【コラム3】第9回 小説(物語)ができない原因は〇〇にある!

~「ルポ・誰が国語力を殺すのか」(石井光太著)より~

2022年に発刊された石井光太著の「ルポ・誰が国語力を殺すのか」

この1冊で現在直面している「国語問題」というものを知り、そしてその解決の糸口を探ることが出来ることができる1冊ではないかと思われます。

 

今回は複数回にわたりこちらの著書を踏まえ、小生が長年国語教育で経験してきた出来事や考察を踏まえながらお話していきたいと思います。

 

こちらの【コラム3】にてある程度の「国語力の回復」につながる提案をさせて頂きたいと思いますので、是非最後までお付き合い頂きたく存じ上げます。

 

 

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【コラム3】第9回  小説(物語)ができないの原因は〇〇にある!

「ネットトラブル」の元凶『ルポ誰が国語力を殺すのか』より)

同著『ルポ誰が国語力を殺すのか』第三章「ネットが悪いのかーSNS言語の侵略」において、2010年代以降普及したスマートフォンによる「ネットトラブル」について考察を行っている。

 

その中において、学校でのネットトラブル解消を担う専門事業「スクールガーディアン」の事業部長の三角梨奈氏はこう語っている。

 

    

 SNSでトラブルになる場合の短文テキストコミュニケーションは、対面のリアルとそれはまったく違います。対面の場合は、人と人とがお互いに一日引いて距離をつくり、相手の思いを想像したり、空気を読んだりして、言葉を選びながらしゃべりますよね。

 しかし、SNSでは、相手との距離感が存在しません。情報を発信する側は、相手の感情を考えず、その瞬間に浮かんだことや思ったことを、ストレートに言葉で表現します。特定の誰かに話しかけるというよりは、独り言のようにつぶやくことの方が多い。テキストも文章ではなく、ぶっ切りの単語になりがちです。こうなると、コミュニケーションというより、感情を吐き出しているようなものになってしまいます

(同著129頁)

 

これに対し、著者石井光太氏は次のように考察している。

 

    

考えなければならないのは、リアルで行われる対面コミュニケーションとの違いだ。実際に顔を突き合わせて話をする際は、「①感じる→②相手の気持ちを想像する→③言葉を整理する→④発言する」という流れで会話が行われる。つまり実際の発言に至るまではいくつものフィルターに通される。

 ネットの言語空間では、そうではないのだ。先の例からもわかるように、②~③を省略し、①の感情をそのまま言葉にするのだ。フィルターにかけられないまま、感情が垂れ流しにされる。

(同著130-131頁)

 

 

前回のブログ「ネット社会がヒエラルキーを生み出す?!」においても、小生は「スマホの弊害」を何度も何度も繰り返し警鐘を鳴らしてきた

 

先述の三角梨奈氏は、

本来「人と人とがお互いに一日引いて距離をつくり、相手の思いを想像したり、空気を読んだりして、言葉を選びながらしゃべる」対面コミュニケーションに対し、

SNSのネット空間では、「相手の感情を考えず、その瞬間に浮かんだことや思ったことを、ストレートに言葉で表現し」「感情を吐き出す」だけで、本来の「人と人とのコミュニケーション」が成立しなくなっていると警鐘を鳴らしている。

 

著者石井光太氏も、

本来対面コミュニケーションでは、「①感じる→②相手の気持ちを想像する→③言葉を整理する→④発言する」という流れで会話を行うのに対し、

ネットの言語空間では「①感じる⇒④発言する」と②~③を省略し、①の感情をそのまま言葉にする「感情が垂れ流し」であると警鐘を鳴らしている。

 

すなわち、SNSなどのネット空間では、人と人との対人コミュニケーションで最も大切である相手の感情を考える、想像するという作業が忘れ去られているのである。

 

 

想像力の欠如=小説(物語)が読めない子どもたち???

