大河ドラマよお前もか | のぼこの庵

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大河ドラマの史上最高傑作『独眼竜政宗』(1987⇒2014再放送)と近年の最高峰『平清盛』(2012)の感想です。
ついでに『江~姫たちの戦国~』(2011)、『八重の桜』(2013)、『軍師官兵衛』(2014)、『花燃ゆ』(2015)の感想も。
あとは爺放談?

『軍師官兵衛』の最終回が衆院選で流れたおかげで、裏番組のBS日テレ『久米書店』を見ていましたところ、『なぜ時代劇は滅びるのか』という本の紹介で、興味深いお話がありました。
以下、その一部です。

司会「えー、ちょっと刺激的な所を読んでみたいと思うんですけど。『大河ドラマよお前もか』っていう所なんですけど」
筆者「(笑)」


司会「『時代劇は1990年代後半から一気に衰退を始めたが、それに歩調を合わせるように落ち込んでいったのがNHK大河ドラマだった。
かつて日曜夜8時のこの枠は「国民的番組枠」と呼ばれ、視聴率だけでなく内容的にもこの国のテレビ番組全体の最高峰に君臨し続けていた。
が、近年は見る影もなくなっている。
話題になることといえば、視聴率の低さや内容に対するバッシングばかりだ。
そうした議論の全てを肯定する気はないが、大河ドラマがかつての威信を失っていることだけは間違いない。
古くからの大河ドラマファンと会って話をすると、必ず「昔の大河は面白かった。最近のは……」という嘆きから話は始まる。
もちろん、個々の作品に対する良し悪しの評価には個人差もある。
だが、「大河ドラマは変わった」、これは、最低でも1990年代前半から現在までその流れを追いかけてきた視聴者の方なら、誰しもがそう思われるのではないだろうか。
致命的なダメージを与えたのは、2011年の『江』だ。
『江』は、これまで議論してきた「時代劇を廃れさせた理由」の大きな要因である「人材の不足」の抱える問題が凝縮された作品であった。
北大路欣也、草刈正雄ら一部のベテランを除く俳優陣の学芸会じみた低レベルの演技、全てを語る饒舌な脚本、リアリティのない「見えすぎる明るい画面」……。
そして何より、目先の人気取りとご都合主義の過ぎる描写・展開に呆れさせられた。
序盤は、まだ十歳にも満たないはずの江が「本能寺では信長が江を想いながら死ぬ」「家康の伊賀越えに江が同行する」「清須会議に顔を出し、秀吉に説教をする」といった歴史上の重要な局面に顔を出すという無茶な展開が次々とあった。』


司会「あれは本当に酷かった」
筆者「酷かったですよね」
司会「あれが致命的だった、大河ドラマの」
筆者「うんそうですね」
司会「あれでもう立ち直れないって言ってんです、江ショックで、大河ドラマは。あのあといっぱい頑張ったんですけどあまりにも江が酷かったんで」
筆者「そうですね」
司会「もう滅茶苦茶なんだから歴史的事実を。伊賀越えなんかに江が同行してたら殺されますよ簡単に。ああいう無茶なことをやったのがいかん」
筆者「歴史を変えるのは悪い事とは思わないんですけど、そこに理由があったり結果がそのために面白かったならいいんですけど、これ歴史を変えたために胡散臭くなっちゃっただけなんですよね、ただ単に」
司会「うん」
筆者「それはつまり結果面白くなったならいいんですけど結果面白くなってないわけですね。すごく上っ面の作劇をするためのものでしかなかったんです、そういう創作というものが。それは視聴者を馬鹿にしているなっていう気が正直したんですよね。って思ってたらどんどん視聴率も落ちて行ったし。そのあとおっしゃるとおり『平清盛』だったり『八重の桜』はものすごく力を入れた作品だったんです」
司会「頑張ってました」
筆者「ただ例えば『平清盛』の視聴率問題って出ましたけどあれ実は第1話から視聴率悪いんですよ。1話から悪いってことは清盛の責任じゃないんですよ」
司会「その前だ」
筆者「そうなんです。前の作品のせいで離れて行った人が戻って来なかっただけなんです清盛の時に」
司会「視聴者がねみんなねゴーしちゃったんだよ」
筆者「テレビって基本的に久米さんが一番ご存知だと思うけど視聴習慣じゃないですか。だから一度その番組がつまんなくなって離れてしまって例えば裏番組に行ってしまった他のものを見てしまったらなかなかもう習慣から外れてしまったら戻って来にくいですよね、その枠ってものに対して。だからその問題があってNHKは(視聴者を)手離してしまったわけですよね」