映画「アメイジング・グレイス」予告編はこちら
http://www.amazing-movie.jp
私は知らなかったんですが、元奴隷船の船長だった人がその罪をを悔いて作詞したのがこの歌――「アメイジング・グレイス」なのだ予告編の冒頭で語られています。
この歌を、私はコーラスで歌ったことがあります。
練習を重ね何度も歌い込む内に、歌詞が自然と自分の身の内に宿ることがあるのですが、この時もそうでした。
メロディーに合わせて歌詞を発声すると、その歌詞に込められた思いというのが自然と身体の中にわき上がってくるのですね。
「アメイジング・グレイス」が与えてくれるものは「歓喜」です。とても静かだけれど、とても熱い。リフレインで同じ歌詞を繰り返す内に感極まって涙さえ流しそうになるような、それは心の奥底からあふれてくる「歓喜」そのものでした。
「アメイジング・グレイス」の歌詞は決して雄弁ではありません。
それどころか訥々として、流麗なメロディーの中では時に乗り切れないほど、言葉は少ない。
それなのに、その言葉が唇から離れ声となると、それは自分の魂を揺さぶる程の響きとなる――それは、この歌詞を書いた人が、その言葉を本当に心の底から振り絞るようにして一語一語紡いだからに他ならないのです。
私が歌ったのはたったこれだけのフレーズですが(原詩はもっと長いです)、この4行の中に込められている思いはとてつもなく大きくて、深い。過去の私は迷い子で盲目であったけれど、今の私は見つけ出され目も見えるようになったと下の二行は言っているのですが、その闇と光の対比が鮮やかでとても強いのです。
罪を犯し闇の世界に居たものが、何故再びまばゆい光の中で生きていけるのか。
それが「アメイジング・グレイス」――神の恩寵なのです。
この詩の中の「神の恩寵」は、すなわち「赦し」です。
かつて私(=作者)はひどい罪を犯し、その事で自分を責めひどく苦しんだけれど、そんな私でも神は赦してくださった。だから私は救われ、今また光の中にいる。大いなる赦しこそが神の恩寵、素晴らしき響き「アメイジング・グレイス」なのだ……!
人は、時に、自分で自分が赦せない事があります。
でも、神は人を赦してくださる。
その神の赦しを身にしみて感じることができたとしたら、その時人は自分で自分を戒めていたくびきから解き放たれ、心の自由を得ることができるでしょう。「赦し」を得て、それまで自分をがんじがらめに縛り付けていた思い鎖から解放されれば心が感じるものは「歓喜」しかありません。
その、思わず走り出してしまいそうなぐらい自由で開放感に満ちた「歓喜」、それを「アメイジング・グレイス」は歌うことによって追体験させてくれる。歌にはそれだけのパワーがあるのです。
別に歌う人がキリスト教の神を信じていなくてもいいんですよ。
歌を作った人の心がそれを信じていたなら、歌うことによってその心が自分の中に宿りますから、その人の心が感じた歓喜が自分の心の中に流れ込んでくるのです。
言葉の意味が分からない人なら、分かっている人が歌った「アメイジング・グレイス」を聞けばいい。歌い手が歌の意味を真に理解していれば、その心の働きは言葉を超えて聞く人の心にダイレクトに届くはずです。だからこそこの歌が名曲として歌い継がれているわけで。
予告編の冒頭では主役を演じるヨアン・グリフィズ君がこの歌を歌っています。彼の出世作である「ホーンブロワー」の時と同様、真っ正直で誠実そのもの顔をして。でも「アメイジング・グレイス」が心にしみるんだとしたら、この映画での彼の過去には後ろ暗いところがあるのかもしれませんね。ちょっとドキドキします。
ヨアン君のファンでもある私としては、「ホーンブロワー」と同じような時代の衣裳と髪型だというだけですでに見る気満々だったのですが、予告編を見て作品の内容そのものにも興味が湧いてきました。映画でアメリカの公民権運動の話とか奴隷解放の話などはワリと見ますが、イギリスでの奴隷制度廃止の話というのはちょっと記憶にないので。これは何としても見ておくべき作品だろうと思いました。
映画『アメイジング・グレイス』
興味をもたれた方は是非チェックを!
