、ファールも誰が何回したのか相手とofficialとうちで違う始末。


完璧に人の使い方間違えました。

9割私のミスです。


とか言ってるうちに新入部員は8名。


なんやかんやで高総体予選が今週末(日曜)からスタートですよ。

私にとっても母校で過ごす最後の高総体。

三年生にとっても最後の高総体。

(全部予選が抜けてるw)


頑張っても、まさかの三回戦にはシードでベスト16がいるーwwww

またかよ!w

三回戦が鬼門過ぎです。

それでもまずは一つ一つやっていくしかありません。


もー毎日何にも手に付かない。

誰でもいいから24時間そばに居て欲しい。

すげー胃が痛い。

すげー怖い。


でもそれ以上にすげー勝ちたい。

一個でも多く勝ちたい。


泣き言言ってる暇なんてないね。

やるしかない。

気合入れて行って来ます。

色々初心に戻ろうと過去の部誌やらノートやらスコアを読んでいたら、嫌な思い出もたくさん出てきて・・・・。

嫌な記憶ってなくなって行くけど、それ全部ひっくりめて自分だってきちんと向き合わないといけないのかもしれない。


だから、こうして文章にまとめ始めたけど、正直今は全て消してしまおうか迷ってる。

迷ってて消せない。


今、正直に言えばまだまだ戦いの中に居る。

でも、密やかに引退の準備も進めてる。

それがなんか嫌だ。


なんか今日も気分が乗らないからうまく文章にならない。

でも、ホントは毎日書いて少しづつ決心したい。

やめるって事に向き合いたい。

段々大雑把になってきた、自分のバスケ歴史。

どうも真夜中とか、なんか考え込んだ挙句じゃないと書けないみたい。

ようはトランス状態がいいらしい。


そういえば、過去に誰かにきちんとした手紙を書くときはいつも夜中だった。

夜中に書くと、次の日には自分では読み返せないような内容も、つらつら書けるw

あれは何でだろうか?

不思議なものだと思う。



昨日過去の日記を見つけた。

まだブログなんて世の中に浸透してない頃の日記だ。


大体そのトランス状態で書いているから、読み返すとホントに赤面ものなのだけど。

だけど読み返せば読み返すほどに私は実に恵まれていることに気が付く。


私は自分で言うのもなんだけど、結構数奇な人生だと思う。

RPGで言うならやたらにイベントが多い。

でも、その度にいつも手を差し伸べてくれる人が現れる。

毎回別人と言うわけではないのだけれど。


それは老若男女色々居るし、今は連絡も取れない人も、既にこの世には居ない人も居るのだけれど。

どの人も私にはかけがえのない人だ。

私には勿体無いほどの出会いも多々あった。


今も自分の引退を目の前にして情緒不安定になるときがある。

私にとってバスケ指導を引退することは、新たな将来を歩き始めることだ。

その将来には不安しかない。

未来のことを考えれば落ち込み、今までバスケに費やしていた時間を何に使うべきか考えれば悩み。

そんなことはたぶん、みんなどこかで経験しているはずなのだけれど、私は人よりも少しそれを遠まわりしてたどり着いた。

だからそんなことたいしたことないって言われることが多かった。

その度に、そんなことって言われるたびに、そんなことで悩んでる自分がちっぽけに思えた。


だけど、だけどそんな私を応援してくれる人がいる。

それも今回は何人も居る。

いつも誰かに手を差し伸べられて手を引かれて、26歳のここまで来た。

だから、残りの2ヶ月ちょっとは全力で手を差し伸べられる人で居ようと思う。

ぶつかり合いながらも2006年5月。

またもや教え子たちの引退が近づいたころ、私やAコーチのSちゃんの知らない水面下では問題が起きていた。

どうやら2年生一人が辞めたいと言い出したことがきっかけで2年生全員辞めると言い出していたらしい。

当時、三年生は引退間近。

それでも、大人たちには誰も言わず、自分たちだけで問題を解決しようと努力していたらしい。


しかし、なんだかんだとまだ当時は自分が現役のときにお世話になった先生も多い。

悪い噂はすぐ耳に入る。

しかし、子供達が自分たちで解決したなら任せてみることにした。


まぁ、結果は散々でこの時の引退戦はエース怪我で不在というのもあったが、見事にやられた。


この引退戦で忘れられない思い出をひとつ。


エースの変わりに出ていたのは2年生。

3年生2人と2年生3人。

もうどうしようもなく流れが悪かったし、雰囲気も悪かった。

そんな時、エースだった子が私のところに来て言った。

『私を出してください』

と。

もちろん、けが人を出すわけにはいかないし、この雰囲気ではどうしようもなかった。

だけど、私自身が引退した時のことを思い出した。

ここで出してもらえなかったら一生『あの時自分が出ていれば・・・』と思うんだろうと気が付いた。

結果、私は指導者としては最悪だろうことをする。

その子を出したのだ。条件付で。

ひとつは流れを変えること。もうひとつは外から見て無理そうだったらすぐにでも下げるということ。

この時、そのエースの子は涙を流しながらコートに立った。


今でも怪我を負ったその子を出したことが正しいとは思わない。

結果は負けだった。


いつも子供たちに言うのだけれど、大会は日本一位にならない限り必ず負けて終わる。

その中で何を得るのか、何を残すのかが勝負どころだと思う。

そういう意味で、怪我にチーム不和。

最悪の状況で、決して諦めないという力を見せてくれた。

いつも何か残してくれる。


最後に何が残せるか、私の力の限りを出していきたいと思う。