【コラム3】第8回 ネット社会がボキャブラリーのヒエラルキーを生み出す?!

~「ルポ・誰が国語力を殺すのか」(石井光太著)より~

2022年に発刊された石井光太著の「ルポ・誰が国語力を殺すのか」

この1冊で現在直面している「国語問題」というものを知り、そしてその解決の糸口を探ることが出来ることができる1冊ではないかと思われます。

 

今回は複数回にわたりこちらの著書を踏まえ、小生が長年国語教育で経験してきた出来事や考察を踏まえながらお話していきたいと思います。

 

こちらの【コラム3】にてある程度の「国語力の回復」につながる提案をさせて頂きたいと思いますので、是非最後までお付き合い頂きたく存じ上げます。

 

 

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【コラム3】第8回  ネット社会が「ボキャブラリーのヒエラルキー」を生み出す?!

「国語力」の脆弱さと「ネット依存」『ルポ誰が国語力を殺すのか』より)

同著『ルポ誰が国語力を殺すのか』において、著者石井光太氏は現在のネット社会について次のように述べている。

 

    

 IT革命によって情報はあまねく人々がアクセス出来るものになり、いわば世界規模の「情報の民主化」を二十一世紀にもたらした。(中略)

 国語力に関していえば、家庭の中で子供たちが基礎的な力をつけて高い意識を持っていれば、ネットリテラシーによって情報の洪水の中から自分にとって必要なものを効率良く抽出し、目的にそってまとめることができるであろう。(略)

 反対に、家庭格差によって国語力の脆弱な子供たちは、それとは異なる形でネットを利用しようとする。辛く苦しい現実から逃げ出すために、毎日何時間もオンラインゲームをしたり、SNSで悪口を書いてストレスを発散したりということだ。また、何か一つのことを調べようとしても、世の中の常識や他の情報と関連づけて批判的読解ができないために、しばしばフェイクニュースや陰謀論を鵜呑みにして惑わされるといったことが起こる。

(同著122-123頁)

 

小生もこちらのブログにて「スマホの弊害」を何度も繰り返し警鐘を鳴らしてきた

実際に「内閣府『令和2年度青少年のインターネット利用環境実態調査』」によると、中学生の5人に1人、高校生の3人に1人は1日4時間以上スマホを使用している(同著124頁)

 

    

中高生にとって、一日のうちで三、四時間というのは相当の割合だ。放課後も部活動も学習塾や夕食の時間があることを踏まえれば、四時間以上と答えた人はほとんどの時間をスマホに当てていると言っても過言ではない。

(同著124頁)

 

 

このような状況下、著書の中で男性教員は次のように述べている。

 

国語力のない子供であればあるほど、ネットから悪い影響を受けてるように思えてなりません。ネットには荒れた言葉が氾濫し、未熟なコミュニケーションがまかり通ってしまっています。子供たちはそれに慣れて現実世界でつかうのでトラブルを続発させてしまうのです。

(同著123-124頁)

 

この「トラブル」については後ほど述べられている「ネット・リンチ」につながるものであるが、

「国語力」の脆弱さと「スマホ依存」には相関関係があるように思えてならないのである。

 

 

ネット社会による「ヒエラルキー」の形成

「国語力」が脆弱さだと、なぜ「スマホ依存」に陥るのか?
 
この点についてまずは考察していくが、同著著者はネット空間では「似たような子供たちが集まる傾向」にあり、「そうなれば考え方や価値観がどんどん狭まっていくことになる」と指摘している。
 
たしかに、学力の低い生徒がドキュメンタリーのコンテントに興味は示さないだろうし、
また逆に、学力の高い生徒が勉強をおろそかにしてまでもネットゲームにはまることもないであろう。
 
つまり、同書著者は「IT革命は、いわば世界規模の『情報の民主化』」であると述べているが、残念ながら実際には、ネット社会は「ヒエラルキー」を形成しているのが実情である。
 
その同階層の中での情報交換が、彼、彼女らの情報量の限界であり、その階層を超えた情報を得ることができない(得ようとしない)構造になっているのが現実である。
 
このような状況のなかで、元来「国語力」が脆弱な子供たちは、同様に「国語力」が脆弱な子供たちとの間でしか「情報」のやりとりを行わないために、どうしても「情報弱者」に陥ってしまう。この「情報弱者」とは、「知識」の弱者であり、「ボキャブラリー」の弱者である。
だから、狭い世界でしか物事を考えることが出来ず、結果本来の「国語力」である、時間をかけて考える「思考力」の養成し、その「論理思考能力」を用いて、広い視野で物事を捉え、身につけた知識を他の知識へと活かすへとつながってこないのである。
 
結果、同書著者の指摘のように「辛く苦しい現実から逃げ出すために、毎日何時間もオンラインゲームをしたり、SNSで悪口を書いてストレスを発散したり」して、「一日のうちで三、四時間というのは相当の割合」をスマホで「無駄な時間つぶし」に勤しむしかないのである。
 
そのような状況の中、「(いい学校に合格するために)勉強しなさい」と助言?しても無意味な行為どころか、むしろ悪化の一途をたどるしかないように思えてならない
それよりも、むしろなぜ「ネット依存」に陥ったのか?、その原因を究明し、脱「ネット依存」への的確な対処法を講じることの方が大切ではないかと思われる。
 
 

3 「ネット・ヒエラルキー」は「ボキャブラリーのヒエラルキー」

「国語力」が脆弱さは、「似たような子供たちが集まる」ことによって「考え方や価値観がどんどん狭まっていく」「ネット・ヒエラルキー」の形成につながることを指摘したが、

の「ネット・ヒエラルキー」は、「ボキャブラリーのヒエラルキー」であるとも言い換えられる。

 

学力の低い生徒は、例えばすべての現象を「ウザい」か「ウザくないか」の二元論?ですべてを処理してしまう。

逆に学力の高い生徒は、例えばある現象を5W1Hを用いながら、状況を的確なコトバで表現する術を身につけている。

5W1H=「When:いつ」「Where:どこで」「Who:だれが」「What:何を」「Why:なぜ」「How:どのように」

 

学力の高い生徒とそうではない生徒の間には「ボキャブラリー」の差があるのは確かであり、「ボキャブラリーのヒエラルキー」の中で、同階層の中での情報交換の「ボキャブラリー」がそのまま自身が身につけるボキャブラリーの限界となってしまうのは致し方ないことである。

 

つまり、ここにも「国語力」が脆弱さが露見しており、

よく耳にする「ボキャブラリーがないから読書が出来ない」「ボキャブラリーがないから国語が出来ない」「ボキャブラリーがないから作文が書けない」など、

「ボキャブラリーがないから……」の原因は、「国語力」が脆弱さ、それはつまり「スマホ依存」に原因があるのではないだろうか。

 

次回は……ネットの言語空間と「小説が読めない子供たち」

さらに、同著では、リアルで行われる対面コミュニケーション(顔と顔を突き合わせて話をする)際、

 

①感じる

 ↓

②相手の気持ちを想像する

 ↓

③言葉を整理する

 ↓

④発言する

という会話の流れが、ネットの言語空間ではそれが行われなくなっていることを指摘している。

 

この点はまさしく「小説が読めない子供たち」とつながってくるものでもある。

 

次回のコラムでは、本日の続きといたしまして、上記内容について考察していきたいと思います。

引き続きお付き合い頂きますと幸いです。

 

最後までありがとうございました。
次回もよろしくお願いします。  

 

 

 

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