『八重の桜』第27回「包囲網を突破せよ」感想 | のぼこの庵

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大河ドラマの史上最高傑作『独眼竜政宗』(1987⇒2014再放送)と近年の最高峰『平清盛』(2012)の感想です。
ついでに『江~姫たちの戦国~』(2011)、『八重の桜』(2013)、『軍師官兵衛』(2014)、『花燃ゆ』(2015)の感想も。
あとは爺放談?

今回はおもに戦場における女性の戦いが描かれました。

戦で戦うのは男だけではないとは言っても、
女性が前線に出て戦闘をするのは例外中の例外だったはずです。

女性には、負傷兵の看護や女中の仕事ばかりでなく、
後方支援の役目がいくらでもあったでしょう。

その点で、娘子隊よりもむしろ城内で奮戦する女性たちに
眼が向けられていたのはよかったと思います。

思いますが、次回はあの山川トセの焼玉押さえ!?
もう徹底的にやるのですね。

※婦女隊(ふじょたい)は、会津戦争において会津藩に組織された女性のみの部隊である。娘子軍(じょうしぐん)、娘子隊(じょうしたい)と呼ばれることもあるが、編成時にこのような名称はなく、後に付けられた名称であるとされる。慶応4年(1868年)8月23日、新政府軍が鶴ヶ城下へ進攻してきた際、前会津藩主松平容保の義姉である照姫が会津坂下に立ち退いたことを耳にした中野竹子らが、照姫を護衛するため自発的に婦女隊を組織した。照姫を護衛すべく会津坂下に向かった婦女隊は、照姫を発見することが出来ず、やむなく、会津坂下の法界寺に宿泊する。 翌24日、付近の高瀬村にて家老・萱野長修に従軍を申し出るも、女子であるために拒否される。だが、彼女らの嘆願により、翌日衝鋒隊への同行を許可した。婦女隊は翌25日、涙橋の戦いで奮闘するも、中野竹子が額に銃弾を受けて討死する。享年18。中野竹子の首級は、政府軍に奪われることをよしとしない妹・中野優子により介錯、白羽二重に包み回収された。母のこう子または農兵が介錯したとする説もある。中野竹子の薙刀には「もののふの猛きこころにくらぶれば 数にも入らぬわが身ながらも」と辞世を記した短冊が結ばれていたという。「新説戦乱の日本史」軍事奉行添役神保修理の妻・雪子はこの戦いで死亡したとも、捕縛された際に自刃したともいわれ、経過は不明となっている。この戦いの後、婦女隊は数日間、涙橋周辺での戦いに参加してから鶴ヶ城に入り、籠城の支援に回っている。頭髪は斬髪し、男姿となり、頭には白羽二重の鉢巻きをして、着物は女の着物に袴という服装。 武器は大小の刀に薙刀。(Wikipediaより)