アメモニからの情報でした。
http://www.amazing-movie.jp
私は知らなかったんですが、元奴隷船の船長だった人がその罪をを悔いて作詞したのがこの歌――「アメイジング・グレイス」なのだ予告編の冒頭で語られています。
この歌を、私はコーラスで歌ったことがあります。
練習を重ね何度も歌い込む内に、歌詞が自然と自分の身の内に宿ることがあるのですが、この時もそうでした。
メロディーに合わせて歌詞を発声すると、その歌詞に込められた思いというのが自然と身体の中にわき上がってくるのですね。
「アメイジング・グレイス」が与えてくれるものは「歓喜」です。とても静かだけれど、とても熱い。リフレインで同じ歌詞を繰り返す内に感極まって涙さえ流しそうになるような、それは心の奥底からあふれてくる「歓喜」そのものでした。
「アメイジング・グレイス」の歌詞は決して雄弁ではありません。
それどころか訥々として、流麗なメロディーの中では時に乗り切れないほど、言葉は少ない。
それなのに、その言葉が唇から離れ声となると、それは自分の魂を揺さぶる程の響きとなる――それは、この歌詞を書いた人が、その言葉を本当に心の底から振り絞るようにして一語一語紡いだからに他ならないのです。
Amazing Grace, how sweet the sound,
That saved a wretch like me.
I once
was lost but now am found,
Was blind, but now I see.
私が歌ったのはたったこれだけのフレーズですが(原詩はもっと長いです)、この4行の中に込められている思いはとてつもなく大きくて、深い。過去の私は迷い子で盲目であったけれど、今の私は見つけ出され目も見えるようになったと下の二行は言っているのですが、その闇と光の対比が鮮やかでとても強いのです。
罪を犯し闇の世界に居たものが、何故再びまばゆい光の中で生きていけるのか。
それが「アメイジング・グレイス」――神の恩寵なのです。
この詩の中の「神の恩寵」は、すなわち「赦し」です。
かつて私(=作者)はひどい罪を犯し、その事で自分を責めひどく苦しんだけれど、そんな私でも神は赦してくださった。だから私は救われ、今また光の中にいる。大いなる赦しこそが神の恩寵、素晴らしき響き「アメイジング・グレイス」なのだ……!
人は、時に、自分で自分が赦せない事があります。
でも、神は人を赦してくださる。
その神の赦しを身にしみて感じることができたとしたら、その時人は自分で自分を戒めていたくびきから解き放たれ、心の自由を得ることができるでしょう。「赦し」を得て、それまで自分をがんじがらめに縛り付けていた思い鎖から解放されれば心が感じるものは「歓喜」しかありません。
その、思わず走り出してしまいそうなぐらい自由で開放感に満ちた「歓喜」、それを「アメイジング・グレイス」は歌うことによって追体験させてくれる。歌にはそれだけのパワーがあるのです。
別に歌う人がキリスト教の神を信じていなくてもいいんですよ。
歌を作った人の心がそれを信じていたなら、歌うことによってその心が自分の中に宿りますから、その人の心が感じた歓喜が自分の心の中に流れ込んでくるのです。
言葉の意味が分からない人なら、分かっている人が歌った「アメイジング・グレイス」を聞けばいい。歌い手が歌の意味を真に理解していれば、その心の働きは言葉を超えて聞く人の心にダイレクトに届くはずです。だからこそこの歌が名曲として歌い継がれているわけで。
予告編の冒頭では主役を演じるヨアン・グリフィズ君がこの歌を歌っています。彼の出世作である「ホーンブロワー」の時と同様、真っ正直で誠実そのもの顔をして。でも「アメイジング・グレイス」が心にしみるんだとしたら、この映画での彼の過去には後ろ暗いところがあるのかもしれませんね。ちょっとドキドキします。
ヨアン君のファンでもある私としては、「ホーンブロワー」と同じような時代の衣裳と髪型だというだけですでに見る気満々だったのですが、予告編を見て作品の内容そのものにも興味が湧いてきました。映画でアメリカの公民権運動の話とか奴隷解放の話などはワリと見ますが、イギリスでの奴隷制度廃止の話というのはちょっと記憶にないので。これは何としても見ておくべき作品だろうと思いました。
映画『アメイジング・グレイス』
興味をもたれた方は是非チェックを!
アメモニからの情報でした。