『独眼竜政宗』第29回「左遷」感想 | のぼこの庵

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大河ドラマの史上最高傑作『独眼竜政宗』(1987⇒2014再放送)と近年の最高峰『平清盛』(2012)の感想です。
ついでに『江~姫たちの戦国~』(2011)、『八重の桜』(2013)、『軍師官兵衛』(2014)、『花燃ゆ』(2015)の感想も。
あとは爺放談?

天正十九年八月五日、かねて病弱だった鶴松丸が淀城において虚しく息を引き取りました。
秀吉は、五十歳を過ぎてやっともうけた一粒種を失ったのでした。

豊臣秀吉「つ、つみが、罪があるならわしに、わしにその罪をく、くれ。…鶴松、かえって、帰ってきて、帰って来てくれ鶴松。鶴松…なぁ、起きてよい、起きぃ…お、お、起きてくれ」
淀「…」
秀吉「!笑うておる」
淀「!」
秀吉「笑うておるぞ。な、笑うておるぞ」
淀「(慟哭)」
秀吉「わ、笑うておる鶴松が。ぐ、ぐぐぐ…、うおぉぉ…、あぁぁ…」
北政所「…」


傷心の秀吉は翌日東福寺に入り髻(もとどり)を切りました。
側近の武将達もこれに倣って髷を切り粛然と喪に服しました。
髷を切るといっても断髪式のように髷全部を切り落とすのではなく髷の一部を切るだけでした。
ですよねー。
どっかのジュニア大河の描写のように皆カッパ頭じゃ様になりませんよね。

秀吉「その方らはたんと子がおるよって、今のわしの様を見て女々しい天下人と思うであろう」
一同「…」
秀吉「この歳になって初めて授かった鶴松…、もう二度と授かる望みのない我が子が…、この関白がなんでこのような思いを…、神仏には今までどれだけ尽くしたか、それがこ、このざまじゃ。…笑え、笑え…笑うてくれぃ。(慟哭)」
一同「…」
秀吉「…あぁ、黄金(こがね)の雲が見えた。鶴松は神仏より美しい心を持っておる。定めて極楽へ着いたのであろう。…今まで誰もがしたことないでかい供養をして遣わす。…出兵の支度をせい」
施薬院全宗「!出兵とは、何処へ」
秀吉「…朝鮮国を手に入れ、彼の地を足場に明の国へ攻め入る」
一同「!」
秀吉「どうじゃ、わしに相応しい憂さ晴らしであろうが。…諸大名に出兵の支度を命じろ!」


秀吉の寝所

北政所「もう、お休みなされませ」
秀吉「わし…誰や」
北政所「関白太政大臣秀吉様でございます」
秀吉「…関白太政大臣…なんで…こんな思い、せんならんのや。」
北政所「…」


座り込んで動かない秀吉に優しく夜具を着せかけて寝かせる北政所。
久しぶりに二人が藤吉郎とねねに戻ったひとときだったでしょう。

一方政宗は、大崎葛西の一揆討伐で、多くの重臣を戦死させてしまいました。

山家国頼「殿、国頼は殿の御為に死ぬるのでございまするか。それとも関白の為に死ぬるのでござりまするか」
政宗「…」
伊達成実「言わずと知れたこと。伊達政宗殿の御ためじゃ」


成実、ナイスフォロー。
山形から義姫の輿入れに同道以来幾星霜、伊達家に忠節を尽くした山家国頼、お疲れさまでした。

鬼庭綱元「さらばご老体はこのままおめおめ引き退けと言われるか」
小梁川泥蟠斉「万やむを得まい」
片倉小十郎「関白の命には逆らえん」
後藤孫兵衛「恐れながら、米沢には伊達家の菩提寺がござりまする」
原田左馬助「これまで慈しんで参った民百姓は如何相成るのでござりまするか」
政宗「かくなる上は城も人も神社仏閣に至るまで伊達家に所縁(ゆかり)のあるものは尽(ことごと)く岩手沢に移す」
孫兵衛「殿」
政宗「諸般の事情に鑑み俺が腹を決めたのだ」
綱元「恐れながら、家中の面々は収まりが着きますまい」
左馬助「慇懃自重にも限りがござる」
孫兵衛「会津を引き退き仙道を獲られ、今また米沢を奪われるとは」
小十郎「国替えとはそういうものよ」
遠藤文七郎「国替えとは名ばかりのこと。これは明らかなる処罰にござりまする」
小十郎「…」
泥蟠斉「とやかく申すな。ある時は身命を賭して抗い、ある時は柳に風と受け流す。これが智恵者の道理じゃ」
文七郎「受け流すうちにやがては北の果てまで追いやられまする」
綱元「敵の手足を一つひとつもぎ取り滅亡させる所存に違いない」
左馬助「これは蒲生氏郷の陰謀でござる」
孫兵衛「徳川殿の甘言に惑わされてはなりませぬ」
成実「皆の者よく聞け!」
一同「…」
成実「米沢を引き渡すについて誰よりも口惜しく腸(はらわた)の煮えくり返る思いをしているのは殿じゃ!」
泥蟠斉「おぉ、その通りじゃ」


成実、またもやナイスフォロー。
鬼より恐い伊達藤五郎成実、てっきり先祖墳墓の地を召し上げられて怒り心頭に発し先頭に立って反抗するかと思いきや、皆をなだめ落ち着かせる役に回っていました。
政宗在京の間伊達領を任され、すっかり大人の対応ができるようになったようです。

政宗「…よいか、俺には世の中の移り変わりが朧気に見えてきた。関白は世嗣ぎの鶴松丸を失い事の外取り乱しておる。老体ゆえもはや子宝には恵まれるまい。そこでつらつらおもんみるに次の天下人は秀次殿と見たがどうだ」
一同「…」
政宗「秀次殿は俺と相性がよく歳のころも近い。京の都では幾度か酒も酌み交わし肝胆相照らす仲となった。この絆を大切に保てばいずれは伊達家にも運が向いてこよう。今は神妙に引き退いて時節を待つのが得策じゃ」
一同「…」
泥蟠斉「ご賢察にござりまする」
政宗「その方達の存念は如何に」


天正十九年初冬、政宗は家臣一同を引き連れて米沢城を立ち退きました。
米沢城は天文十七年、政宗の祖父晴宗が移り住んで以来四十三年の間伊達家の居城でした。

政宗「いざ」
成実「おめでとうござりまする」
一同「おめでとうございまする」


誰も目出度いとは思っていません。

米沢からは六つの町が町ぐるみで移住して新しい城下の商人町を構成し、主な神社仏閣も移されました。
政宗は移転と同時に岩手沢城を岩出山城と改めました。

政宗には受難続きの天正十九年でしたがやっと暮れ近くになって一つの朗報がもたらされました。

成実「でかしましたぞ殿、猫御前に男子出生じゃ」
政宗「何」
小十郎「男子出生」
成実「母子ともに健全じゃ。目出度き哉、目出度き哉」


成実、米沢での「おめでとうござりまする」とは違って心からの喜びです。

小十郎「これは幸先良うござる。伊達家の前途は洋々にござりまするぞ」
政宗「これで俺も人の親になった」
小十郎「御意」
成実「この日を待ち侘びていたのだ」
政宗「成実、小十郎」
成実「は」
小十郎「は」
政宗「俺は負けんぞ。誰にも負けはせんぞ」


三人の若武者は、武力ではなく知力によって、天下を目指す決意を新たにしたのでした。