大相撲古今ケタはずれ物語<大宗>「谷風梶之助」 | のぼこの庵

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大河ドラマの史上最高傑作『独眼竜政宗』(1987⇒2014再放送)と近年の最高峰『平清盛』(2012)の感想です。
ついでに『江~姫たちの戦国~』(2011)、『八重の桜』(2013)、『軍師官兵衛』(2014)、『花燃ゆ』(2015)の感想も。
あとは爺放談?

「野翁物語(江戸時代中期~後期)」に-

「谷風は剛強大力にて、相撲の妙術を得たるのみならず、また勧進角力の上手なり」

 

「角觝著聞(明治初期)」に-

「富士に対して余山の事を言わず、外の高山にては必ず富士の事を言うようなものなり」

 

「大日本相撲評判記(昭和初期)」に-

「力量万人にすぐれ、別して相撲の達人にて、腰低く、寄る足いたって早く、実に力士の階級なり。されば、少しもこれに対する力者なく、たまたま不意をもって希に一番勝つ者も、再び向かう時は片手をもって押し出さる。寛永の初めより、かくの如く万端揃いし力者なし」

とある。

 

谷風の前に谷風なく、谷風の後に谷風なし・・・・・・彼が大相撲史に残した足跡は全く偉大、力士の大宗と仰がれるのも当然である。

以上<古今大相撲事典>(昭和56年発行)より

 

大相撲史上屈指の強豪とされるが、力量だけでなく人間的にも立派で品格抜群であるため、歴代横綱の第一人者、後の横綱の模範と称される。

(wikipediaより)

 

谷風梶之助(たにかぜかじのすけ、寛延3年8月8日(1750年9月8日)~寛政7年1月9日(1795年2月27日))は、陸前宮城郡霞目(宮城県仙台市若林区霞ノ目屋敷)出身で伊勢ノ海部屋に所属した仙台伊達家の抱え力士。身長189㌢、体重160㌔。本名は金子与四郎(かねこよしろう)。

関ノ戸の弟子となり、約半年、白石の片倉家に預けられ、同家の抱え力士に稽古をつけてもらった後、明和6年(1769年)春、江戸の看板大関として初登場。

好成績を続け、天明元年(1781年)春に実力大関となる。

谷風梶之助としては2代目だが、後年の文献などから初代と扱われる場合も少なくない。

安永7年(1778年)春初日から天明2年(1782年)春六日目まで5年に渡って63連勝。七日目、小野川(当時幕下十両3枚目)に敗れた時は江戸中がひっくり返るような騒ぎとなり、小野川はこの一番で一躍ヒーローにのし上がった。時に谷風31歳、小野川23歳。大相撲史上最高の黄金時代と言われる谷風-小野川時代はここから始まる。

寛政元年(1789年)11月、小野川とともに吉田司家より横綱免許。

歴代横綱では4代横綱と扱われるが、史実においては初の横綱と見ることができ、事実上の初代横綱。

35連勝で現役のままインフルエンザによって44歳で没した。

 

落語「佐野山」(講談「谷風の情け相撲」)では、病気の母親を抱える十両力士・佐野山がいることを知った谷風が、相撲会所に根回しをして回向院興行での取組を作らせた。これを谷風の贔屓筋は勝利を確信して懸賞を付けたが、谷風がわざと負ける八百長相撲を取った。しかし、江戸っ子からは人情相撲だと喝采を浴び、谷風はその後、佐野山の母親の枕元で病魔退散の四股を踏んだと伝わる。事実ではないものの、このような話が作られるほど谷風の人格者ぶりが世間に浸透していた

(wikipediaより)