【コラム3】第10回 「単語」でしか表現できない子供たち

~「ルポ・誰が国語力を殺すのか」(石井光太著)より~

2022年に発刊された石井光太著の「ルポ・誰が国語力を殺すのか」

この1冊で現在直面している「国語問題」というものを知り、そしてその解決の糸口を探ることが出来ることができる1冊ではないかと思われます。

 

今回は複数回にわたりこちらの著書を踏まえ、小生が長年国語教育で経験してきた出来事や考察を踏まえながらお話していきたいと思います。

 

こちらの【コラム3】にてある程度の「国語力の回復」につながる提案をさせて頂きたいと思いますので、是非最後までお付き合い頂きたく存じ上げます。

 

 

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【コラム3】第10回  「単語」でしか表現できない子供たち

SNSがもたらした「短文コミュニケーション」『ルポ誰が国語力を殺すのか』より)

同著『ルポ誰が国語力を殺すのか』において、Instagramを発端として起きた女子高生の自殺事件を長いルポとして書き綴った後、同著著者は次のように結論付けている。

 

    

 ここで立ち止まって考えなければならないのは、現代の子供たちの取り巻く言語環境についてだ。(中略)

 実際のコミュニケーションは、SNSの短文テキストコミュニケーションとは違う。相手の立場に立ち、言葉が凶器にならないように精査し、慎重を期して丁寧に発しなければならない。そうやって人間同士の信頼関係が築き上げられる。そのために欠かせないのが、国語力をいう基礎的な力なのである

(同著151頁)

 

確かに、LINEやインスタなどのSNSで使用される「コトバ」は、著者の言う「短文コミュニケーション」であり、中にはネット内で生まれた、例えば「地沼(知的障害者)」「害児(障害児)」「自宅警備員(引きこもり)」「メンブレ(メンタル崩壊)」「ks(カス)」などのコトバ(同著130頁参照)が「単語」として飛び交っている。

 

もちろんこのようなコトバは「言葉の凶器」となり、最悪の場合、相手を死へ追いやる可能性も持ちうるコトバである。

 

しかし、これらの凶器となるコトバを用いなくても、そもそもSNSで使用される「短文コミュニケーション」事態が「文章力」の劣化を招いている要因の一つだと考えられる。

 

要するにそのような子どもは、言葉を用いて文章化出来ず、「単語」でしか表現することしかできないのであり、総じてそのような子どもは「国語」が出来ない子どもたちであることは間違いない。

 

「単語」でしか表現できない子供たち

国語が出来ない生徒の特徴として、質問に対する答えが「単語」でしか表現出来ないことが見て取られる。
 
例えば、
先生:「第1段落は筆者は何について述べようとしているかな?」
生徒A:「日本」
 
これが逆に国語が出来る(出来るようになる)生徒の場合は、
先生:「第1段落は筆者は何について述べようとしているかな?」
生徒B:〇〇と書かれているので、筆者は『日本』について述べようとしているのですか?
 
集団指導塾(グループ指導)の場合、「単語」が飛び交う方がリズム感ある授業を展開すること出来るが、
弊塾のようなマンツーマンの場合、1対1の「人と人との言語コミュニケーション」を必要とする場合、「単語」でしか表現出来ない生徒「文章化」して表現出来る生徒では、あきらかに後者の方が国語が出来る(出来るようになる)生徒であることに間違いがない。
 
上記ような2極化の要因がSNSの普及によるものであるかどうかは不明であるが、少なくともSNSの普及以前からこのような2極化が生じているのは経験上明確である。
 
そこで弊塾の始動では、そのような「単語」でしか表現出来ない生徒には、(徐々にでいいから)「文章化」して答えていくように指導を行っている。
すると徐々に「単語コミュニケーション」から、「人と人との言語コミュニケーション」となり、それが同著書者の言う「相手の立場に立ち、言葉が凶器にならないように精査し、慎重を期して丁寧に発しなければならない」「人間同士の信頼関係の構築
ではないだろうか。
 
 

弊塾ではLINEでの連絡は行っていません

弊塾ではもう一つ取り組んで事柄がある。

それは、連絡事項のやりとりはLINEをせず、Eメールを使用している点である。

 

もちろんLINEでのやりとりの方が迅速性があるが、欠席など急を要する場合は携帯番号の方に直接連絡するように指示している。

急を要する以外の場合はEメールでの連絡事項のやりとりを徹底付けている。

 

その際に、「堅苦しい文言でなくてもいいので、社会常識として必ず添え状を付けるように」と指示している。

社会に出た際、たとえ「テンプレート」であったとしても「添え状」を添えるのは社会人として常識になってくるからだ。

 

それよりもLINEではなくEメールでの連絡を徹底しているのは「文章化して『意』を伝える」際、LINEではどうしても簡略化してしまい、結果「単語コミュニケーション」に陥ってしまうからである。

 

Eメールの場合、例えば、

「質問事項があるけど、自分のわからないところをどのように伝えようか?」

「来週の授業欠席しなければならないのだけど、どのように理由を伝えようか?」

など、

自分の「意」を文章化して伝えるには、LINEでは煩わしく、むしろEメールの方が適しているのである。

 

「単語コミュニケーション」ではなく、Eメールを使用した「人と人との言語コミュニケーション」が、結果的には「文章表現能力」、さらには「国語力」の養成へとつながってくるものとなっていくと考えている、

だから弊塾ではLINEコミュニケーションは行っていないのである。

 

 

「短文コミュニケーション」から「文章コミュニケーション」へ

同著『ルポ誰が国語力を殺すのか』、第三章「ネットが悪いのかーSNS言語の侵略」の章末にで、同著著者は次のように締めくくっている。
    

 現在の子供たちの国語力は、SNSの短文テキストコミュニケーションによって根底からゆさぶりをかけられている。元来、言葉は自己肯定感を育み、世界のあらゆることを思いやりつなぎ、未来を切り開いていくものだった。それが無意識に感情を吐き捨てるだけのものに代わられた時、子供は、世界は、未来はどうなってしまうのか。

 私たちが目を向けなければならないのは、そんな世界の危機的な一側面である。

(同著153頁)

 

確かにわれわれの身近な生活において、例えば妻にLINEを送るとき、

「晩飯ある?」

「あるよ!」

「OK!」

のような「短文テキストコミュニケーション」になっているのではないだろうか。

 

SNSが国語力低下のすべての元凶ではないが、同著著者が指摘しているように、少なからずSNSによる「短文テキストコミュニケーション」に慣れてしまったゆえに、元来の「言葉」の持つ意味が希薄化し、「相手の立場に立ち、言葉が凶器にならないように精査し、慎重を期して丁寧に発しなければならない」「人間同士の信頼関係の構築が困難になりつつあるのは事実ではないだろうか。

 

「単語コミュニケーション」から「文章コミュニケーション」へ

 

これだけでも、今皆さんが抱えている課題を克服する1つの糸口になり得るのではないでしょうか?

 

5 次回は……

次回のコラムでは、同じく「ルポ誰が国語力を殺すのか」の中から気になる指摘を取り上げ、考察していきたいと思います。

引き続きお付き合い頂きますと幸いです。

 

最後までありがとうございました。
次回もよろしくお願いします。  

 

 

 

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