【禁断の方法】現実を改編する鍵とは?『タフティ―夢見心地のプリンセス』が語る意識の力
皆様こんにちは!最近、新しいタブレットを購入して、読書の楽しみが再び広がりました。本のページをめくる感覚ではありませんが、タブレットの画面に映る文字から心の中に新しい世界が広がるのを感じています。その中でも特に心を奪われたテーマが「現実を改編する」という少し神秘的で魅惑的な内容です。
バジム・ゼランドの著書『タフティ―夢見心地のプリンセス』。
この本を理解するために何度も読み返しているのですが、読むたびに新しい気づきがあり、日常に新鮮な視点をもたらしてくれます。
『タフティ』が教えてくれるのは、日常をただ流されて過ごすのではなく、あたかも「アバター」を操作するかのように楽しむという新しい生き方の可能性です。この本を通じて発見した魅力をお伝えします。
「あなたは本当に起きていますか?」意識への挑戦状
『タフティ―夢見心地のプリンセス』の冒頭に登場する挑発的な問いかけは、私たちの心に鋭い一撃を与えます。
「あなたは今、起きていますか?それとも寝ていますか?」
一見簡単な質問のようですが、これは私たちの日常に潜む無意識の習慣やルーティンに気づかせるためのものです。目覚めた意識を持たずに過ごす日々は、まるで自動操縦で進む映画の一部のよう。しかし、『タフティ』が教えるのは、「その映画の脚本を自由に書き換えることができる」という事実です。これに気づいた瞬間、自分の人生がただの連続した出来事ではなく、創造的な冒険になるという感覚が芽生えます。
人生をアバターとして楽しむ:自分がゲームのプレイヤーになる
本書のもう一つの革新的なアイデアは、「現実をアバターとして生きる」という概念です。私たちはこれまで、自分の人生をただの「現実」として受け入れることが当たり前だと思っていました。しかし、タフティは私たちにこう問いかけます。
「もし自分が現実世界のプレイヤーであり、身体や意識を使うアバターだとしたら?」
この発想は、日々の行動を一つのゲームのように捉える自由を与えてくれます。仕事も、家事も、人間関係も、ただ「やらなければならないこと」ではなく、「どんな選択をすれば自分というキャラクターがもっと楽しめるか」を試すチャンスになります。現実をゲームフィールドとして見れば、どんな瞬間も退屈ではなく、新しい挑戦の場に変わるのです。
現実は映画:観客から脚本家、そしてプレイヤーへ
本書では、現実を映画に例え、「台本」という形で私たちの無意識の習慣を説明しています。しかし、ここで終わらないのがタフティのユニークな点です。ただの「脚本家」ではなく、映画の中のキャラクターを意識的に動かすプレイヤーとしての視点が提示されます。
たとえば、ネガティブな感情に襲われたとき、ただ受け入れるのではなく、「自分のアバターが今、何を感じているか?」と俯瞰的に捉え、次にどんな行動を取るかを選ぶことができます。この切り替えができるようになると、人生のコントロール感が増し、現実をもっと楽しむ感覚が得られるようになります。
三つ編みのエネルギー:現実改編の秘密ツール
『タフティ』に登場する「三つ編み」という概念も、アバターとして生きる感覚を助けてくれる大切なツールです。過去、現在、未来という時間の流れを意識的につなぎ、エネルギーを編み込むことで、理想の未来を創り出す方法が語られています。
たとえば、自分のアバター(つまり自分自身)をどのような環境や未来に置きたいのかを明確にイメージすることから始めます。そして、その未来が今の行動にどう影響するかを意識しながら過ごすことで、ゲームのステージが一つずつ変わっていく感覚を楽しむことができます。
量子物理学が示す「プレイヤーの力」:観測者効果とのリンク
量子物理学の「観測者効果」は、『タフティ』が語る現実改編の理論と強く結びついています。この効果では、観測する行為そのものが粒子の状態を変えることが知られています。これは、私たちがどこに意識を向けるかで、現実がどのように変化するかを科学的に裏付ける現象です。
プレイヤーとしての意識で現実を観察するとき、私たちはただ受け身で経験を重ねるのではなく、意識的に「次に何を選ぶか」を決める力を手に入れます。自分の人生というゲームの中で、選択肢を増やし、最も楽しめる選択を選ぶプレイヤーの視点を持つことで、現実の楽しみ方が一変します。
現実改編を楽しむ3つの実践ステップ
『タフティ』をベースに、現実をアバターとして楽しむための3つのステップをご紹介します。
1. 気づきのスクリーンを観察する
自分の意識がどこに向いているのかを確認し、不要なパターンを断ち切る。
2. 三つ編みを使って未来をデザインする
アバターとしての自分がどんな未来を選びたいかを明確にし、それを現在と結びつける。
3. プレイヤーとしての選択を楽しむ
日常の些細な選択にも意識を向け、「自分ならどう行動するか?」という視点を常に持つ。
【結論】現実をゲームのように楽しむ新しい生き方
