今回も、さほど不愉快になることなく『黒秀吉』を楽しむことができました。
その理由は言うまでもなく、前回に続いて阿呆嫁を見ずに済み、能天気母さんの出番も極めて少なかったからです。
行長ママ(マグダレナ)がいないのもよかった。
しかし、
相変わらず官兵衛はチョロいなあ。
目付きも態度も悪い。
あんなにガラが悪くては秀吉が笑いながら怒るのも無理はないですね。
三成は悪くない。
頑張れ三成。
負けるな三成。
※碧蹄館の戦い(へきていかんのたたかい)は、文禄・慶長の役における合戦の一つ。文禄2年1月(1593年2月)に朝鮮半島の碧蹄館周辺で、平壌奪還の勢いに乗り漢城(現在のソウル)めざして南下する提督李如松率いる40,000余の明軍を、宇喜多秀家、小早川隆景らが率いる約41,000の日本勢が迎撃し打ち破った戦い。この戦いでは、明軍は騎兵中心の編成となっていたが、碧蹄館の地は騎兵の機動力を活かすことの出来ない狭隘な渓谷であり、かつ前夜よりの雨で泥濘地と化していた騎馬に不適な戦場であったこともあり、この一戦で明軍の被った損害は戦死者数6,000余に上るとされる。この戦いの敗北によって李如松は戦意を喪失して明軍の勢いはそがれ、武力による日本軍撃退方針を諦めて講和交渉へと転換する。その一方で日本軍も3月に明軍に漢城近郊・龍山の兵糧倉を焼き払われ、食料調達が最も困難なときに兵糧面で甚大な損失を出したため長期戦が難しくなり、石田三成、小西行長らは明との講和交渉を開始した。(Wikipediaより)