『花燃ゆ』第8回「熱血先生、誕生」感想 | のぼこの庵

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大河ドラマの史上最高傑作『独眼竜政宗』(1987⇒2014再放送)と近年の最高峰『平清盛』(2012)の感想です。
ついでに『江~姫たちの戦国~』(2011)、『八重の桜』(2013)、『軍師官兵衛』(2014)、『花燃ゆ』(2015)の感想も。
あとは爺放談?

東洋経済オンラインの『花燃ゆ』評には私も失笑を禁じ得ませんでしたが、
一方でこのような
「大河ドラマってさあ、ワタシラには民放時代劇と区別がつかないんだから、もう『花より男子』の幕末編でいいじゃん」
というイマドキ女子の考え方もアリかなと思いました。

「織田信長以外はマイナー」なんて言い切っちゃう視聴者層を取り込もうとするなら、しっかりやりましょう。

今回はちゃんとできたじゃないですか、歴史劇的学園ラブコメ。
寅次郎と玄瑞との手紙のやり取りや文の演技には笑えました。

次回も楽しみにしています。

※高杉晋作(たかすぎしんさく)は天保10年8月(1839年9月)長門国萩城下に長州藩士・高杉小忠太(200石)の長男として生まれる。14歳で明倫館入学。柳生新陰流剣術も学びのち免許皆伝となる。安政4年(1857年)吉田松陰が主宰する松下村塾に入り久坂玄瑞、吉田稔麿、入江九一とともに松下村塾四天王と呼ばれた。桂小五郎(木戸孝允)や久坂たちと共に尊王攘夷運動に加わる。文久3年(1863年)、長州藩は関門海峡で外国船を砲撃するが米仏の報復に逢い惨敗(下関戦争)。身分に因らない志願兵による「奇兵隊」を結成する。京都では八月十八日の政変で長州藩が追放される。文久4年(1864年)1月脱藩して京都へ潜伏。7月長州藩は禁門の変で敗北して朝敵となり久坂は自害。8月英仏米蘭の連合艦隊が下関を砲撃。砲台が占拠されると晋作は和議交渉を任される。時に24歳。幕府による第一次長州征伐が迫る中、伊藤俊輔(博文)率いる「力士隊」、石川小五郎率いる「遊撃隊」ら長州藩諸隊を率いて挙兵。後に「奇兵隊」ら諸隊も加わり、元治2年(1865年)3月には藩の実権を握る。4月下関開港を推進したことで攘夷・俗論両派に命を狙われ一時四国へ逃れる。元治2年(1865年)谷潜蔵と改名。慶応2年(1866年)1月薩長盟約が結ばれる。6月の第二次長州征伐(四境戦争)では海軍総督として幕府軍を敗走させ翌慶応3年(1867年)11月の大政奉還への大きな転換点となったが、晋作自身は肺結核のため慶応3年4月(1867年5月)逝去(享年27)。(Wikipediaより)