『軍師官兵衛』第47回「如水謀る」感想 | のぼこの庵

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大河ドラマの史上最高傑作『独眼竜政宗』(1987⇒2014再放送)と近年の最高峰『平清盛』(2012)の感想です。
ついでに『江~姫たちの戦国~』(2011)、『八重の桜』(2013)、『軍師官兵衛』(2014)、『花燃ゆ』(2015)の感想も。
あとは爺放談?

如水「猪武者がいつの間に…」

って長政は昔から決して猪武者ではありませんでしたよ。
むしろ能天気な田舎者ファミリーの中で唯一常識的な戦国武将でした。

しかしその賢明な長政を以てしても黒田ファミリーの奥向きの悪い評判を隠すことはできなかったようです。

それを徳川につけ込まれての離縁・再婚劇でした。

でも、いい後妻さんが来てくれてよかった。
と言うよりも行儀の悪い糸さんと無礼な侍女がいなくなってよかった。
本当によかったね長政。

あとは、今ごろになって天下を狙おうとする親父の老害をくい止めてくれ。

※増田長盛(ましたながもり)は豊臣政権五奉行の一人。尾張国中島郡増田村(愛知県稲沢市)または近江国浅井郡益田郷(滋賀県長浜市)出身。一向宗徒であったという説がある。 天正元年(1573年)、羽柴秀吉に召し出され300石で仕える。28歳であったという。中国攻めをはじめ多くの戦に従軍した。後北条氏が滅亡すると長盛は下野・常陸・安房の大名に対する豊臣政権の取次となった。 太閤検地では石田三成と共に中心的な役割を担い美濃国・越後国の検地奉行を務めた。文禄の役では、石田三成、大谷吉継とともに朝鮮に渡って漢城に駐留し奉行として占領地統治や兵站に携わった。秀次事件では長束正家と共に秀次の老臣を糾問するなどしている。文禄4年(1595年)、豊臣秀長の後を継いだ豊臣秀保が没すると7月、大和国郡山城20万石の所領を与えられる。秀吉の晩年には五奉行となる。慶長3年(1598年)、秀吉が没した後は反徳川の立場を鮮明にする石田三成方に与し、打倒家康の謀議に参加。慶長5年(1600年)には長束正家や前田玄以など五奉行連判で家康の悪事を糾弾する弾劾書を示し、五大老の毛利輝元や宇喜多秀家を擁立して挙兵、西国大名に西軍加担を要請する文書を送るなど精力的に活動した。9月15日に行われた関ヶ原の戦いには参加せず、毛利輝元とともに大坂城守備部隊として西の丸に兵3,000を率いて駐屯。戦後、出家し改易となる。その身柄は高野山に預けられた。元和元年(1615年)、息子の増田盛次が長盛との相談の上で大坂夏の陣で豊臣氏に与したが、戦後この責任を問われ自害を命じられた。享年71。(Wikipediaより)