『花燃ゆ』第3回「ついてない男」感想 | のぼこの庵

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大河ドラマの史上最高傑作『独眼竜政宗』(1987⇒2014再放送)と近年の最高峰『平清盛』(2012)の感想です。
ついでに『江~姫たちの戦国~』(2011)、『八重の桜』(2013)、『軍師官兵衛』(2014)、『花燃ゆ』(2015)の感想も。
あとは爺放談?

玄瑞「す、好き?」
文「うん、兄上みたいな人が」
玄瑞「兄上…」
文「で、妹属性って何?」
玄瑞「し、知るか(ポッ)」


この作品の脚本そのままでアニメが作れそうですね。
学園ラブコメ大河もまた結構。
本格大河の時間は土曜の夕方6時ですしね。

※久坂玄瑞(くさかげんずい)は、幕末の長州藩士。天保11年(1840年)、長門国萩に藩医・久坂良迪の三男として生まれる。15歳で当主となり名を玄瑞と改めた。17歳で九州に遊学。吉田松陰との手紙のやりとりの後、安政4年(1857年)弟子入りする。松下村塾では高杉晋作と共に「村塾の双璧」、高杉・吉田稔麿・入江九一と共に「松門四天王」といわれた。松陰は久坂を長州第一の俊才であるとし、高杉と争わせて才能を開花させるようつとめ、自分の妹・文を嫁がせた。玄瑞は安政5年(1858年)、京都・江戸に遊学し、翌6年(1859年)に安政の大獄によって松陰が刑死した後は尊王攘夷運動の先頭に立つようになる。文久2年(1862年)、土佐の坂本龍馬らと会い薩長土三藩連合で近衛兵を創設する件を議し、桂小五郎とともに朝廷の尊王攘夷派の三条実美・姉小路公知らと結んで公武合体派の岩倉具視らを排斥し朝廷を尊攘化する。そして江戸に下り勅旨をもって幕府に攘夷の実行を迫った。江戸では高杉と合流し品川御殿山に建設中の英国公使館を焼き討ち。文久3年(1863年)、帰藩し奇兵隊の前身となる光明寺党を結成。これに藩も加わり外国船砲撃を実行に移した。同年8月18日の政変によって長州勢が朝廷より一掃された後も玄瑞は在京し失地回復を図った。元治元年(1864年)、久坂は来島又兵衛や真木和泉らと諸隊を率いて東上して「嘆願書」を朝廷に奉る。禁門の変(蛤御門の変)では、諸藩が増援の兵を京都に送り込んでおりその数2万とも3万ともされる。対して長州藩は2,000に満たない兵力で戦いを挑んだ。蛤御門を攻めた来島は会津藩隊と交戦したが、薩摩藩の援軍が加わり劣勢となる。来島が狙撃されると長州軍は総崩れとなった。来島は自害。遅れて到着した玄瑞・真木らの隊は鷹司邸の裏門から邸内に入った。越前藩隊が大砲で表門から邸内を攻めると長州兵は各自逃亡を始める。入江は槍で顔面を刺されて死亡。玄瑞は寺島忠三郎と共に鷹司邸内で自刃した。享年25。(Wikipediaより)