2005年4月 | ココロの奥底

ココロの奥底

ニートやOLだったりするバスケコーチの赤裸々日記→コーチも辞めただの主婦と化しました

眠れないから、もう少しだけ書こうかな。


4月に入り、春休みも終わると2005年当時は2週間も経たないうちに大会があった。

関東大会予選だ。

・・・・・・・が、しかしこれには参加資格がある(2005年当時東京)




東京都は4部制を当時は用いており、3部以上じゃないと何回勝とうとも関東大会には行けないシステムだった。

実は当時わが校は4部。何があろうとも関東には行けない。

その代わり4部には4部の良さがあり、関東予選と平行して4部だけは別枠で『4部大会』なる素敵な大会が行われていた。

いつも一回戦、いいとこ2回戦のチームでもこの大会だけはみんな4部。

みんないいとこ2回戦負けのチーム。

だから優勝だって出来てしまう、とってもすばらしいシステムだった。

大体どこの学校も、三年生はよほどの強豪校でもない限り、この関東大会予選の次にあるインターハイ予選で引退する。

その前にもしかしたら優勝も出来るかもしれない。

3年頑張った甲斐がある!!となる大会だ。

優勝したら、勢いに拍車もかかりインターハイ予選で部昇進までいってしまうチームもたくさんあったほどだ


そして2005年4月、わが校は4部。

もちろん目指すは優勝!

しかし指揮官は頼りない私。


そんな中で当時の子達は信じられないくらい意識の高い子供ばかりだった。

負けたくない!

その気持ちがどんな練習にも出ていたと思う。

そして何より身体能力が高かった。

背も高かった。

主力はみんな足が速くて、よく飛ぶ。

4部ではそれすら出来ない子達が多いのにそれが出来ただけでも大満足だった。


それでも、これでいいかなと満足させてはいけないととにかく怒鳴った。

試合と名の付くものではとにかく大きな声を出していた。

『てめぇらやる気あんのかー』

『リバウンド取れコラァ』

『アウトせんかいぼけぇ』

※ちなみに私は女性でチンピラだったことはありません


でも、当時の私にはそれしか出来なかった。

子供たちの出来てないことを指摘する。

それを大声で怒鳴る。

何度鬼と言われたことか。


その当時からお世話になっている他校の先生には最近おとなしくなったね。と数年後に言われることになるのだけれど・・・・・。

当時かなりの茶髪(ほぼ金髪に近かった)私がベンチで怒鳴る。

知らない人が見たらさぞかしインパクトが強かったことだろう。


そんな中、当時の子供たちが頑張ったお陰で優勝を収めることが出来た。


・・・・・・が、私は優勝そのものが気に食わなかった。

今思えば仕方のないことだ。

戦術も何も与えてないのだから、足の速さや高く飛ぶ能力で勝つしかない。

しかし、それだけで勝って来たようにしか見えなかった事に苛立ちを覚えた。

だから優勝したことを、確か当時は一度も褒めていない。

それどころか、そんな勝ち方は勝利ではない!と怒った記憶すらある。

5年経っても申し訳ない気持ちでいっぱいになる出来事である。


それでもついてきてくれた当時の子達には感謝の気持ちでいっぱいである。