『タフティ―夢見心地のプリンセス』は、現実をただの「固定されたもの」として捉えるのではなく、まるでゲームのように自分自身のアバターを操作し、楽しむ新しい視点を教えてくれる一冊です。この本を何度も読み返している中で、毎回新しい発見があり、その度に自分の人生に対する見方が深まる感覚があります。
日常のルーティンや義務から解放され、自分の人生をデザインする自由を手に入れる鍵。それが、意識の力を使った現実改編なのです。
今日から自分の人生を映画やゲームとして捉え、自分というアバターを最高に楽しむ旅を始めてみませんか?その冒険の先には、これまで想像もしなかった自由で創造的な現実が広がっています。
「絶対無理!」と思った人やモノほど、なぜか逃げられない不思議
皆様こんばんはいかがお過ごしでしょうか。最近点と点が結ばれて線になっていく様が感じられるようになってきました。今日は、メガネのレンズを変えに出かけてクロスバイクを楽しみました。冷たい風が心地良かったです。
さて、皆さんも経験ありませんか?初対面で「この人だけは絶対に無理」と直感的に思ってしまう瞬間。もしくは、新しく試した何かが「これ、私の性に合わない」と即座にジャッジされること。なのに、そういう「無理!」と思った相手やモノほど、後々になって不思議と人生に深く関わってくる。なぜなんでしょう?宇宙のいたずら?それとも人間心理の仕業?
今回は、その「逃げられない関係」の謎をちょっぴり皮肉を交えつつ紐解いてみたいと思います。
第一印象の“嫌い”は本能的防御反応⁉
私たちが直感で「嫌だ」と感じるのには理由があります。それは、本能的に自分を守るための防御反応。たとえば、嫌な態度を取る人や自分と違う価値観を持つ人に出会うと、その違和感に不快感を覚え、脳内で「これは危険信号だ」とアラートが鳴るのです。
しかし、ここに一つの落とし穴があります。直感は、過去の経験や固定観念に基づいていることが多いので、実はあなたの偏見が作り出した幻影かもしれません。つまり、「絶対無理!」と感じる理由が、あなたの内側に潜んでいることもあるんです。
なぜか巡り合う“絶対無理”の法則
人生は皮肉なもので、「嫌だ」と思ったものほど、何度も繰り返し目の前に現れることがあります。まるで「お前が嫌いと言ったな?でもこれが課題だ、受け取れ」と言わんばかりに。
これは一体なぜなのでしょうか?
① 成長のためのチャンス
人生は不思議と、苦手なものを通じて成長のきっかけをくれることがあります。例えば、苦手な同僚と一緒にプロジェクトを進めることで、自分に足りないものに気づいたり、意外な一面に気づいたりすることがあるのです。結局、嫌だと思っていたものが「実は学びの宝庫」だった、なんてことも。
② 心理的投影
「嫌だ」と思うものや人の中には、自分が無意識に隠している性格や価値観が反映されていることがあります。自分の中にある「見たくない部分」を相手に感じているだけだった、というケース。これが分かると、逆に「なんだ、自分も結構似た者同士じゃないか」と笑えてきます。
③ 感情が強いほど記憶に残る
「無理!」と思う感情は強烈なので、心に刻まれやすいです。その結果、記憶に残り、意識的にも無意識的にもその存在に引っ張られてしまいます。これが「逃げられない」感覚を生む原因の一つです。
“見えないからこそ良い”という贈り物
でも実は、「絶対無理!」と思った相手や状況に出会うことには、もう一つの面白い側面があります。それは、「見えなくていい現実」を教えてくれること。
例えば、細かい欠点や、些細な違いに気を取られてしまうのは、ある意味でエネルギーの無駄遣いです。年齢を重ねて老眼になり、手元のシワや細かい字がぼやけて見えたとき、「これぐらい見えなくてもいいのかも」と感じたことはありませんか?「絶対無理!」と思った人やモノも同じで、その全てを理解し、克服しようとする必要はないのです。むしろ「ぼやけたまま」が心地よく、許容できる余白を生む場合もあります。
嫌いが好きに変わる瞬間もある
最後に、人生の妙をもう一つ。最初は「嫌い」だった人やモノが、時間とともに「なくてはならない存在」になることってありませんか?それは、最初の抵抗が薄れたとき、私たちがその本質を受け入れられるようになるから。
例えば、苦手だった同僚が、あるとき自分を助けてくれた瞬間に「意外といい人だな」と思えたり。最初は嫌いだった食べ物が、ふとしたきっかけで「実はめちゃくちゃ美味しい」と気づいたり。こうした転換点もまた、「絶対無理!」と思った相手やモノに逃げずに関わることで得られるものです。
🌟人生の小さな皮肉を楽しむ
結局、「嫌い」と思うものほど、何度も人生に登場するのは、成長や学び、そして視野を広げるための巡り合わせ。だからこそ、最初の印象だけで全てを決めつけず、少しだけ心の余白を持ってみると良いのかもしれません。
「絶対無理!」と思ったものが、もしかしたら未来の大切な存在になるかも。そんな人生の小さな皮肉を、少しだけ楽しんでみませんか?
