【続・『ごんぎつね』が読めない小学生たち】子供たちの中で言葉が失われている……
大学受験指導歴25年。受験の鬼門「国語」を正しく分かりやすく解説いたします。
国語は正しい勉強法を身につければ必ず伸びる教科です。
参考になる部分は是非参考にして頂き、国語力向上に役立てて頂きたいと願っています。
今回は2022年に発刊された石井光太著の「ルポ・誰が国語力を殺すのか」より、
現在直面している「国語問題」というものを知り、そしてその解決の糸口を探っていこうと考えています。
今回は数回にわたりこちらの著書を踏まえ、私が長年国語教育で経験してきた出来事や考察を踏まえながらお話していきたいと思います。
是非最後までお付き合い頂きたくお願い申し上げます。
続・『ごんぎつね』が読めない小学生たち
前回のブログにて同著の序章の「『ごんぎつね』が読めない小学生たち」を取り上げました。
「この話の場面は、死んだお母さんをお鍋に入れて消毒しているところだと思います」
「私たちの班は意見は違います。(中略)昔はお墓がなかったので、死んだ人は燃やす代わりにお湯で煮て骨にしていたんだと思います」
「うちの班も同じです。死体をそのままにしたらばい菌とかすごいから、煮て骨にして土に埋めたんだと思います」
同著著者の石井光太氏が訪れた小学校の校長(長年国語を専門とされてこられた先生)の言葉が、現在の国語教育のすべてを語っているように思われます。
私の言葉より、こちらの校長先生の指摘を引用した方がより説得力が増しますので、同著よりそのまま引用させて頂きます。
言葉を失った子供たち ~「ルポ・誰が国語力を殺すのか」より~
大学の研究者や文科省の上の人たちは、今の子供たちの活字離れだとか、読解力低下の問題ばかりを重視しています。(中略)でも、教育現場にいて感じるのは、国語の文章が読めるかどうかは一つの事象でしかなく、他の教科や日常においても、左記に話したのと同じ現象が見られることの方が危ういと言うことです。(同著16頁)
読解力というのはテクニックのような面もあります。(中略)でも、子供たちはテクニックをつける前段階のところで、重大な力を失っているように思えてならないのです。それらが彼らに様々な問題を引き起こしてしまっている。(中略)私としてはとても深刻な事態ではないかと危ぶんでいます。(同著16頁)
学校で得る知識って、社会で生きていくための入り口みたいなものなんですよね。子供たちはその入り口から、自分の言葉でもってたくさんのことを想像したり、悩んだり、表現したりすることで生きる力を身につけていきます。
(中略)
でも、今の子供たちは(中略)自分の言葉で考える、想像する、表現するといったことが苦手なので、国語に限らず(中略)いろんな誤解が生じ、生きづらさが生まれたり、トラブルになったりしてしまうのです。
言ってしまえば、子供たちの中で言葉が失われている状態なのです。(同著17-18頁)
「テクニック」以前の根本的問題
国語/現代文を読解するための「テクニック(=技術)」たるものは存在し、それらの「テクニック(=技術)」を用いての指導を弊塾では行っています。
しかし、「テクニックの使いこなし」以前に「言葉」を使いこなせていない。
さらには、あまりにも「脆弱な教養」の中でしか生きていない。
前述の校長が指摘するように「自分の言葉でもってたくさんのことを想像したり、悩んだり、表現したりすることで生きる力を身につけ」ないまま、表面的な受験勉強だけで「一攫千金」を得ようとしている受験生があまりにも多すぎるように見受けられます。
これは「早押しクイズ」的受験問題の弊害、その「早押しクイズ」的受験問題に基づいた学習塾指導の弊害に思えてならないのです。
「受験テクニック」云々の前に、「自分の言葉」を持っているかどうかで、「国語力」ひいては「学習能力」の差はすでについてしまっているものです。
もちろん「受験勉強」を通じて学力を養成していくことも可能です。しかし、それらを可能にした生徒は「受験勉強」を通じて「自分の言葉」を持つことが出来た生徒です。
「言葉」の大切さに気づくだけでも学習能力は変わってきます
「言語能力」と「国語力」は当然ながら見事に比例するものあり、多くの方はそのことはご存じだと思われます。
「言語読解」すなわち「言葉の理解」が「国語」学習のすべてです。
しかしその「国語」の成績が伸びない。
その要因はさまざまございますが、その多くが「言語能力」と「教養力」に問題があるように思えてならないのです。
早期の段階、ひいては言語を獲得する1歳児の段階から「言葉」の大切さに気づいていかなければならないように思われます。
そして「自分の言葉」を獲得し、「自分の言葉でもってたくさんのことを想像したり、悩んだり、表現したりすることで生きる力を身につけた」生徒さんこそが、いわゆる「受験」に成功していることだけは小生の経験上間違いはないことを断言しておきます。
逆を言えば、「言語の能力」がないからこそ、テストなどでも「珍回答」が生まれるのです。
次回は……
次回のコラムではこの「国語を学習する意義」とコトバ(語彙力)の重要性についてお話させて頂きたいと思います。
引き続きお付き合い頂きますと幸いです。
最後までありがとうございます。
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