前回の投稿からの続きで、ボビー・ヴィーとバディ・ホリーです。
1959年2月3日、「ウィンター・ダンス・パーティー」のツアー中だったバディ・ホリー、リッチー・ヴァレンス、ビッグ・ボッパーは、次のショーが予定されていたㇺアヘッドへ飛行機で移動中に墜落事故で亡くなりました。この日は「音楽が死んだ日」(※1)と呼ばれています。
当時15歳だったボビー・ヴィーはバディ・ホリー&ザ・クリケッツが大好きで、「ウインター・ダンス・パーティ」のムアヘッドのチケットを持っていました。調べましたら、ボビーが住んでいたファーゴとムアヘッドは近いのですね。前述した通り、バディ・ホリーらが開催地に到着する前に事故は起きてしまいましたが、ラジオ局の発表で、その後のツアーも続行しバディ・ホリーらの代役を募集していることを知ったボビーは、兄や仲間と作ったバンドで名乗りをあげました。バンド名はありませんでしたが、ステージに上がる前にザ・シャドウズと即席で決めました。彼らのパフォーマンスは成功し、以降、ボビーが人気歌手として成功していきます。
(※1)今日の1曲 La Bamba(ラ・バンバ)♪ に関連記事をアップしています。
下に貼った記事を参考にしました。
① Interview | Bobby Vee - American Singer-Songwriter
☆ボビー・ヴィーのファースト・シングル「Suzie Baby」(1959年)
バディ・ホリーの「Peggy Sue(ペギー・スー)」にちなんでボビー・ヴィーが作った曲です。
そして、こちらが「Peggy Sue(ペギー・スー)」(1957年)です。
バディ・ホリー&ザ・クリケッツ
『エド・サリヴァン・ショー』より
ボビー・ヴィーもカヴァーしています。
<トリビュート・アルバム>
ボビー・ヴィーは、1963年、バディ・ホリーのトリビュート・アルバム『I Remember Buddy Holly』をリリースしています。上に貼った「Peggy Sue」もこのアルバムに収録されています。その他の曲は、こちらをご覧ください↓
I Remember Buddy Holly - ボビー・ヴィーのアルバム - Apple Music
収録曲の1曲「Buddy’s Song」は、ボビー・ヴィーが書いたバディ・ホリーへのトリビュート・ソングで、歌詞にバディ・ホリーの曲のタイトルが出てきます。
Bobby Vee - Buddy's Song Lyrics | AZLyrics.com
<ボビー・ヴィーとザ・クリケッツ>
☆ボビー・ヴィーは、バディ・ホリーのバンド、ザ・クリケッツとアルバムをリリースしています。
♪『Bobby Meets The Crikets』(1962年)
☆「More Than I Can Say」
ザ・クリケッツの元メンバーのソニー・カーティスとジェリー・アリソンが書いた曲です。バディ・ホリーが亡くなった直後1959年に録音して、1960年にリリースされました。この曲をボビー・ヴィーもリリースしています。
まずは、ザ・クリケッツのヴァージョンから。
そして、ボビー・ヴィーのヴァージョンです。(1961年)
☆上に貼った記事①によると、ボビー・ヴィーは、1995年9月、ポール・マッカートニーの 「バディ・ホリー・ウィーク 」(ロンドン)に招待され、カール・パーキンスやザ・クリケッツと共演しています。最後にポール・マッカートニーがバディ・ホリーの "Rave On "を歌って盛り上がったということです。
「バディ・ホリー・ウィーク」は、1976年(バディ・ホリーの生誕40周年)に、ポール・マッカートニーが発足したものです。1999年まで毎年開催されていたようです。
ビートルズもクリケッツのバンド・スタイルに影響を受けていますね。名前も昆虫繋がりですし。過去の投稿Maybe Baby♪ でもそのことに触れています。上にアップした「More Than I Can Say」も、ライヴで演奏したこともあるようです。
ちなみに、ビートルズは、ボビー・ヴィーのカヴァーもしていますが、それはまた別の投稿で書きます。
さて、記事①にも書かれていますが、ボビー・ヴィーとボブ・ディランも繋がりがあります。次の投稿に続きます。