このように相手の感情を考える、想像するという作業が忘れ去られている子供たちは、当然、登場人物の気持ちをくみ取りながら読んでいく「小説(物語)」の読解を苦手とするのも当然であろう。
 
まさしく「ごんぎつねが読めない子供たち」である。
 
「小説(物語)」の読解を苦手とする生徒たちの多くに共通するのが「相手の感情が読めない」想像力の欠如であることは間違いないであろう。
 
「傍線部の心情を〇〇字以内で答えよ」
 
と言われても、「想像」すらつかない
 
仮に(こんなこともちろん言いませんが)「何でわからないの!!!」といっても、本当に「わからない」のである。
 
その原因の一つに、著者石井光太氏や三角梨奈氏が警鐘を鳴らす「スマホの弊害」も確かに考えられるかもしれない。
 
普段の生活から、単語だけの「短文コミュニケーション」に慣れている子どもたちは、気持ちを文章化出来ないばかりか、
相手の感情を考える、想像するという作業をおろそかにしているゆえに、
「小説(物語)」の読解を苦手としているのである、という論法も成立するであろう。
 
(そもそも学力の低い生徒さんは、この「論法」に当てはまることが多いと考えられる。だから、小説だけでなく「国語」読解、「日本語」読解そのものが出来なく、「国語」の成績が振るわないのである。)
 
しかし、
このようなSNS全盛の時代以前から、相手の感情を考えること、想像することが出来ず、「小説(物語)」の読解を苦手としている生徒も多くいる
 
そのような状況を見ていると、「小説(物語)」の読解を苦手とする原因が他にもあるのではないか、と小生は考える。
 
 

3 「小説(物語)」が苦手な子どもの共通点は、〇〇に原因がある

「小説(物語)」の読解を苦手とする原因とは何か?

 

小生が見るかぎり、「小説(物語)」の読解を苦手とする子どもたちの共通点は、「親の支配」である。

 

親の過剰な(異常な)教育熱心さゆえに、子どもが「萎縮」してしまっているのがすぐに気づく。

 

顕著な例が、三者面談の際に9割以上が親の発言で、子どもに尋ねたとしても、子どもに代わり親が意見を代弁する。

 

そのような家庭に育った子どもは、総じて「小説(物語)」の指導になると「心情(気持ち)」の理解でつまづいてしまう。

 

小生も始めは遠慮して答えられないのかな?と思っていたが、事態は深刻である。

 

本当に「気持ちがわからない」のである。

 

前述した

「傍線部の心情を〇〇字以内で答えよ」と言われて、
決して言ってはいけないNGフレーズ「何でわからないの!!!」と言ってしまっているのであろう。
 
でも、本当に「わからない」のである。
 
「萎縮」しながら育った子どもは、心を「萎縮」させ、気持ちを閉ざしてしまう。
そのような子どもに「相手の気持ちを…」といっても、無理な話である。
 
その原因を作っているのは、もしかすると親御さんかもしれません。

 

 

教育熱心ゆえの「萎縮」した子どもは、〇〇の点でも共通する

親御さんの教育熱心ゆえに心を「萎縮」した子どもたちに(ほぼ)共通することがある。

 

それは「答え」を写すクセが身に付いてしまっている点である。

 

「我が子に限っては」とお思いかも知れませんが、事実を報告すると「まさか我が子が…」と狼狽される。

 

以前ブログにも書きましたが、「答え」を写すクセは、子どもにとって「罪の意識」はなくなってしまっている。

始めは「罪の意識」を持っているものの、それが常習化し、すでに「罪の意識」はなくなってしまうのである。

 

これは「万引き」の常習性と同罪である

始めは「罪の意識」を持っているものの、それが常習化し、すでに「罪の意識」はなくなってしまう「万引きの常習性」と全く同じ心理行動である。

 

ただ行動の原因(背景)は異なる。

「万引き」の原因(背景)には多々あるが、

「答え」を写すクセの、原因(背景)のその多くは、親の過剰な(異常な)教育熱心さゆえの「親の支配」にある。

そもそも学力の低い生徒さんは「面倒くさいから」という理由で行うこともあり、その場合は逆に親の管理不足に原因があることもある)

 

いったん「答え」を写すクセを「味わう」とやめられず、その先にあるのは学力低下しかない(学力向上は絶対にない)。

 

「なぜダメないのか?」という意義を諭すことも大切だが、

「答え」を写すことは「万引き」と同罪であるという教育から教え込むことの方が大切なのではないかと小生には思える。

 

 

次回は……SNSがもたらした「短文コミュニケーション」とその弊害

次回のコラムでは、本日の続きといたしまして、上記内容について考察していきたいと思います。

引き続きお付き合い頂きますと幸いです。

 

最後までありがとうございました。
次回もよろしくお願いします。  

 

 

 

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