『独眼竜政宗』第48回「伊達流へそ曲がり」感想 | のぼこの庵

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大河ドラマの史上最高傑作『独眼竜政宗』(1987⇒2014再放送)と近年の最高峰『平清盛』(2012)の感想です。
ついでに『江~姫たちの戦国~』(2011)、『八重の桜』(2013)、『軍師官兵衛』(2014)、『花燃ゆ』(2015)の感想も。
あとは爺放談?

幕府による伊達征伐の動きをなんとか回避し、福島正則に「ごますり大名」と揶揄されながらも将軍秀忠に取り入って、外様大名改易の嵐を乗りきって行く政宗。
今回の秀逸は、そんな政宗が酒の勢いもあってついマジになっちゃった場面です。

江戸城

徳川秀忠「政宗は余の御意見番じゃそうな」
政宗「いかにも。大神君に成り代わって時には苦言を呈しまするぞ」
秀忠「では尋ねる。凡そ人の上の立つ人物の器量とは何ぞや」
政宗「はてさてこれは難しい」


徳川家康は生前、秀忠を評してこう言っていました。
家康「泰平の世の将軍はあれでよいのだ。優れた家臣に支えられて、ただただ聡明であればよい。聡は聞く、明は見る。良い耳と良い目を持つのじゃ。将軍は覇者ではない、王者でなければならぬ」
家康に成り代わってと言うなら、政宗はそれをそのまま秀忠に伝えればよく、ヨイショにもなるはずでした。
しかし、筋金入りのへそ曲がりである政宗、それをそのままには答えません。
むしろ、秀忠が本当に良い目と良い耳を持っているのか試そうとしているようでした。

秀忠「宗薫、どうじゃ」
今井宗薫「は、恐れながら慈悲の心かと存じ奉ります」
秀忠「月並みじゃのう」
宗薫「重ねて学問、風流の道も肝要にござります」
秀忠「宗矩、如何に」
柳生宗矩「は、仁義礼智信こそ器量の根本かと心得まする」
秀忠「仁義礼智信か」


ここで政宗のへそ曲がりの虫と皮肉の虫が顔を覗かせます。

政宗「いや、それはあらゆる人物が均しく求むるべき徳目にござりますれば、身分の上下には関わりがござりますまい」
秀忠「うぅむ、一理ある」
宗矩「(ムッ)では、伊達殿の存念を承りたい」
政宗「(突っ込むなよ)…」
宗薫「伊達殿」
政宗「(しゃあねえな)…仁に過ぐれば弱くなる。義に過ぐれば固くなる」
秀忠「なるほど、仁も義も程々にということか」
政宗「御意にござりまする。臆病になればご政道は豆腐の如く崩れやすい。かと言うて固い豆腐は歯がたたん。ははは、このあたり理屈と実際の調和が政(まつりごと)の心得(こころう)でござる」
宗矩「…(ジロッ)」


このジロッは何でしょう?
「おいおい、御政道に口出しすんなよな」ですかね?。
「あ、やべ独眼竜を調子づかせちまったか」ですかね?

政宗「礼に過ぐればへつらいとなり、智に過ぐれば嘘をつきまする。礼の上から申さば、将軍ほどのお方が下女に子など産ませるものじゃ…」
秀忠「(ギクッ)…」
宗薫「!これ、伊達殿」
政宗「それがちゃんと産まれてござるゆえ嘘にもなりへつらいにもなる。知略欺瞞は嘘の元。嘘は嘘を呼んで果てしもない。かく申す政宗とて海山身に憶えがござる。はははは」
宗薫「お控えなさりませ。上様の御前にござりまするぞ」
政宗「お耳障りの段はお許し願いたい」


秀忠は感情を抑えて政宗の諫言を聞き続けます。

秀忠「…信に過ぐればどうなる」
政宗「さよう、信に過ぐれば損を致しまする」
秀忠「ほぅ、損をするか」
政宗「お分かりでござりましょう、譜代旗本衆への片寄った信は上様に大きな損を招きまする」
宗矩「!伊達殿。(おいおいせっかく収まりかけてたのにまた油注ぐなよ。この上様案外キレやすいんだよ)」


政宗「例えば、この政宗にご譜代旗本衆相揃うて弓を向けられれば是非もござらん。権現様には相済まぬことながら上様に叛くより他はない」
秀忠「!…」
政宗「…」
宗薫「…ははは、酔うておられる、ははは」
政宗「些か言葉が過ぎましたかな。何とぞ政宗の忠節心より発したる物言いと思し召されませ」

秀忠「…仁に過ぐれば弱くなるか」
政宗「義に過ぐれば固くなりまする。礼に過ぐればへつらいとなり、智に過ぐれば嘘をつく。信に過ぐれば損を致しまする」
秀忠「…」


秀忠、なんとか合格です。

※五常(ごじょう)または五徳(ごとく)は儒教で説く5つの徳目。仁・義・礼・智・信を指す。【仁】人を思いやること。孔子は仁をもって最高の道徳であるとしており、日常生活から遠いものではないが一方では容易に到達できぬものとした。具体的な心構えとしては「己れの欲せざるところこれを人に施すなかれ」(『論語』顔淵篇)がよく知られている。すなわち、「仁」とは思いやりの心で万人を愛し利己的な欲望を抑えて礼儀をとりおこなうことである。【義】利欲にとらわれずなすべきことをすること。正義。中国思想においては常に「利」と対比される概念である。【礼】「仁」を具体的な行動として表したもの。もともとは宗教儀礼でのタブーや伝統的な習慣・制度を意味していた。のちに人間社会の上下関係で守るべきことを意味するようになった。儒者のなかでも性悪説の立場に立った荀子は特に「礼」を重視した。【智】道理をよく知り得ている人。知識豊富な人。【信】友情に厚く言明をたがえないこと。真実を告げること。約束を守ること、誠実であること。孟子の四端説における「仁義礼智」の四徳に対し、前漢の董仲舒は五行説にもとづいて「信」を加えた。(Wikipediaより)