麹と人類の進化:古事記に見る「発酵する神秘」
皆様こんにちはいかがお過ごしでしょうか。お友達からとても美味しいコチュジャンと塩麹をいただき!私も生麹でコチュジャンにチャレンジしました。炊飯器でささっと作りました。出来上がりが楽しみです。と、言うことで麹を深掘りしてみます。
麹 それは、ただの微生物ではありません。人類とともに進化し、私たちの食卓に「旨味」や「幸福」を届け続ける、いわば小さな魔法使いです。そして、古事記という日本最古の物語に耳を傾けると、麹の物語は自然や生命のリズムと共鳴し、私たちに深い気づきを与えてくれます。
さあ、ここからは少し肩の力を抜いて、麹と人類の長い旅路をひも解いていきましょう。
発酵の力は古事記にも?麹のヒントを探る
古事記には、スサノオノミコトがヤマタノオロチを退治する際に、蛇を酔わせるために「八塩折(やしおり)の酒」を用意したエピソードがあります。酔っ払って弱くなったヤマタノオロチはスサノオに討たれるわけですが、この場面、実は麹菌の大活躍が隠れていると考えられています。
というのも、日本酒に欠かせない麹菌がなければ、あの酒は作れなかったはず。「酔わせて倒す」というこの作戦、現代で言うなら、「夜中に焼酎片手に恋人と語り合って、気がついたら勝ちパターンに持ち込む」ようなもの。つまり、麹菌が紡ぐ発酵の力は、人間の知恵を生かし、難題を乗り越えるサポート役でもあったのです。
麹菌は生命の再生を象徴する小さなヒーロー
さて、スサノオがヤマタノオロチから取り出した「天叢雲剣(あまのむらくものつるぎ)」は、命の再生や新たな秩序を象徴しています。この流れ、実は麹菌が原料を発酵させてまったく新しい食品に生まれ変わらせる働きと不思議なくらい似ていると思いませんか?
味噌、醤油、日本酒……これらすべてが麹菌の手にかかれば、ただの大豆や米が「和食の主役」に変身します。麹菌は「地味にすごいやつ」の代表格、いや、むしろ「地味だけど最強のヒーロー」です。
麹菌と人類の進化、少し科学的な視点から
もし麹菌がなかったら?おそらく人類は、栄養価の低い単調な食事に甘んじていたことでしょう。しかし、麹菌がデンプンやタンパク質を分解して甘みや旨味を引き出すことで、人々はより栄養価の高い食事を得られるようになり、脳が発達し、文化も進化していきました。
発酵食品の力を手にした私たちは、いわば「食べるだけで進化する」という人生チートを手に入れたのです。麹菌のおかげで、今日の私たちがあると言っても過言ではありません。
古事記と麹菌が教えてくれる未来のヒント
古事記が語る物語には、常に「自然との調和」が描かれています。麹菌もまた、自然の力と人類の知恵が生んだ奇跡の存在です。毒性がなく、穏やかに素材を変えていく麹菌の働きは、現代社会が求める「持続可能性」のシンボルと言えるでしょう。
さらに、近年注目されている塩麹や甘酒など、新しい使い方が次々と生まれていることを考えると、麹菌は今も進化を続けています。まさに、「古代から未来へと続く発酵のメッセンジャー」として、私たちの生活を支えています。
麹菌と共にある私たちの物語
麹は単なる発酵のツールではありません。それは、自然と人類の共同作業であり、古事記の神話が伝える「再生と循環」の象徴そのものです。麹菌が作り出す味噌や醤油、日本酒のように、私たち自身も日々変化し、進化し続ける存在です。
次に麹を使った料理を食べるとき、あるいは日本酒を一口飲むときには、ぜひ思い出してみてください。麹が紡ぐ物語には、古代の神話から続く「自然と共に生きる知恵」が詰まっているのです。